2年目7月・第3話「風が通る、その瞬間
七月の終わり、夏休み前の最終登校日。
放課後の音楽室は、いつもより静かだった。窓を開けると、風がそよそよと畳の端をなぞっていく。
「……じゃあ、始めようか」
茉莉が言った。前回の選曲会議から一週間。
それぞれが持ち寄った案を、今日もう一度出し合うことになっていた。
茉莉は古典重視の案、宮下は最新アニメ曲のアレンジ版。亜季は技術的な魅せ方にこだわる構成を提案した。
どの案にも良さがあって、でも、どこか「決定打」がなかった。
――その空気を切ったのは、澪だった。
「……あの、私からも一つ……案が、あります」
全員が、澪を見る。
手には小さな楽譜ノートと、録音したスマホ。
「これは、まだほんの一部分だけなんですけど……その、
いろんな音があって、全部違ってて、それでも“ひとつ”になれるような、
そんな曲を作ってみたいって、思ったんです」
おそるおそる、スマホの再生ボタンを押す。
流れてきたのは、風のように優しく、でもどこか切ない旋律。
シンプルな主旋律に、箏の細やかな余韻が溶けていく。
音が止まったあと、一瞬、部屋が静まり返った。
「……すごいね」
茉莉が、ぽつりと呟いた。
「ねえ、これ、なんていう曲?」
澪は、少し頬を染めて答える。
「『風に乗せて』……って仮のタイトルです。
“誰かのため”とか“正しい音”とかじゃなくて、
“今の私たちの音”を、そのまま重ねてみたら、こうなりました」
宮下が、驚いたような顔で言った。
「……こんな音、箏で出せるんだな……すげぇ……」
亜季も、小さくうなずく。
「余韻の作り方が、いい。音と音の“あいだ”が、生きてる」
「そっか……」と澪は、安堵と恥ずかしさの混じった笑みを浮かべた。
誰かを驚かせたいわけじゃない。
何かに勝ちたいわけでもない。
ただ、「ここにいる私たちの音」を、まっすぐに鳴らしたいだけ。
その気持ちが、風みたいにみんなの間を通り抜けた。
「……じゃあ、それ、やってみようか」
茉莉が微笑む。
「“今の私たちの音”。文化祭の曲は、それに決まりだね」
音楽室の空気が、少し柔らかくなった。
まるで、風が通ったあとの、心地よい静けさ。
澪は、心の奥でふと感じる。
――音って、誰かとぶつかるためじゃなく、
誰かに寄り添うためにあるのかもしれない。
この音を、重ねていこう。
この風を、逃さずに。
そんな新しい始まりの予感が、畳の上をそっと吹き抜けていった。




