プロローグ
最近、ふと疑問に思うことがある。もし、僕が貴族として生まれていなかったら、盗みを働いてでも食べ物を確保したのだろうか?と。
領地を見回って貧富の差を感じるほどにその気持ちは強くなる。……違うな、きっとあの視線が忘れなれないからだ。馬車の窓越し、ふと目が合ったスラム街の住人。向けられたのは、恨みとも、憎しみともつかない視線だった。
自分たちの境遇を嘆くようなその視線に、思わず目を逸らした。何もできないと知っているから。でも忘れなれないのは、彼が、妹であろう小さな存在だけは、必死に守るように抱きかかえていたからだ。
家族を守りたいという想いだけはどうしても共感出来てしまうから。ふと、部屋の中を見渡す。そこには1つで平民が数年は暮らせるだけの家具が所狭しに置かれている。有名な建築家やデザイナーと熟練の職人によってつくられたそれは、平民が使う、実用性があるだけのものとは異なった。
もしも、愛する家族を守るために努力する機会さえ与えられなかったらどうしたのだろうか……?そう考えだして、首を振る。そんな余裕はないだろうと。
今日学んだことを、書面にてまとめ直すとしよう。そう思った時だった。
「こっちに来いと言っているだろう!」
そんな怒号が聞こ急いで立ち上がる。魔法を駆使しできるだけ急いで向かった先には、少し後ずさりながらスカートを掴んで俯く妹のアリスの姿だった。
「何をしている、ウェイン!!」
俺は怒気を孕んだ声で、自信の弟であるウェインに向かって、低い声で伝える。チッ————。そんな舌打ちをした彼は俺の方へと振り返る。取ってつけたような笑みを浮かべて。
「お戻りだったのですね、兄様」
気持ち悪いくらいに媚びたその声に、嫌悪感を感じる。当人も俺が嫌がると分かっていてあえてやっていた。
「もしかして誤解してますか、兄さま?僕はただ、もう少し距離を縮めたいと思っただけです。ですが、アリスが距離を取るものですから……つい」
悪びれる様子もなく伝える。それでも強く言えないのは、アリスが元平民で、お兄様は由緒正しい貴族の僕とどっちを取るのかと暗に伝えているからだ。それを繰り返した結果が、これだ。俺は拳を強く握りながら伝える。
「……それを、俺が鵜呑みにすると?」
反論するとは思っていなかったのだろう、ウェインは一瞬だけ顔を歪めた。だが、すぐに余裕を装いながら続ける。
「でも、お兄様も最初から見ていたわけではありませんよね?」
「そうだな。……でも、アリスに聞けばわかる」
「兄様は、僕よりもアリスの方を信頼するんですね」
「そう言ってるんだが、理解できなかった?」
敢えて弟のように、軽く猫なで声で返す。明確に魔力を高ぶらせて、怒っているのが分かる。
(魔力量が低いクセに)
そうボソッと呟く。それは俺の唯一の欠点で、弟が尊大な態度を振舞う理由だった。弟よりも劣る兄が、先に生まれただけで家督を継ぐのが許せないんだろうな。……いや、彼の母の影響でもあるのか。
第二婦人、サラ。彼女は僕の母と違い、権力というものにどこか執着しているから。これ以上は時間の無駄だと感じ、俺の方をいまだ睨み続けるウェインに告げる。
「もし、決闘を望むなら受けて立つ。アリスを傷つけるなら許さない」
そう告げると、不貞腐れたようにそっぽを向き
「はいはい。分かりましたよ。次からは気をつけますよ」
そう言って去って行った。魔法の鍛錬を怠らないで良かった。そう思う。例え魔力量で劣っていても、技術でまだ勝てるのだから。それも、数年後には分からないが……。だからこそ、一刻も早く、家督を継ぐ必要がある。
もっと視察を増やすべきか。そんなことを考えていると、アリスが、勢いよく俺に抱きついてきた。
「————っ!!」
胸元に顔を押し付けるようにして、ぐりぐりと擦り寄ってくる。ふと、俺の方を見上げて、「えへへ」と笑う姿がどうしようもなく可愛らしい。
あぁ、なんでこんな天使に大声を上げることが出来るんだろうか?もっと傅くべきだ。そして愛でるべきだと思う。頭の上に手を乗せて撫でると鼻歌まじりに嬉しそうにする。
「行こっか、母様のところへ」
そう提案をすると、
「うん!!」
と大きく頷いた。道中一緒に歩いていると、アリスがスカートの丈を掴んで恥ずかしそうにこちらを見つめる。
「……いつも、かばってくれて、ありがとね、兄さま」
俺を見上げるその瞳は、どこか遠慮がちで……きっと聡いこの子は分かっているんだろう。自分の立場で本来この場にいることがおかしいという事に。それはきっと、弟が言い続けた結果で、俺が止められなかったせいでもある。
だから安心させるように、微笑んで伝える。
「いいんだよ。俺は、アリスの兄なんだから」
そう告げると、彼女は少しだけ安心したように、微笑んだ。————もっとアリスに余計なことを気にせず、自由に生きて欲しい。それが今の俺の願いでもあった。
***
「お母さまっ!!」
ベッドの上で身体を起こしている母様にアリスが抱き着く。そんな様子のアリスに対して母様も嬉しそうにして、頭を撫でてあげていた。
そうしてまた「ふふふん、ふん」と鼻歌を歌い出すアリスについ、笑みが零れる。
「今日は、いつにも増して甘えんぼさんね、アリス」
「……だめですか?」
「ううん。とっても嬉しい」
そう言って、母様はアリスの頭を優しく両手でつかむ。
「でも、お兄ちゃんが嫉妬してるから」
母様は俺の方をチラリとみて、ふふふと笑った。図星過ぎて、思わず顔を逸らす。にしてもどうして分かったのだろうか?
「お兄様、嫉妬してるの?」
アリスが、きょとんとした顔で聞いてくる。
「……してない」
「本当?」
「……ちょっとは、してる」
「そっか」
納得したように頷くと、アリスはてとてとこちらへ歩いてきて、俺の手を取った。
「じゃあ、お兄様もこっち」
そのまま引かれるようにして、母様のベッドのそばへと導かれる。七歳になってからというもの、少し気恥ずかしくて、自然と距離を取っていた場所。けれど今は、三人で小さな円を作るように、ベッドの縁に寄り添っていた。
久しぶりの、この近さ。理由もなく、胸の奥がほどけていく。
「なんだか、温かいな」
「ね、ふわふわ」
そういってアリスは母様の上にある、布団をぽんぽんと叩いてる。その温かさじゃないだけどな……なんて思いつつ、その姿が微笑ましくて、自然と肩の力が抜けた。母様はそんな俺達を微笑みながら見守ってくれる。
ふと、目が合うと、微笑みを深くして告げる。
「……お兄様、嬉しそう?」
「うん、嬉しい」
「そっか、アリスも!アリスも嬉しい!!」
その言葉に、母様は柔らかく笑って、アリスの頭も、俺の頭も、交互に撫でてくれる。三人で、ただ静かに、その温もりを分け合う。————俺は、この時間がいちばん好きだった。
この場所を守るためなら、俺は何だってしてみせる。三人一緒に抱き合う中そう決意した。
***
あれから領地の視察を重ね、税収は順調に改善。街は活気を取り戻し、発展の兆しを見せていた。
その成果を携え、十六になる年に正式に領主となる————その筈だったのに。
「フェリックス様! お逃げください!」
領地から戻る馬車の中で、切羽詰まった叫びが耳を打つ。何が起きた。周囲を確認しよと思い、窓を覗き込もうとした瞬間、馬車が急激に速度を上げた。
「っ……!」
身体が前へと投げ出され、座席に強く打ちつけられる。
「どうなってるんだよ、クソっ」
悪態を吐きながら、反射的に窓の外へ視線を走らせる。雨が吹き荒れる中、最悪の光景が広がっていた。黒い影が、闇を裂くようにこちらへ迫ってくる。耳に届くのは、悲鳴を上げるような車輪の軋みと、大地を叩き潰すかのような蹄の音。その一つひとつが、確実に距離を詰めてきていることを告げていた。
……なぜ、こんなことに。少しでも情報が欲しい。そう辺りを見渡して理解した。護衛が少なすぎると。かつて、傍にいた6名の騎士は、今は2名しか見当たらない。
残りはどこに、そう見渡して理解した。裏切られたのだと。盗賊たちを先導するように走る、4名の騎士。その姿に見覚えがあった。敵を認識し、瞬間的に俺は魔法を放った。退路を防げるように、敵が先導する馬の脚元めがけて。
だが、魔力は、霧のように虚空へと散り、理解する。第二婦人であるサラに嵌められたのだと。
「クソっ」
どうしようもない怒りで思わず座席を殴る。こんな時でも、窓側を選ばなかったのは、馬車の横転を防ぐためだった。まだ冷静でいられている。そう自分に言い聞かせる。
魔法を封じる高価な魔道具に、護衛の裏切り、それにこの馬車のスピードについてこれる盗賊なんていない。雇われた暗殺者か、傭兵だろう。
敵の距離は徐々に近づいていき、俺の魔力は霧散する。もし、上級魔法を使えたら、いや、魔力量があればそれを一点に込めて。こんな時に、才能のなさを痛感させられる。
「ふざけんなよっ……!!」
残る魔力をかき集め、精一杯魔力を込めた一撃を放つ。だが、それすらも容易防がれた。敵は怯むどころか、すぐそこまで迫ってくる。死ぬ未来がすぐそこまで迫っているのを、はっきりと感じた。
魔力も切れた絶望の中、思い浮かんでくるのは母の穏やかな笑顔と、アリスの無邪気な表情だった。そして————サラの、嘲るような笑み。
「ふざけるなっ!!」
必死に叫んでも相手は怯まない。どころか、獰猛な笑みを浮かべるだけだった。……僕は、死ねない。アリスを母さんを、守らなきゃ。もし僕がここで死んだら、誰が母上とアリスを護る!!
身体が恐れで震える、なけなしの魔力をどうにか捻りだすも防がれる。敵の刃が迫る中、突如衝撃が襲う。
————ガコンッ。
激しい衝撃に視界が揺れ、身体が宙に浮く。裂けた布が風を孕み、バサバサと音を立てる音が聞こ視界が定まって認識したのは、崖の下へと落ちていく外の景色だった。
敵の笑い声が聞こえ、顔を認識する。悔しさ歯を食いしばる。死にたくない。まだ死ねない。その思いだけが、すべてを支配する。落下していく中、どれくらいたっただろうか、水面が見えてくる。
————ドボンッ。
全身に叩きつけられる、深い衝撃。肉体が潰れるような感覚と共に、世界が暗転した。




