第35話
弓兵……西の森の守護者は、ひときわ大きな木の上に飛び移った。
地上のソレイユが追いつくと、常緑の間からスルスルと来客用の縄梯子が降りてくる。
「登ってこい」
ソレイユは縄梯子に足をかけようとして、カサブランカを抱えた娘たちを振り返る。
人形のように力の抜けたカサブランカをソレイユは抱き上げて、片手で縄梯子を登った。
住居では守護者が茶を淹れていた。簡易の竈では魔術の炎が燃えていて、丸太でできた床も天井も焦がすことなく湯を温めている。
その竈と、粗末なベッドと、弓矢の収められた棚だけが住居にはあった。他の部屋はない。
カサブランカを床に下ろし、ソレイユも座った。やがてドレシアとコレットも到着し、守護者が話を始めた。
「東の森は、人買いとエルフが締結を行った緩衝地帯だ」
「緩衝地帯……」
「我らからしたら、罪人のエルフを集めた刑務所。人買いからすれば安全に商品を仕入れられる市場」
守護者は無表情に続ける。その言葉から感情は見えない。
ソレイユは差し出された茶を見つめる。
「あなたたちは、人買いと取引をしていたのですね」
「そうだ。亜人の中でもエルフは高く売れる。我々は外貨を獲得する必要があった」
「なぜ」
「エルフは滅びつつある」
自分で入れた茶を口にして、守護者は話を続ける。
「長命種のエルフは子供を残すことも難しい。妊娠期間は十年以上が必要で出産によって命を落とす女も多い。やがて出産そのものを忌避するようになった」
「女性のエルフたちが選んだのですね」
「我々には、外との交易と、邪法が残った」
「邪法とは」
「精霊との交雑だ」
ソレイユは振り返る。
カサブランカの目の端に、涙が見えた。
「精霊と交わった子供は産まれるのも、母体の回復も早い。しかしそれはエルフの血を薄めることに他ならない。邪法によって子供を求めた者に長老は厳しい罰を与えた」
「それが、商品化という刑罰……」
「もう刑罰はない。つい最近……十年前に東の森が盗賊によって焼かれたからな。その時に、我らは覚悟を決めた。滅びを受け入れる覚悟を」
守護者は息を吐く。その声は僅かに疲れを帯びていた。
歳を取らない種族の老いとは、このように現れるのだろう。ソレイユは直感した。
静寂。
「西の森のエルフは、外貨を得てどう生き延びようとしたの?」
ドレシアが言葉を発した。コレットが脇腹を小突く。
守護者は首を傾けて、ドレシアの質問に答える。
「エルフの国を作るつもりだった、らしい」
「ここは国じゃないの? 国になったら、生き延びられたの?」
「純人種から見れば不法占拠した集落でしかない。国として認められれば……すまない、わしは難しいことには疎くてな」
守護者の言葉が崩れて、無表情だった顔に好々爺のような笑みが浮かんだ。
「もうわししか生き残っていない。だからカサブランカ、あなたに罪が無くても住まわせる場所がないんだ。許してくれ」
「……う、うう……ひく、ひっ」
カサブランカはのどをしゃくりあげはじめた。
ぼろぼろと大粒の涙が彼女の頬を流れていき、やがて、声を上げた。
「うわあああああ、あああ、あああああああ、あああああああああ」
ドレシアはカサブランカの肩を抱く。
「泣かないで」
コレットはカサブランカの顔に胸を押し当てる。
「大丈夫、大丈夫だから」
双子の娘たちは彼女を泣き止ませようとしていたが、やがて自分たちも泣きはじめてしまった。
「わああああああ、わあああああん」
「やだあああああ、あああああああ」
「……っ」
ソレイユは無言のまま彼女たちを抱きしめた。
「うわああああ、ああ、あ、あ、う、うう」
カサブランカの声がとぎれとぎれに、小さくなる。
不意に、うめき声に変わった。
「ひっく、ひっく、どうしたの」
「大変、大変! お母様!」
カサブランカの様子に気付いた二人は母に助けを求める。
ソレイユはカサブランカの身体を抱き上げた。
「生き残ったのはあなただけとおっしゃいましたね」
ソレイユは守護者に訊ねた。
「ああ、わしだけだ」
「お産に立ち会ったことは」
守護者は両眉を上げる。
四人は湧き水を沸かし、ありったけの柔らかい葉を準備した。
ソレイユは袖をまくって、カサブランカをベッドに寝かせる。結び合わせたカーテンを天井の梁にかけてカサブランカの手に渡した。
「大丈夫、私に会わせて呼吸してください」
カサブランカはうなずき、ソレイユの口元を見つめる。
吸って、吸って、吐いて。ゆっくりと繰り返されるそれに、カサブランカが合わせる。
「がんばって、カサブランカ」
「死なないで、カサブランカ」
双子の子供たちも呼応している。
守護者が追加の水と葉を持って戻ってくる。
「足りるか」
コレットは沸いた水を盥に入れて、ドレシアは葉をカサブランカの股の間に敷いた。
「わかりませんが、やってみます」
ソレイユはカサブランカのドレスの裾をまくる。
そこには大きな腹があり、亀裂が入った表面をソレイユは撫でた。
「ぐっと力を入れて、そう。排便しそうになっても気にしなくていいので」
「う、うあ……!」
「呼吸を忘れないで」
「ふー、ふー、ひっ、ふー、ひっ、ふー……」
カサブランカが苦悶の声を上げる。
乱れる呼吸を戻しながら、カーテンを握りしめたまま、カサブランカは腹に力を込めた。
「がんばれ、カサブランカ」
「生きて、カサブランカ」
二人の声を聴いて、カサブランカがうなずいたように見えた。
カーテンがぐっと引き絞られる。
「があっ、あ、あああっ!」
梁がミシッ、と音を立てた。
小さな体からは想像もできないような力が出た。
適温に冷ました盥を彼女の股の間に置いて、ソレイユは手を突っ込んだ。
ソレイユの腕を血と羊水がしたたる。
「コレット」
呼ばれて、コレットは裁縫道具から裁断鋏を取り出してソレイユに渡した。
ジャキッと鈍い音がして、それから甲高い泣き声がした。
「ドレシア」
呼ばれて、ドレシアは新品のペチコートを縫い合わせた産着をソレイユに渡した。
双子の目に、泣きわめく赤い顔が映った。そして尖った耳が。
「健康体です。大丈夫」
まじまじと見つめる双子から離れて、ソレイユはカサブランカの汗の浮いた顔の横に、赤ん坊を置いた。
不思議なものを見るように、カサブランカは赤ん坊を見ていた。
「精霊だな」
守護者は言った。
「どういう意味ですか」
「四分の三、精霊だ。その子は盗賊に孕まされたわけではない」
守護者の言葉を聞いて、カサブランカは俯く。
「……それは」
なにかを言いかけて、ソレイユに制止された。
「無理は禁物です。今日は休んで」
「産褥に効く薬草がある。さっき採って来た」
守護者は乳鉢を取り出して、薬草を磨り潰し始めた。
「赤ちゃん、生まれたわ」
「赤ちゃん、かわいいわ」
双子が手を取って、手の動きだけで踊る。
「……」
カサブランカは黙っていた。




