握り締めた手から温もりが消えていくあの数秒をよく覚えている。
皮膚が、その下の筋肉が、すべてが次第に硬くなり、とても人間とは言えない姿へ変わり果てていくのをただ見ていることしか出来なかった時間を――よく覚えている。
「イザヤ」
どんどんと硬化していき話すこともままならないだろうに、あろうことか叔父は笑顔を浮かべてまだ子供だったイザヤの頭を撫でる。
症状が現れてからいつかこうなることは分かっていたはずなのに。
ただ目を見開いて涙を貯めることしかできずにいる。
「悲しまないで。これは必然。僕はいずれこうなる事が決まっていた」
叔父はまだ二十代という年若き青年だというのに? 人間の姿を失って死ぬことが、必然だと? これまでずっと一緒にいた自分をおいて逝く事が必然であると? それを、悲しむなと?
話したいことはいっぱいある。
しかし、感情がぐちゃぐちゃと絡み合い思考がまとまらない上に、喉の奥が焼かれたように熱くて、目の奥も熱くて、頭の中も割れそうに痛くて――どうしようもなく泣き喚きたくて一言だって口に出せやしない。
そんな甥を見て叔父はどう思ったか。
「よく聞きなさい。君は、この必然から逸脱した特別な子供だ。君だけはこの呪いから逃げられる。だから、怖がることもないんだよ」
それは、今までの中で一番優しい笑顔だった。
一瞬だけ時が止まったような気がして――叔父の手がイザヤから滑り落ちていく瞬間、再び動き出す。
雪白の髪を梳いていた指が力をなくし、地へと落ちる。
胸、腹、肩、足、首、あらゆる所から皮膚を裂いて芽吹く白い若木が叔父の体を飲み込んでいく様をただ見守ることしか出来なかった。
「君ならきっとこの呪いを殺せる――姉さんの仇を――あの子を――」
それが、イザヤを十年育てた叔父の最期の言葉だった。
木化の呪い。
呪いの女神メラグラーナが生み出した黒い大樹から発せられる呪いであり、その名の通り人間をモノ言わぬ木へと変貌させる。木へ成ったものは二度と元に戻らず、恐らく意識すら溶けて消える。故に、死の呪いとも呼ばれる。
呪いを解く手段はなく、「女神メラグラーナを殺せば呪いも解かれる」という無理難題がお伽話のように語られるのみである。
無差別に死をばら撒く行いを、創世の女神クオーレは許さなかった。
だから、急いでメラグラーナを封印する必要があった。偶然呪いの女神の近くにいた人間たちは巻き込まれるとしても、その他の大勢を呪いから守るために結界を貼り、その内側にメラグラーナと逃げられなかった人間たちを閉じ込めた。
それも、遥か昔の話。
メラグラーナの母親にして創世の女神クオーレですら彼女を封印することしか出来なかったというのに、呪いに蝕まれた人間たちがどうして神殺しを成し得ようか。大樹から逃げようとしても、クオーレの封印に巻き込まれ結界の中へ閉じ込められた自分たち人間はそれも叶わない。
老若男女関係なく、いつ訪れるかもわからない死の芽吹きを恐れて生きることしか自分達は許されていないのだから。
呪いが発生してからもうすぐ千年。幸い、発症率はそれほど高くないため未だ結界内の人類は絶滅せずにいられるが、こうして長い時を生き延びているのは奇跡に等しい。それでも、呪いから逃れる手段は見つかっていないが。
一人、色褪せた花畑を歩いていた少年イザヤはふと思い出した。
これまた大樹の形をした結界の内側、ただ一人呪いから逃れ続ける少女がいると叔父が語っていた。創世の女神クオーレの瞳と同じ色である翠玉の中に埋め込まれた少女。イザヤが生まれるよりもずっと前から存在していた神様の遺物。本当かどうかは知らないが、呪いが発症した人間が欠かさず祈りを捧げに通い続けた結果、死までの時間が少し伸びたとかいう迷信もある。
ただ、本当にこの少女が呪いを弾くような存在であるのならば――呪いの女神メラグラーナを殺すのに使えるかもしれない。
「俺は女神メラグラーナを殺す。お前がそれを望むというのなら」
この日、肉親を失った少年はこうして神殺しを誓うこととなった。