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『風音のあとで』  作者: 南蛇井


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32/50

1年目2月・第2話:第三十二話「“さよなら”の音階」

卒業演奏会の日、空は雪の名残をかすかに残していた。

 正門の花壇には、朝日を浴びた霜柱がきらきらと光っている。


 


 体育館の舞台袖、澪は緊張で手のひらが汗ばむのを感じていた。

 この日で、佐伯琴音先輩が本当に“箏曲部の先輩”でなくなる――

 それが、じわじわと胸に沁みていた。


 


 「澪ちゃん」


 


 声をかけられ、振り向くと佐伯先輩がそこにいた。

 白い袴姿。箏の音のように、凛として美しかった。


 


 「緊張してる?」

 「……はい。なんだか、泣いちゃいそうで」

 「泣いてもいいよ。でもね、今日だけは、ちゃんと“音で”泣くの。いい?」


 


 澪は目を見開いた。


 


 「音って、心の余白に入りこむから」

 「余白……」

 「そう。強い気持ちも、弱い気持ちも、そこには入らない。でも、“別れ”は、たいてい余白に生まれるの」


 


 佐伯先輩は、にこりと笑った。


 


 「じゃあ、いってくるね。最後の“六段”、聴いてて」


 


 そう言って、舞台へと向かっていった。


 


 照明の下、舞台の中央。

 ゆっくりと、佐伯の爪が動き、一音目が鳴る。


 


 それは、深い井戸の底から立ち上るような、静かな音だった。

 でも、その静けさの中に、確かに“何かが終わる”気配があった。


 


 (これは……)


 


 音が重なり、旋律が流れ出す。

 優しい。でも、どこか胸をつかまれるような苦しさもある。


 


 「この人の音が、好きだった」


 


 ふいに、澪の心から言葉がこぼれた。


 


 技術でも、完璧さでもない。

 その人が、そのまま音になったような――そんな響きだった。


 


 ステージの端で、何人かの保護者が目頭を押さえていた。

 澪の母も、そっと目に手をやっていた。


 


 最後の段、終止符の音。

 深くて、静かで、何も言わないのにすべてが伝わるような音だった。


 


 澪は目を伏せて、そっと涙を流した。


 


 それは悲しみの涙ではなく、確かに「ありがとう」と「さよなら」が重なった涙だった。

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