1年目1月:第二十九話「君の音に名前を」
冬の午後。体育館横の和室で、箏曲部と書道部の“合同練習”が始まった。
座布団が並べられ、部員が入り混じる空間は、どこかぎこちなくて新鮮だった。
「よろしくお願いしますっ!」
書道部の一年生たちが、ぴしっと頭を下げる。
箏の前に座る澪の指先が、すこし汗ばんでいるのが分かった。
となりでは亜季が、黙々と爪を調整していた。
「じゃあ今日は、お互いの“音”と“書”がどう交わるか試してみましょう」
茉莉先輩がにこやかに進行役を買って出る。
はじめは、簡単な調べを演奏し、それに合わせて書道部が筆を走らせる。
リズムに乗るというより、音から受けた印象で自由に書くというスタイルだった。
柔らかい旋律に合わせて書かれた文字は「雪」。
低音が響くと「底音」。
茉莉先輩の鋭い旋律には「裂風」なんて言葉が現れる。
見ているだけでも、不思議な感覚だった。
自分の音が、誰かの“ことば”になる。
「じゃあ次、澪の番ね」
茉莉先輩に名指しされて、思わず背筋が伸びる。
(わたしの音が……どんな言葉になるんだろう)
深く息を吸って、静かに爪を当てる。
曲は冬の調べ──昨年末に演奏した、あの“ことばにできなかった音”をもう一度。
弾いているうちに、あのときの気持ちが、胸の奥から浮かび上がってくる。
不安と、あたたかさと、少しの希望。
演奏が終わる。
静かに筆が走る音がして、書道部の女の子が一枚の紙を掲げた。
そこにあったのは――**「風」**の文字。
澪は、息をのんだ。
「……風」
「なんか、ふわっとしてるんだけど、触れた気がした。
音って、風に似てるかもって思ったの」
それは、澪自身が言葉にできなかった印象だった。
誰かが、澪の音のかたちを見つけてくれた気がした。
その日の放課後、澪はひとり、音楽室に残った。
あの曲の旋律をもう一度なぞりながら、ぽつりとつぶやく。
「……風に、鳴ってたのかな」
小さな声だった。
でもその言葉は、すっと澪の中に落ちていった。
譜面の片隅に、そっと書いた。
「風に鳴る」
それは、誰に見せるでもない、自分だけのタイトル。
でも、それを書いた瞬間、自分の音が“ここにある”と感じた。
音に名前をつけること。
それは、ただの言葉じゃなかった。
自分が出した音を、自分で受け止めてあげることだった。
窓の外、風が吹いていた。
その音が、遠くで自分に「それでいいよ」と言ったような気がした。




