第25話
ソウラの家に招かれた。あの、奴隷制度廃止運動の集まりに居た老貴族だ。
「ようこそ、アースディンさん」
彼あるいは彼女はオレを家名で呼んだ。
「私は母君の家庭教師をしていたんだ。今も仲良くさせてもらっているよ。彼女は本当に勉強熱心でね、逆に私が教えられてばかりだ」
「ご用件は」
オレは訊ねた。
メイドの手でテーブルに置かれた紅茶の表面は、微かに揺れている。
ソウラはを見たまま言った。
「君は、『本物』なのだろう?」
本物。
それが何を意味するのかは分かる。しかしオレは、話題を変えようとした。
「オデがお世話になってますね。彼はどうですか」
「君は『ここではない世界』を知ってる。私の家は代々、研究していたんだ」
ソウラは振り返った。
「ま、その結果として祖父の代で財産を食いつぶして、私が家庭教師に身をやつしてるわけだが。しかし私にも研究者の血は流れている。異なる世界に対する好奇心が抑えられないことが、時としてあるのだよ」
「………」
「聴かせてくれ。君の記憶は後付けの幼児記憶なんかじゃないし、酷い出生を覆い隠すための妄想なんかでもない。祖父譲りの私の直感が言っている」
語りかけながら、ソウラは一冊の本を膝の上に置いて座った。
たぶん、辞書だろう。オレの目に『見慣れた文字』が、その表紙に並んでいた。
「報酬は少ないが用意している。長い話になるなら何日でも泊まっていけばいい。アースディン家に比べればよい接待はできないがね」
「話すつもりはありません」
「なぜ?」
「オレの命は、この世界に来てから始まったんです。必要のない過去です」
「私には必要だと頼んでも?」
「話すことで壊れるものもある」
オレは立ち上がった。
「失礼します。本日はお招きいただき、ありがとうございました」
形ばかりの敬礼をして、オレは部屋を出る。
残されたソウラはしばらく窓の外を眺めていたが、やがてページを指で弄びはじめた。
「助けてあげようと思ったのになあ」
呟きは空気に溶けて消えた。
家に帰ったが、モフの出迎えがなかった。
ソファで寝ている。
最近、すこし元気がない。風邪だろうか。
彼の隣に座ってしばらく撫でてやっていた。
「遅くなってしまったど。申し訳ないど……大丈夫だど?」
「ああ、夕食にしよう」
カレーを器に注いで、パンを温め直す。
モフの皿の中身も、少し水で湿らせて柔らかくしてやる。
「今日はソウラさんと話したよ」
「何か言われましたかだど」
「いいや。紅茶をごちそうになって、世間話をしただけさ」
オレは嘘をついた。