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Narcolepsy

 大根畑の臭いがする。


 青臭いとも違う。むせ返るような、ツンとくる香り。

 それでもわたしの足はゆく。

 こうまで邪魔っけな草が生い茂っているのに一度も転ばないというのは不思議だった。昔から。

 人間寝ているときは猫に近くなるのだろう。テレビで見た。猫がドミノを散りばめた廊下をいともたやすく避け歩いている様子。

 軽やか。

 私は猫になる。

 寝子。


 大通りを歩く。クラクションの音とテールランプにウインカー。真正面から浴びるライトは無い。今日のところは。ならば今のクラクションはなんだったのだろう。私の足は止まらない。


 街頭に導かれるよう私は歩く。

 街頭に姿は照らさないのだ。常識だ。私は猫。避けて歩ける。単に眩しいから。


 喉が乾く。

 水たまりを啜る。

 舌に泥の感触が纏わりつく。家に帰って歯を磨かなければいけない。くるりとその場で一回転し、月明かり。星あかり。街頭。街頭。車道の音。月明かりが東の方角にある。水たまりがぱしゃっと跳ねる音。共鳴。こっちじゃない。こっちだ。

 方角が決まる。


 生きているときは起きているとき。

 寝ているときは死んでいるとき。

 視覚と聴覚と明暗の感覚と嗅覚。全てがこの上なく十全に発揮され起きているはずなのに、私は猫やってるときの方が迷わない。

 なんでだろう。

 鼻歌は名曲。

 感覚は鋭敏。

 呼吸は最小限に留められる。

 まるで水中のよう。

 帰ろう。帰る。


 行くべき場所に帰るべき場所に眠るべき場所に迷わずゆける。

 どうして私は迷わないのだろう。道はこんなに曲がりくねっているのに。意識も決意も判断も自我も死んでいるも同然なのに。

 私は寝ているときの方が生き生きしている。

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