1年目3月・第3話:第三十六話「名前を呼ばれるその日まで」
終業式の日、校舎はどこか浮き足立っていた。
1年が終わる。その実感は、廊下のざわめきや、教室のにぎやかな片付け音の中にあった。
澪は最後のホームルームを終え、鞄を肩にかけながら、
そっと音楽室へ向かった。
今日は部活はなかったけれど、どうしてももう一度、この空気に触れておきたかった。
音楽室の扉を開けると、畳の匂いと、薄明かり。
ああ、ここが“帰ってきたくなる場所”なんだと、改めて思った。
「……やっぱり、いた」
背後から声がして、振り返ると、茉莉先輩がいた。
「部長、来年度もよろしくね。って、私もう引退だけどさ」
冗談めかして笑うその横顔に、どこか柔らかい影が差している。
「……来年、私たちが新入生を迎えるんですね」
「そう。君たちが、次の“柱”になるんだよ」
その言葉に、澪の心が少しだけ揺れた。
“柱”。
自分が、誰かを支える側になる。
今までは想像もできなかったことだった。
「……私、できるでしょうか」
ぽつりとこぼれた本音に、茉莉はゆっくりと頷いた。
「できるよ。澪は、人の音をちゃんと“聴ける”子だから」
その言葉が、胸のどこか深いところに落ちていく。
言葉じゃなくて、音のように。
茉莉が帰ったあと、澪はひとり、古い譜面台を見つめていた。
その端には、佐伯先輩の小さな手書きの指番号が残っている。
「伝えるって、こういうことなんだな……」
誰かが遺した痕跡が、次の人の道しるべになる。
自分も、いつか、そうなれたら。
澪は箏の前にすわり、音を鳴らした。
ぽん、とひとつ、優しい音。
それは、春の始まりを告げるように、静かに部屋のなかに響いた。
名前を呼ばれるその日まで――
あと、少し。




