1年目12月:第二十五話「ことばにならない気持ち」
冬の音楽室は、畳がひんやりとしていて、
足をついた瞬間、澪は少しだけ身震いした。
窓の外には霜が降りていて、木々の枝も硬く見える。
早朝の白んだ空気の中、爪をつける手元も少しだけぎこちない。
「……寒いね」
先に来ていた亜季が、ぽつりとつぶやいた。
「うん。でも、弾き始めると、ちょっとだけ……あったかくなる」
それはほんの気休めみたいな言葉だったけれど、
亜季は静かに頷いてくれた。
今月末に行われる**校内音楽発表会(冬の音楽会)**に向けて、
澪たちは少しずつ練習を本格化させていた。
今回は、部としてだけではなく、
部員それぞれが「誰のために演奏するか」を考えるという新しい試みが加わっていた。
「私はさ、やっぱり家族かな」
朝練に来た茉莉先輩が、箏を組みながら話す。
「去年、家族が来てくれて、『思ってたよりすごい』って言ってくれたんだ。
それがうれしくてさ。だから今年も、ちゃんと“伝わるように”って思ってる」
その言葉を聞いて、澪は箏の上に置いていた手を止めた。
(わたしは、誰のために弾くんだろう)
そう聞かれても、すぐには答えが出なかった。
自分が箏に惹かれたのは、
ただ音が好きで、「静かでいられる場所」だったから。
けれど、いまは「届けること」も求められている。
では、何を? 誰に?
「……ねぇ、亜季は?」
唐突に聞いてみた。
亜季は箏を弾く指を止め、少し考えてから言った。
「私、誰って決めてないかも。
でも、“音にしたい気持ち”はある。ことばにできないようなものを、音で出せたらいいなって思ってる」
“ことばにできないようなもの”。
澪は、その言葉に心をとめた。
(わたしにも……あるのかな)
胸の奥のもやもやや、
緊張でうまく話せないもどかしさや、
感動したときの涙の理由。
あれも、きっと言葉にするのは難しい。
「ことばにならない気持ちを、音に……」
呟いたその響きが、自分の中に静かに残った。
放課後。
教室から音楽室に向かう道すがら、冬の夕陽が赤く校舎を染めていた。
風の冷たさに襟を立てながら、澪はそっと決意する。
(わたしも、自分の“ことばにならない気持ち”を、音にしてみたい)
それが、誰かに届くかどうかは分からない。
でも――それでも、伝えたいと思う何かが、自分の中にもある気がした。
その夜、澪ははじめて、曲の楽譜に**「伝えたい気持ち」**をメモに書き込んだ。
文字にしきれない言葉たちの、ほんのさわりだけでも、音に乗せてみたくて。




