1年目11月:第二十二話「はじめての“外”の空気」
十一月、土曜日の朝。
冷たい風が制服の裾を揺らすなか、澪は市民会館の裏口に立っていた。
今日は地域文化祭の催しで、箏曲部の出張演奏がある。
出演時間は午前十時半。あと二十分。
市民ホールの舞台裏はざわざわとした空気に満ちていて、澪の心拍数もそれに合わせて高くなる。
「どう?緊張してる?」
茉莉先輩がにこっと笑いながら訊いてきた。
でも、澪はうまく笑い返せない。ただ、こくりと頷いた。
学校の文化祭とは違う。
観客は先生でもクラスメイトでもない。
知らない人たちの前で弾くということが、こんなにも怖いなんて、思っていなかった。
舞台袖に控えていると、隣のブースから聞こえる太鼓の音や、朗読劇の声が混ざってくる。
舞台の幕の向こうでは、小さな子どもたちが走り回っているらしい笑い声。
澪の手は、膝の上で静かに震えていた。
「大丈夫、ちゃんと準備してきたんだから」
佐伯先輩が小声でそう言ってくれる。
その声で、少しだけ、胸がゆるんだ。
いよいよ出番。
係の人に促され、部員たちは舞台の上に上がっていく。
澪は深呼吸をひとつ、ふたつ。
会場には、お年寄りから小さな子どもまで、さまざまな人が座っている。
そのどの顔も、澪には「知らない人」だった。
(大丈夫、大丈夫)
澪はそっと箏の前に座り、正座を整えた。
深く頭を下げてから、爪を構える。
最初の音が、澪の指から鳴った。
——ぽろん。
舞台照明の下、箏の音がホールの空気を震わせた。
少し緊張していたけれど、音は思っていたよりまっすぐに届いていった。
重なる音、響き合う旋律。
部員たちの呼吸が合っていく感覚。
(……あ、いま、音が“ひとつ”になった)
その一瞬の心地よさに、澪は自分でも驚いていた。
そして演奏は、静かに終わった。
拍手がわっと広がる。
澪の胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
(……知らない人にも、届いたんだ)
「良かったね、ちゃんと伝わったよ」
控室に戻る途中、亜季がぽつりとそう言った。
「伝わった……かな?」
澪は思わず聞き返す。
「私は、そう思った」
ただそれだけの言葉なのに、胸の奥がまた温かくなる。
帰り道、ホールの外で通りすがりのご婦人が小さく声をかけてくれた。
「あなたたち、箏の子たちね。とても素敵だったわよ」
その笑顔は、やわらかくて、やさしかった。
澪はその日、初めて「知らない人」に音を届けられた気がした。
音の届く先に、ちゃんと誰かがいる。
その実感が、静かに心の芯に残っていた。




