1年目6月:第七話「ずれる音、ふれる音」
六月、梅雨入り。
窓の向こうで、雨がぽつぽつと音を立てていた。
箏の弦を伝って落ちる雫のような雨。
しっとりと空気が重くて、だけど、心のどこかがそわそわする。
今日から、合奏が始まる。
「じゃあ……“さくらさくら”から入っていこうか。全員、一の糸は確認してねー」
茉莉先輩の明るい声が響く。
“さくらさくら”――春に習った旋律を、今度はみんなで合わせる。
簡単なメロディ、でも合わせるとなると話は別だった。
「せーの、いち・に・さん・はいっ」
ぽん……ぽん……ぴん……ぽろ……
最初の一小節から、音がバラけた。
誰かのタイミングが早くて、誰かの爪が弦をすべった。
音楽室の空気が、すぐに気まずくなる。
「うーん……ごめん、いま、どこでずれたか分かった人ー?」
茉莉先輩が問いかけても、誰も手を挙げなかった。
澪も手を膝にぎゅっと置いて、うつむいた。
自分のせいかもしれない。でも、自信がない。
だって、耳がまだ“全体の音”を拾えてない。
隣を見ると、亜季は相変わらず静かな表情で、譜面を見つめていた。
「また、始めましょう」とでも言いたげな、整った顔。
「合わせるって、難しいね」
小さく澪がつぶやくと、亜季が少しだけ顔を向けた。
「……うん。でも、それが楽しいんだよ」
「ずれてるのに?」
「うん。ずれてるから、気づけることもある」
そう言った亜季の言葉に、澪は思わず顔を上げた。
「ずれて、気づく……?」
「自分がどんな音を出してるのか、他の人がどんな音を持ってるのか……ばらばらだからこそ、わかることってあるよ」
その言葉は、まるで自分のために用意されていたかのように感じた。
合奏は、そのあとも何度も崩れた。
でも、一度だけ──短い時間だけ──全員の音がきれいに重なった瞬間があった。
そのとき、澪の手の中にある箏が、かすかに“震えた”ように感じた。
音がふれあって、ひとつの輪を描いた気がした。
「……いまの、一瞬だけど、すごかったね」
休憩時間、澪がつぶやくと、茉莉先輩がにっこり笑った。
「ね。そういうのを“合奏の魔法”って呼ぶんだよ。だからやめらんないの」
雨の音はまだ続いている。
だけど、澪の胸のなかには、確かなあたたかさが残っていた。
“誰かの音にふれる”って、こういうことかもしれない。