5
使徒は基本的に人間へ干渉しない。
始まりの使徒ガイストは無人の空間である第一層で閉じこもるように暮らし、二番目の使徒フロールは貴族ばかりが集う第二層で従者もつけず城を構えている。
例外が三番目の使徒ソル。彼だけは自らの担当する封印の周囲に都市を築き、従者をつけた。それこそがフリンデル=アダラ家の人間だった――はずなのだが。
「フリンデル=アダラ家の人間ではないノヴァが何故ソルの寵愛を?」
「そう思うのも無理はない話ですわ。しかし、ノヴァさんはれっきとしたフリンデル=アダラ家の人間なのです。当主と夫人のご令嬢なのですよ」
「フリンデル=アダラ家の令嬢はシェイアという娘一人のはずでは?」
シェイア。フリンデル=アダラ家の一人娘で、人格や知能身体能力、多くが優れた才女と名高い。その才能を買われ、若くして使徒ソルの傍仕えとして抜擢されたのだというのが通説だ。実際、ミソラの人々からは聖女のようだと慕われているのをイザヤは聞いたことがある。
「表向きにはそういうことになっております。しかし、フリンデル=アダラ家の娘は二人です。ノヴァさんはシェイア様と同じ日に誕生された、双子の令嬢の片割れなのです」
曰く、白の民のはずなのに黒に近い髪を持って生まれてきた彼女は異端児として扱われてきた。髪や目の色は遺伝し必ず引き継がれるはずだからだ。瞳の色は母である夫人の色とそっくりだったが、髪の色だけは先祖を辿っても同じ人物は見当たらない。双子の姉妹であるシェイアはノヴァを守ろうとしてきたが、周囲の目はそれを許さなかった。
困ったシェイアはこのことを使徒ソルへ相談した。一介の人間からの相談は軽くあしらわれると思われたが、少年の顔をした人外はあっけらかんと告げたのだ。
『じゃあ、彼女はボクが面倒みるよ』
こうしてノヴァは幼いころからソルに育てられ、直属の従者となったのだ。
そしていつの日か、彼女は使徒の寵愛を受けるようになり、当主の心配はシェイアへ人々の悪意が向かないか、という方向へ移る。すると、今度はノヴァがこう言った。
『ならば、私をいないものと扱えばいい。あの日、本当の双子は死産であり、錯乱した医者が慌てて同じ院にいた黒髪の赤ん坊を見せただけだと。フリンデル=アダラ家の娘は生き残ったシェイア一人なのだと』
幼い少女にしてはやけに大人びた、そして寂しい提案であった。しかし父である当主は素直に頷き、娘の一人を貴族の籍から除外することにしたのだ。
こうしてノヴァはフリンデル=アダラ家の娘ではない、という声明が出された。偶然、間違われて連れてこられただけの哀れな少女。縁があり働かせてもらっているが、ただそれだけの平民へとなり下がった。
「これは祖母から聞いた話ですが、ある日からノヴァさんの身に危険が迫るようになったと聞きます。階段から突き落とされたり、彼女が買い物へ出かければ強盗に巻き込まれたり。初めは偶然だと思っていたようですが、ミソラだけでなくノヴァさんが訪れる場所で何かしらの事件に必ず巻き込まれるため不審に感じ始めたそうです。そして先日、フリンデル=アダラ家に手紙が届いたことで彼女が狙われていることが明らかになったのです」
――フリンデル=アダラの、黒き髪の異端児は災いの種である。芽吹く前に枯らしてみせましょう。
便せんに刻まれていた紋章はネーヴェ=アーテル家のものだったという。
憶測ですけれど、とスフェンは苦々しく眉を寄せる。
「言ってしまえば、ネーヴェ=アーテル家はノヴァさんが使徒ソルに気に入られたことで中心部から追い出された一族です。彼女を消し、守り切れなかったフリンデル=アダラ家へ責任を追及することで中心部の統治権を取り戻そうとしているのかもしれません」
「それにしては紋章付きの手紙を出すのは杜撰だと思うが」
「そうかもしれません。しかし、紋章は偽造されたものでなかったそうなので……少なくとも手紙の主はネーヴェ=アーテル家の関係者ではあるのでしょう。そういうこともあり、使徒ソルはノヴァさんの安全を確保するためお屋敷のお掃除をしておりました。そのため、一時的にノヴァさんを霊林へ滞在させることにしたようです」
スフェンは掃除、と表現したが守るべき対象を遠ざけてまで何をやったのかは問うまい、とイザヤとエリヤは大人しく続きを待つ。オフェリエは軽く首を傾げた。
そしてスフェンは手帳から一通の封筒を取り出し、イザヤへ差し出した。封筒ごと折りたたまれていたのか、いくつも折り目がついている。
中身の手紙を取り出せば丸みを帯びた字で三行。
お掃除が終わったので、ノヴァを連れてきてほしい。不思議な三人組に任せてくれればいいよ。僕も彼らに話したいことがあるから。
ただそれだけが書かれていた。
「と、いうわけですの。本来ならばわたくしが送り届けるのが筋なのかもしれませんが、使徒ソルからのご指名ですので……」
「待ってください、何故使徒ソルは私たちのことを知っているのですか? 私たちは先ほど着いたばかりですし、ソルはこの場にはいないのに」
「仕組みはよく分からないのですが、何らかの方法でノヴァさんを見守っているようですの。この手紙も先ほどノヴァさんと話している最中に目の前に突然降ってきたんです。噓くさいですが、本当ですのよ」
ノヴァと深く関わるまでもなく使徒ソルに認知されてしまったようだ。背筋にうすら寒いものを感じるが、イザヤたちの第一の目的は使徒ソルが担当するメラグラーナの封印を解くことだ。出来すぎている気もするが、この機会を利用しない手はない。
「どうか、ノヴァさんを送り届けてくださらないかしら」
いいだろう、と迷いなく頷いたイザヤにスフェンはほっと胸を撫でおろした。
「ありがとうございます。では、ノヴァさんにも説明してきますわね」
振り向いた拍子に手帳から一枚の紙が滑り落ちる。それを拾い上げたオフェリエは、描かれた人物を見て目を瞬かせる。
幼い少年だ。物心もついていなさそうな、あどけない表情が可愛らしい。白い髪と銀色の大きな瞳、もちもちとしたほっぺ。
後ろでイザヤが盛大に頬を引きつらせたが、それに気づかずオフェリエはスフェンに尋ねる。
「スフェンさん、この方は」
「あら、私としたことが……拾って下さりありがとうございます。……とても愛らしい御方でしょう? 白の大貴族フリンデル=ウィット家の後継者であるアイゼア様――の幼いころの写真を複製したものです。今はもう立派な殿方に成長していると思われますが、この小さなお姿にわたくし、心を奪われてしまい――あらいけない涎が」
口の端から涎が垂れそうになるのを器用に誤魔化し、スフェンは写真を手帳に収める。
「わたくし、本業はフリンデル=ウィット家の騎士でして……端くれの身ではありますが、今はフリンデル=ウィット家の未来の当主であるアイゼア様の捜索を担当しております。皆様も何か知っていることがあれば些細なことで構いませんので、ぜひお話してくださいまし」
その日の夜はよく晴れていた。といっても、大樹クオーレの内側に黒い空と白い月を投影しているだけだが、雲が投影される日に比べれば随分と明るい。
オフェリエは裏口から外に出て、裏庭に出来た森の入口でじっと木々を見つめている。
葉や幹は白や黒といった無彩色で構成され、高さは不揃いなそれらにはある特徴があった。
どこかに、不自然な形状の部分があるのだ。例えば、枝に紛れて人間の指のような形の物体が生えていたり、幹に顔のような凹凸があったり。顔の方はどれも恐怖や苦痛といった表情ばかりだった。
初めて見るものだったが、オフェリエの脳に植え付けられた創世の女神クオーレの知識が教えてくれる。
――これは、木化の呪いが発症した者の末路だ。
人間としての意識はもう溶けて消えているだろう。
それでも、せめてもの祈りを捧げようと両手を組んだ。
そこへ、一人分の足音が近づいてきた。振り向けば、エリヤが二つのマグカップを手に歩み寄ってくるところだった。
「ここにいたんだね。はい、これ」
「これは? 甘い香りがします」
「ココア。甘くておいしいよ」
手渡されたマグカップを両手で受け取り、エリヤから促されるまま近くに置かれたベンチへ腰掛ける。
「ここで飲むのも変な気分だけどね。オフェリエは木化の呪いを見るのは初めて?」
「はい。とても痛ましい姿だと思います。罪もない人々がこんな姿になってしまうのですね。――メラグラーナの討伐を必ず成し遂げなければならないと改めて思います」
「そうだね。いくら発症率は低いとは言え、こんな木々が増え続けていいわけがない。……僕はね、君とイザヤなら呪いを終わらせることが出来ると思っているよ」
見上げたエリヤの笑顔は純粋にそう思っているようで、オフェリエはふと湧いた疑問を口にする。
「イザヤさんはなぜ、メラグラーナの討伐を目標としているのでしょうか」
「あ~。それは……」
少し視線を彷徨わせ、エリヤは続ける。
「呪いの終わりを、イザヤのいなくなってしまった叔父さんが願ったんだ。イザヤはそれを叶えようとしている。そのためだけに生きている」
「ということは、イザヤさんの叔父様は」
「そう。今から十年くらい前に木化の呪いで亡くなっている。――オフェリエ、昼間にスフェンさんが落とした写真の男の子を覚えてる?」
「はい。白の大貴族フリンデル=ウィット家の長男アイゼアさんでしたよね」
「うんうん。あの男の子、イザヤなんだ」
「……そうなんですか?」
すっかり成長して男前になっているが、確かに面影はあったような。
「行方不明になっていると伺いましたが」
「そう。……これは聞いた話だけど。イザヤは幼いころに当主夫人の弟であるラウールさんよって実家から連れ出された。イザヤを産んで間もなく亡くなった夫人を巡って当主マナセとの間でいざこざがあったみたいでね。それからしばらく二人で旅をしていたみたいだよ。そして、いろいろあってラウールさんは木化の呪いで亡くなった」
月が陰り、辺りがしんと暗くなる。
「物心つく前からラウールさんと旅をしていたイザヤにとっては彼が父親のような存在だったんだ。愛情いっぱいに育てられたイザヤがそんな大事な人の最期の願いを無碍にするはずがない。彼、ああ見えてとても優しい子だから」
「叔父様の願いは、イザヤさんがフリンデル=ウィット家に戻ると叶わないと?」
「お察しの通り。だからあの子は実家に戻りたがらない。そもそも血のつながりのある父親がいるってだけで、家族としての思い出もない場所だし戻りたくないのも仕方のないことかもしれない」
語るエリヤの顔はどこか寂しげで、オフェリエにはそれがひどく印象的に映った。それを振り切るかの如く緩く首を降ると、僅かに細められた灰と桜のオッドアイが慈愛に満ちた視線をオフェリエへ向ける。
「と、いうわけで。不器用だけどいい子だから、ぜひ助けてあげてほしいな」
「目的が一致する限り、私は協力を惜しまないでしょう。――ところで、そう仰るエリヤさんはなぜ、イザヤさんに協力するのですか?」
問われてエリヤは笑みを深くする。
「――たった一人で頑張る姿を見ていたら放っておけなくて。だからうっかり手を貸しちゃった」
大貴族の血筋とは言え、現状は放浪者の身分である人間が大聖堂に簡単に侵入できるはずもない。それなのに、無謀にも突撃して取り押さえられ、どうにか脱出して――といったことを繰り返しているのを見ていれば、なんだかお手伝いしたくなっちゃってさ。
それから警邏に追いかけられていたところを助けて、協力を申し出たのだという。強引な突破方法でなく、多少は時間がかかっても内部に入り込めるように環境を整えた。
「……それに、僕も呪いの核を殺してほしいと思っているから」
温度が下がったのは一瞬。気のせいだったかと思わせるような空気の変化に、オフェリエは首をかしげる。
「と、いうわけで。君もイザヤを見てたら分かるよ。こいつ、一人じゃだめだって」
手にしたマグカップの中身を飲み干すエリヤを真似て、オフェリエもココアを一気に流し込む。心地よい甘さが喉を通りすぎ、体の中から温まる感覚に身を浸す。
指し伸ばされた手をとり、ベンチから立ち上がる。
「さ、今日はもう休もう」
エリヤはあまりにも自然な動作で空になったマグカップを受け取り片手で器用に持ち直すと、自由になった片手の人差し指を立て、唇に添えた。しぃ、と微かに息を吐くと同時にウインクして見せた。
「今の、イザヤには言わないでね。勝手に話したことバレると怒られるし、恥ずかしがり屋だから」
「分かりました」
ここまで知っているということは、エリヤはイザヤに深く信頼されているのだろう。そのエリヤが話してくれたのだ、信頼に値する人間にならなければならない。
ひとまず、エリヤの言うようにイザヤのことを見てみようとオフェリエは思う。
メラグラーナ討伐までの旅はきっと長くなる。協力者のことを知っておいて損はないだろう。