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第三話 女

 夏至祭の名残で熱の抜けきらない夜の通りを、白衣の男がよたよた歩いていた。肩に引っかけた酒瓶を片手で振り、護衛の影ひとつ連れない。

 第一王子――レナティウス・イン・グランパルマ。

 “白き愚者”と噂される本人が、気楽な口笛まで吹きながら雑踏をすり抜ける。


 石壁の一角を過ぎかけたとき、刷りたての号外と懸賞告知が目に飛びこんだ。

 『港湾倉庫で女変死 胸に刺突痕 身元情報求む』

 『犯人逮捕に五百レアトル』

 宵の風に紙がはためくたび、墨の見出しが暗い血の色に揺れる。


「なぁ、君、お酒いける感じ?」


 王子の砕けた声が、号外の前で立ち止まっていた黒髪の女の背にかかった。

 麦わら帽子のつばを傾けた女は、振り向きざまに目を細める。白磁の肌、真紅の唇。肩には緋色のショール。長手袋が肘上まで隠し、袖口の縫い目はわずかに膨れていた。


「え?」

 ふいの言葉に女が足を止める。王子は眉を跳ね上げ、口角を大きく吊り上げた。


「お? めちゃかわいいじゃねえか。かわいい子とは一晩共にしたいね。どうだ? 俺、ベッドの上じゃあいい働きするぜ?」


 下卑た冗談に、往来の視線が冷える。

 祭帰りの商人が鼻で笑い、水夫は肩をすくめる。

「護衛も連れずに女漁りかよ」「あれが次の王?冗談きつい」――小声の嘲りが石畳に落ちた。


 女は王子の軽口を受け流すように、再び号外に目を戻す。

 見出しの似顔絵は「判別不能」と書かれているが、輪郭はどこか彼女自身と重なる。帽子の影で翳った瞳が紙面をなぞり、唇がわずかに歪んだ。


(――死んだはずのあたしを、まだ探してるのね。甘いこと)


 心の声を誰も聞かない。

 レナティウスはそんな内情など意にも介さぬ(てい)で、女の肩を軽く叩いた。


「張り紙なんか見ても腹ふくれねぇって。さ、飲みに行こうぜ! 今夜は月も上物、酒もうめぇぞ」


 女は短く笑った。

 笑みは氷のように薄く、指先で号外の端を千切り取ると、ついでのように風へ放る。紙片が夜気に舞い、街灯の下でひらひら落ちた。


 長手袋の内側――親指の付け根に仕込まれた細い刃が、衣擦れでわずかに光る。だが王子は気づかない。いや、気づかぬふりで通り過ぎたのか。酔った足取りは相変わらず千鳥だが、誰にもぶつからず、小石ひとつ踏まない。


 王子と“死んだはずの女暗殺者”は並んで歩き、煉瓦造りの老舗酒場《マリアの砦》の扉をくぐった。

 街路に残った号外は薄い風にめくれ、一枚また一枚と石畳に剥がれ落ちる。

 酒と嘲笑と月光が入り混じる王都の夜。その奥で、まだ誰も知らない一局の駒が静かに動き出していた。

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