1年目2月・第3話:第三十三話「この部屋で、また音を鳴らす」
卒業式の翌日、音楽室の鍵を借りて、澪はひとりその扉を開けた。
薄く曇った窓から、やわらかな陽が畳に差し込んでいた。
壁際にはいつも通り箏が並び、静かに、そこに“居た”。
佐伯先輩がいない音楽室。
でも、空気がからっぽだったわけではなかった。
(昨日の音が、まだ残ってる)
箏を一面だけ取り出し、正座する。
爪をはめる指が、すこし震えていた。
(ひとりで、弾けるかな)
だけど、澪は弾きたかった。
昨日聴いた「六段の調」を、自分の音でなぞってみたかった。
ぽうん。
一音目が、部屋に落ちる。
それは昨日とまったく違うのに、確かに「つながっていた」。
思い出すのは、佐伯先輩のあの背中。
舞台の真ん中で、静かに微笑みながら奏でた人の姿。
「音って、心の余白に入ってくるんだよ」
その言葉が、爪の動きに重なる。
澪の「六段」は、たどたどしい。
けれど、想いがこもるたびに音に柔らかさが宿る。
最後の音を響かせ、ふっと肩の力が抜けたとき、
澪はぽつりとつぶやいた。
「またここで、音を鳴らすよ」
この部屋が好きだ。
この音が好きだ。
そして――この“つながり”を、大切にしたい。
そのころ、佐伯先輩は引越しの準備の合間に、一通の手紙を開いていた。
それは、自分宛てに残しておいた未来への便りだった。
「音は残る。わたしの中にも、あの子たちの中にも」
微笑んで、封を閉じる。
心のなかに、もう一度だけ澪たちの音がふわりと響いた。




