2年目6月・第2話「亜季、沈黙の理由
音楽室の鍵を開けると、もう誰かが中にいた。
「……あ、先輩」
宮下 陽が、箏の前でぽつんと正座していた。
譜面を広げたまま、じっと指先を見つめている。
「早いね」
「うん……昨日のズレ、気になってて」
澪は、黙って隣に腰を下ろした。
窓の外には梅雨空。曇った光が畳を淡く照らしている。
「昨日さ、亜季ちゃん……なんかピリピリしてたよね」
「うん」
亜季の表情が忘れられなかった。
冷たいとか、怒ってるとかじゃなくて。どこか、苦しそうだった。
「でもね、俺、わかる気がした」
宮下はぽつりと言った。
「たぶん、期待してるんだと思うよ。俺たちに」
「……期待?」
「亜季先輩って、自分にも他人にも厳しいけど、たぶんそれって“ちゃんと向き合ってる”からで」
「……うん」
澪は目を伏せた。
ずっと、自分の音が足を引っ張ってるんじゃないかと、不安だった。
でも、違ったのかもしれない。
“音を合わせる”ってことは、
ただテンポを揃えるんじゃなくて、気持ちを寄せることなんだ。
それができていない自分たちに、
亜季は——言葉じゃなくて、態度で伝えようとしていたのかもしれない。
「……話してみる」
澪は、そう言って立ち上がった。
その日の夕方、亜季はいつものように最後まで残って練習していた。
「……亜季ちゃん」
「なに」
澪は、箏の前にしゃがみ込みながら言った。
「昨日、“もっと練習して”って言われたとき、正直、傷ついた。でも……」
「……でも?」
「たぶん、亜季ちゃんは、私たちのこと、ちゃんと見てくれてたんだと思う」
「……」
「音、合ってないのに、誰も何も言わない。誰も“向き合おう”としない。
だから、怒ってたんじゃなくて、……悔しかったんじゃない?」
亜季は、静かに目を伏せた。
「……去年の文化祭、覚えてる?」
「うん。覚えてる」
「私、あのとき、みんなで音を出すのが楽しかった。心から、そう思った。
でも、今の練習、……ただ音を出してるだけみたいで、なんか、やだなって」
やっと、亜季の声がやわらいだ気がした。
その小さな言葉のなかに、たくさんの想いが詰まっていた。
「ごめんね。私も、自分のことでいっぱいいっぱいで……聴こうとしてなかった」
「……私も。言葉にするの、苦手で」
沈黙。けれど、それは昨日までの“すれ違いの沈黙”ではなかった。
「——また、一緒に合わせよう」
「うん。“気持ち”も、ね」
ふたりの視線が、ふっと交わる。
まだバラバラかもしれない。まだ不器用かもしれない。
でも、それでもきっと、音は変わっていく。
静かな音楽室に、やさしい予感が、そっと満ちていった。




