2年目6月・第3話「ひとつの音になるとき」
土曜の午後、音楽室には風が通っていた。
梅雨の晴れ間。窓から射す陽の光が、畳の上に淡く模様を描いている。
「……今日は、通してみようか」
茉莉の提案に、誰も反論はなかった。
皆、前回の練習から何かが変わったことを、どこかで感じていた。
亜季の表情は柔らかく、宮下は軽く肩を回しながら「よし」と気合いを入れている。
後輩たちも緊張しつつも、いつになく集中した面持ちだ。
澪は、手のひらの汗をそっと拭った。
心のどこかに、ふわりとした期待がある。
今日は、昨日までとは違う音が出せるかもしれない。
——始めよう。
茉莉のカウントに合わせて、最初の音が鳴る。
ぱん、と乾いた弦の音。続けて、風を撫でるような旋律。
それぞれのパートが重なり合っていく。
澪は、譜面を追いながらも、耳を澄ませる。
自分の音だけじゃない。
左隣の亜季の音、右隣の後輩の音、後方の宮下のパート。
目には見えない糸のようなものが、音と音のあいだに浮かび上がる。
絡まり、すれ違い、そして——ふっと、結ばれる。
——いま、合った。
一瞬だった。でも、確かに「ひとつ」になったと感じた。
誰かの音に合わせたのではない。
全員が、互いを聴こうとした音が、重なったのだ。
曲が終わる。最後の和音が畳にしみ込むように消えていく。
しん、と静まる音楽室。
そして、小さな拍手が起きた。宮下だった。
それに続いて、皆がふわりと笑う。
「やっと、合った気がする」
亜季がぽつりと言った。
その声には、あの冷たい鋭さはもうなかった。
代わりに、あたたかさと、少しの安堵が混じっていた。
「……うん。聴いてた。ちゃんと、みんなの音を」
澪の声がかすかに震える。
嬉しさが、胸の奥で静かに膨らんでいく。
「音って、返ってくるんだね」
澪が言うと、茉莉がにっこり笑った。
「うん。届けようとしたら、きっとね」
窓の外、風がそよいだ。
カーテンが揺れて、午後の光が一瞬、畳を照らす。
その瞬間、澪は思った。
これが、合奏。
ただ音を揃えるだけじゃない。
お互いを思いながら、耳を澄ませて、心を寄せて、音を差し出すこと。
たった一度の、でも確かに「繋がった」演奏。
それは、澪の中に、ずっと残っていく音になった。




