1年目8月:第十四話「夜の即興演奏会」
夕食のあと、洗い物を終えるころには、山の空はすっかり暗くなっていた。
虫の声が、まるで合奏のようにあたり一面に響いている。
静かな夜。だけど、耳をすませば、たくさんの“音”があった。
「じゃ、やりますか。夜の部──即興演奏会!」
茉莉先輩がそう叫ぶと、みんなが笑った。
練習場とは別に借りていた縁側の広い土間に、
簡単な焚き火を置いて、その横に箏を並べる。
いつもならきっちりチューニングするはずの弦も、今夜は“少し崩れたまま”でいい。
「即興って、何を弾くんですか?」
澪がそっと尋ねると、茉莉先輩は言った。
「空気とか、雰囲気とか……“今の気持ち”をそのまま音にしてみて」
そんなの、できるはずがない──そう思ったのに。
亜季が一番手として、何も言わずに爪を構えた。
ぽろん。
ふわりと空間に広がったその音は、まるで澪の胸のなかに流れ込んできた。
柔らかくて、涼しくて、でも少し切ないような──
それは亜季の“いま”だった。
次に続いた佐伯先輩の音は、夕焼けのようにあたたかく、包み込むようだった。
茉莉先輩は、風のように軽やかで、でも芯のある音を鳴らした。
「……じゃあ、次、澪」
みんなの視線が、自分に向いた。
澪は息をのむ。
けれど、ここではもう“間違える”ことなんて、誰も気にしていない気がした。
澪は静かに爪をつけ、膝の上に箏を置いた。
(今の気持ち──…)
少しだけ怖くて、でも嬉しくて。
誰かと音をつなげたいと思っている自分が、確かにここにいる。
ぽろん……ぽろろん……。
少しだけ震えた音。
けれどそれは、焚き火の光と虫の声に溶けるように、空へと広がっていった。
弾き終えたあと、誰も言葉を発しなかった。
代わりに、亜季がそっと澪の肩に手を置いた。
「……つながったね」
その言葉に、澪の胸がじんわり熱くなった。
音で話す。音で触れる。音で、気持ちを渡す。
“音でつながる”って、こういうことだったんだ。
山の夜風が、澪の髪を静かに揺らしていた。
合宿の夜は、まだ続いていた。




