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『風音のあとで』  作者: 南蛇井


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34/50

1年目3月・第1話:第三十四話「春の足音、畳の上に」

 卒業式の翌日、校内は妙に静かだった。

 昨日までの喧騒が嘘みたいで、廊下に響く足音もまばらだ。


 


 澪は、昼休みにひとり音楽室へ向かった。

 春の陽ざしは窓越しにあたたかく、畳の香りがほんのりと揺れていた。


 


 佐伯先輩の演奏が終わってから、数日。

 部としての活動も、次の代へとゆっくり動き出す準備段階に入っている。

 けれど、この部屋にはまだ“余韻”が残っていた。


 


 澪はそっと箏に手をかけて、座る。

 爪は持ってこなかった。ただ、静かにその前に座ってみたかった。


 


 (先輩、もうここにはいないんだな……)


 


 そう思ったとたん、胸の奥が少しだけ空っぽになった。

 でも、寂しさとは少し違う。ぽっかりと、そこに何かを「預かった」ような感覚。


 


 (今度は、私たちがこの音を守っていくんだ)


 


 心の中でそうつぶやくと、箏の弦がかすかに揺れたように見えた。


 


 風が吹いていた。

 窓の隙間から入りこんだ春風が、カーテンをわずかに揺らす。


 


 視線を上げると、窓の外、校庭の桜のつぼみが少しだけ膨らんでいた。

 春は、すぐそこにある。


 


 「……ねえ、澪」


 


 振り返ると、いつの間にか亜季がいた。

 鞄を肩にかけたまま、部屋の入口に立っている。


 


 「一緒に、少しだけ弾いていかない?」


 


 「……うん」


 


 ふたり並んで箏に向かう。

 何も言わなくても、自然と手が動く。

 ぽうん、と一音。もう一音。


 


 旋律も、曲名も、何も決めていない。

 けれど、春の気配が、そのまま音になったようだった。


 


 ふたりだけの、ささやかな音の対話。

 そのやわらかな時間のなかで、澪はほんの少し、**「先輩になる」**という言葉を、近く感じていた。

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