1年目7月:第十二話「音を止めた日」
ぴしっ──。
乾いた音とともに、痛みが走った。
「……っ!」
右手の人差し指を見た瞬間、澪は血の気が引いた。
箏爪のふちが、欠けていた。爪の下の皮膚まで、うっすら赤く染まっている。
「澪! 大丈夫!?」
すぐそばにいた茉莉先輩が駆け寄ってくる。
練習中だったソロパートの一節、澪が強くはじいた瞬間のことだった。
「……ちょっと、勢い入りすぎた、かも……」
痛みよりも、焦りが先に来た。
(もうすぐ文化祭なのに……私、どうすれば……)
佐伯先輩が応急処置用のテープと保冷材を持ってきてくれた。
「しばらくは無理しないでね。弾けなくても、音楽からは離れないで」
そう言われても、澪の心にはぽっかりと穴があいたままだった。
──弾けないなら、部活にいても意味ないんじゃないか。
そんな気持ちが、澪の背中を重くする。
翌日、澪は爪をつけないまま部室の隅に座っていた。
みんなが合奏しているあいだ、譜面を見つめるだけ。
「……澪ちゃん、ちょっとこっち」
ぽんと肩を叩かれて振り返ると、佐伯先輩が呼んでいた。
手には、録音用の小さなICレコーダー。
「ソロパート、今の状態じゃ弾けないよね。でもね、弾かなくてもできる練習、あるよ」
先輩は、再生ボタンを押した。
音楽室で録った合奏の音が流れる。
その中に、澪のソロ部分はまだ空白のまま残っている。
「ここ、自分だったらどんな風に入るか、想像してみて。
音を“鳴らさずに奏でる”練習って、けっこう効くのよ」
澪は目を閉じた。
音のない空白に、自分の音を重ねるように思い描く。
誰かの音を聴いて、自分がその風景に何を届けたいかを考える。
――ただ正しく弾くんじゃなくて。
誰かの音を、受け止めるように弾きたい。
それが、澪の中で初めて浮かび上がった“ソロ”のイメージだった。
音が止まった日。
けれどその“沈黙”が、澪に「音を聴く」という感覚を与えてくれた。
爪が治るまで、あと数日。
次に音を出すとき、きっと私は、もう少し“誰かと一緒に”音を鳴らせる。
そんな気がしていた。




