目覚め
「うっ……うぅ……」
全身を引き裂かれるような痛みに、俺は呻き声を漏らしながら目を覚ました。反射的に身体を起こそうとするが、体に上手く力が入らない。顔を歪ませながら、歪んだ視界の先に映ったのは、果てしなく広がる森だけだった。
辺りは薄暗く、頼りになるのは雲間から差し込む月明かりだけ。ぼんやりとした意識の中で、少しずつ状況を理解していく。
……そっか。俺は、落ちたんだな。何とか立ちあがろうと再び体に力を入れようとするが、いうことを聞かない。それどころか、鋭い痛みと刺すような寒さが同時に押し寄せ、息が詰まる。体の芯から、心の底まで、凍りついていくようだった。
————寒い。寒い……。意識が遠のきそうになる中、何とか意識を保とうとする。その暗闇の中で、月の光が誰かの影を映し出した。突如現れたかのようなその存在に鼓動が速くなる。
追っ手か?そう思考し、出来るだけ呼吸を殺す。そのせいで胸部に痛みが走り、声を漏らさずに堪える。その人影は、俺を覗き込むように揺れた。顔までは見えない。だが、間違いなく"誰か"が、そこにいる。
「……まだ生き残りがいたのね」
低く響く女の声。その声には驚きも感情もなく、ただ事実を告げるだけの響きがあり、不思議と敵意は感じない。俺は、喉の奥から無理やり声を絞り出す。
「……た、......け...」
かすれた音にもならない声。一瞬の間を感じつつも、彼女は問いかけてくる。
「助かりたいの?」
月明かりの下で、その言葉だけが、はっきりと浮かび上がる。声にするのがきつく、俺は辛うじて首を縦に動かして応えた。瞬間、周囲の空気が変わった。木々がざわめき、風が止む。世界が、彼女を中心に歪んでいく感覚を肌で感じる。
「私は厄災と呼ばれる存在、◇◇◇◇」
その名を告げた瞬間、空気がさらに冷たくなる。月光が揺らぎ、彼女の白銀のような影が地面に落ちた。
「もし、私の言うことを"何でも一つ"聞いてくれるなら……あなたを、生かしてあげましょう」
「……なに……を……?」
かすれた声で問う。彼女は少しの間を置き、問い返してくる。
「私が何を求めるのか気になってるの?」
俺は弱々しく、こくりと頷いた。
「ふふ……今はまだ言えない。それより、そんな時間はあるのかな、君に」
確かに時間は残されていないんだろう。意識は薄れ、身体は逆に、なぜかじんわりと温かさを帯び始めていた。終わりが近い証拠のようで、恐怖が胸を締め付ける。それでも————。
「……大切な人を、傷つけたくないのね」
彼女は、まるで俺の心を覗いたかのように言った。その声音は、なぜか嬉しそうにも聞こえる。初めて感情を帯びた声音に、表情が見えないことをもどかしく感じる。
「わかったわ。それは約束する」
警戒する中、彼女がはっきりと告げるその言葉に、不思議と嘘は感じなかった。
「それでどうするの、本当に危うい状況だけど」
「たの...む」
「了承してくれて、ありがとう」
微かな微笑みを含んだ声とともに、暖かな光が俺を包み込む。身体だけでなく、心まで温まる様にそんな光。それと共に、全身に痛みが走る。
「くっ……!」
思わずうめき声が漏れる。
「ごめんなさい。私の魔法、効果は強いんだけど……どうしても、痛みだけは伴ってしまうの」
申し訳なさそうな声が、遠くで響く。耐えきれないほどの痛みが押し寄せ、ついに意識を手放すのだった。最後に見えたのは、彼女の申し訳なさそうにする姿だった。そして、僕の世界は、再び闇に沈んだ。
***
目を覚ますと、そこには朝の光があった。木々の隙間から差し込む柔らかな日差し。澄んだ空気が肺に満ちる。あれほど激痛に襲われていた体は、今ではまるで何事もなかったかのように軽い。痛みも、違和感もない。
「……まさか、実験体にでもされたのか?」
そんな嫌な予感が頭をよぎり、慌てて自分の体を確かめる。だが、どこにも異常はなかった。胸を撫で下ろしたその瞬間、ふと、気配を感じる。反射的に身を低くして、気配がある方へと視線を向けた。そこには、一人の女性が立っていた。
ホワイトブロンドの髪に、翡翠色の瞳。腰まで届く滑らかな髪が朝日に光を受けてきらめいている。その口元には微笑が浮かんでいた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。あなたを生かしたのは、私ですから」
その声を聞いた瞬間、昨夜のあの声の主だと悟った。思わず息を呑む。
「……どうして、僕を助けたんですか?」
恐る恐る問いかける。彼女は母と妹を守ると約束してくれたが、その目的はいまだにわからない。
「それは教えられないって、言いましたよね?」
淡々と告げる声。その瞬間、彼女の周囲の空気が変わる。風がざわめき、木々が軋む。圧が、重い。
「……わかりました」
観念したように答えると、彼女はぱちん、と軽く手を叩いた。
「それより食事にしましょう。必要な栄養を取らないと元気にはなれませんから」
彼女は踵を返して、部屋の奥へ進んでいく。
俺は警戒しながらも、屋根裏から降り彼女の後を追う。階段を降りると目にするのは木材でできた柱や床だった。屋敷の石造りの部屋とはまるで違う、温かみのある空間。壁や棚には、魔物の骨や角のようなものが飾られている。どれも、見たことのない物だ。
どうして自らを厄災と名乗ったのだろうか?それが気になり始める。そう告げずに俺と契約を結ぶこともできたのではないかと。何かを結んだという意識だけはある。微かに感じる、彼女と僕の魔力の繋がりが。
そんなことを考えながら、さらに奥へ進む。すると、部屋の奥へ進んでいく。奥にはキッチンらしきものが存在し、その手前に間を開けて、6人は座れるだろう机が置かれている。
壁までの距離もさほど窮屈ではなく、余裕もある。ある程度裕福なのか?そんな考えが浮かぶ。もしかして、厄災ではなく薬採……?
先程から見かける物も薬に使うための素材だったのだろうか?だとしたら、死に掛けの自分を治せたのにも多少理解できる。すぐに歩けるようになっているという事実にも納得がいく。
……裏切られた直後だったから、警戒しすぎていたのかもしれない。そう思いながら席に座ろうとした、その時。
「こら、君も手伝う」
そう彼女に言われて、戸惑う。手伝うって何を?
「ん?……あぁ、そっか。貴族だとこういった手伝いとかしないのか」
彼女は少し呆れたように俺の事をみつつ、溜息をついた。
「私が料理を作ったら、君が運ぶ。勿論、後片付けもする。いい?」
「えっ……はい」
俺は戸惑いながらも頷く。一般的にはそうなのだろう。命を助けてもらった手前文句はいえない。彼女の指示に従い、料理を運んでいく。スプーン、フォーク、ナイフ、そしてコップ。順に配置し、準備を整えた。
「それじゃ、いただくとしましょうか」
そう言って彼女は鍋の蓋を開けた。立ち上る温かなスープの匂いに、胸の奥がじんわりと緩む。
——キュルルル。
腹の奥から、情けない音が鳴った。思わず頬が熱くなる。貴族の身でありながら、女性の前で腹を鳴らすなど、失態もいい所だ。顔を上げると、彼女と目が合った。なぜか微笑まし気な目線で俺を見つめてくる。
「照れてるのかしら?」
何も言えずにいると
「そっか」
と、彼女は小さく笑った。
「一応服は着替えさせてもらったわ。濡れた服だと風邪を引いてしまうから」
「ありがとうございます。助かりました」
頭を下げて礼を言う。そもそも、こうして生き残っていることをまず感謝すべきだったか。そう思っていると、彼女は俺をじっと見てくる。ふっと、笑う。
「まずは、食べながら話すとしましょうか」
その合図で、俺たちは食事を始めるのだった。




