1年目1月:第三十話「ことばにしてよかった」
体育館の一角、特設された畳舞台の上に、澪たちは正座していた。
後方に書道部の子たち、前方に観客席。
とはいえ、その大半は他の文化部の生徒や保護者、教員だった。
「書道と箏のコラボレーションは、今年が初めての試みです」
マイクを握る生徒会の男子が少しだけ噛みながら紹介していく。
「演奏中に、書き初めの即興が行われます。
演奏者が思い描いた“ことば”を、書道部員が受け取って書にするという——」
少し解釈を間違えてるけど、まあいいか、と澪は心の中で思った。
ひとりずつ順番に演奏が進む。
茉莉先輩の“ひかりの渦”は、まるで空気が震えるような音だった。
亜季の“霧の調べ”は、繊細で鋭い、無言の詩のよう。
そして。
「次の演奏は、一年・綾瀬澪さんによる《風に鳴る》です」
その瞬間、澪の心臓が一回、大きく跳ねた。
(わたしの“ことば”が……呼ばれた)
譜面には正式なタイトルとして書いたわけじゃなかった。
でも茉莉先輩が見つけてくれて、「これ、澪の“曲名”でしょ」と言ってくれた。
あの瞬間から、“風に鳴る”はもう、澪の音になった。
小さく息を吸い、弦をはじく。
音は、思っていたよりも穏やかに始まった。
冬の午後の光が、薄く降るように。
途中、書道部の子の筆が動いた。
太い筆先が、白い紙の上で、風のように揺れながら、文字をつむいでいく。
「風」
「淡」
「羽」
「綴」――
音とともに、ことばが生まれていく光景に、澪は不思議な感情を覚えていた。
それは、自分の音が、誰かの中で“意味”を持ち始める感覚。
最後の音が静かに消えたあと、拍手が起こった。
その中に、ひとりの観客が澪の近くに寄ってきて、声をかけてくれた。
「……なんだか、すごく静かな風景が浮かびました。
“風に鳴る”って、ぴったりの名前ですね」
澪は驚いて、でも少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます……」
たった五文字の、ひとりでつけた名前。
だけどそれが、誰かの心に残った。
帰り道、澪はふと思った。
ことばにするのは、ちょっと怖かった。
でも、ことばにしたから、ちゃんと届いた気がする。
“風に鳴る”は、まだ未熟な音だったかもしれない。
でも、あの瞬間、澪の心と音が、ひとつのことばで結ばれた。
その喜びが、胸の奥でずっとあたたかく響いていた。
1月の締めメッセージ
「ことばは、音に重なると風になる」
澪はまだ、その意味をすべて知らない。
けれど今はただ、“音を伝えること”の第一歩を、確かに踏み出した。




