1年目12月:第二十六話「リハーサルの空白」
「……はい、じゃあ、次の曲、合わせていきましょう」
音楽室に立つ佐伯先輩の声が、少しだけ緊張していた。
今日は、校内音楽発表会の通しリハーサル。
立ち会ってくれる音楽科の先生も後方に座っていて、
澪の手は、爪をつけたままじっと震えていた。
(ちゃんと伝えなきゃ。気持ちを、音に)
(今まででいちばん、届く演奏にしなきゃ……!)
そう思えば思うほど、指がぎこちなくなる。
音が、先に出ようとして焦る。
――ざらり。
思わず、ひとつ音を引っかけた。
焦って持ち直すが、音色が揺れているのが自分でもわかる。
周囲の音と、呼吸が合わない。
澪は必死に“伝えなきゃ”“伝えなきゃ”と心のなかで叫ぶ。
けれど、それがかえって音をからっぽにしていた。
やっと最後の音が鳴り終わったとき、
澪は、自分の肩がひどく強張っているのに気づいた。
「……ちょっと、空回りしてたね」
練習後、佐伯先輩が優しく言った。
「気持ちがあるのはすごく伝わった。
でもね、無理に“何かを伝えよう”って思いすぎると、
音の中が空っぽになることもあるんだ」
“音の中が空っぽ”。
それは、澪が最も恐れていたことだった。
その夜、澪は家で自分のリハーサル音源を聴いてみた。
スマホ越しに流れる自分の音。
不思議なことに、それはたしかに“音”なのに、
まるで“中身”がないように感じられた。
(これ……、何も伝わってない……)
自分の演奏が、ただの音の羅列になっていた。
“伝えなきゃ”という焦りが、音をうすく、軽くしていた。
「……どうすれば、ちゃんと、気持ちが届くんだろう」
夜の自室でつぶやいたその声も、澪には頼りなく感じられた。
けれど、その翌朝。
まだ誰もいない音楽室にひとり入り、澪は箏の前に座った。
寒さで畳が冷たかったけれど、それよりも――心が静かだった。
(うまく伝えようとしないでいい)
(ちゃんと、自分の“今”を音にすればいい)
そう思って弾いた音は、昨日のリハーサルとはまったく違う、
小さくても確かな響きを持っていた。
ぽろり。ぽろん。
音が、心のなかから生まれていく。
今度こそ、音楽会本番でこの気持ちを込めた音が鳴らせるように。
そう願って、澪は静かに弾き続けた。




