1年目11月:第二十三話「録音の向こうの誰か」
「はい、カメラ回しまーす!」
その声が響いた瞬間、澪の手がぴたりと止まった。
音楽室の空気が一段冷たく感じられる。
今日は、来月の中学生向け学校説明会に合わせて、箏曲部が部活動紹介用の動画撮影を行う日だった。
内容は簡単。短い自己紹介と、2分ほどの演奏。
……のはずだった。
でも、澪は予想以上に緊張していた。
演奏する相手の顔が見えない。
「誰かが見る」はずなのに、その「誰か」がどこにもいない。
「映像って、逃げ場ないね」とぼそっと言ったのは、宮下だった。
「音も顔も、後で何度でも見返せちゃう。変に意識しちゃうよな、こういうの」
それを聞いて、澪は思わず首を縦に振った。
普段の演奏以上に、何をどう見られるかが気になってしまう。
自分の声はどうだろう。姿勢は? 表情は?
そして何より――音は、ちゃんと届くんだろうか。
「澪、次お願いね」
カメラを回す放送部の生徒に促されて、澪は箏の前に座った。
録音マイクとカメラレンズが、無言でこっちを見つめている。
(やだ、怖い……)
でも、やめるわけにはいかない。
きっと、どこかでこの動画を見てくれる子がいる。
――過去の自分のように、「どの部にしようか迷ってる子」。
そう思った瞬間、澪の中で何かが少し変わった。
(そうだ。今の“自分”を見せよう)
(上手にじゃなくて、ちゃんと“届けるつもり”で弾こう)
深呼吸をひとつ。
それから、最初の音を鳴らす。
ぽろり、ぽろん。
冬の音楽室に、やわらかい音が広がっていく。
それは、完璧な演奏じゃなかったかもしれない。
でも、間違えずに最後まで弾いた。
「ありがとうございました」
カメラに向かって、小さな声でそう言った自分に、少しだけ誇りを感じた。
動画を見た人が、どう思うかは分からない。
でも、きっと――あの時の自分と同じように、「何かに惹かれる」誰かがいる。
「声は届かなくても、音は届くかもしれない」
それは、澪が箏を始めてから初めて感じた、“未来の誰か”とのつながりだった。




