第23話
法律はすべての民のためにある。
「オデさん、合格しています」
家庭教師の仕事が終わった後、オデはソレイユに自己採点を手伝ってもらった。
「理解度、弁論、総合的に見ても合格しているはず」
「試験日は緊張していたど。今日冷静に話せたのは相手がソレイユさんで、隣にご主人様がいるからだど」
ソレイユは真直ぐに立てた背中を傾かせた。
オデの目を覗き込むように。
「あなたは怒れる。自分のためには難しくとも、自分のように未来を断たれた亜人種のため、怒ることができるはずです」
「………」
沈黙のあと、オデはごく小さな声で、それを話した。
「弁論の時、試験管から『純人種の弁護ができますか』と聴かれたど。オデはすぐ『勿論』と答えたけど……」
ソレイユは鼻頭に皺を寄せ、姿勢を戻し、息を吐く。
そうして次は、オデの隣にいるオレのほうへ向き直った。
「オレさん」
オレは姿勢を正す。
「奴隷法もまた法です。私ソレイユは、オデさんを我々の活動の『道具』として借りたい。所有者であるあなたから許可をいただけますか」
苦い顔でソレイユは言った。
オレは頷く。
「こちらへ」
ソレイユに促され馬車に乗った。彼女自身は御者台に座る。
オレの対面に窮屈そうに座ったオデが、頭を下げた。
「ありがとうございますだど」
「試験を受けたって落とされるんじゃ、意味がないからな」
馬車が出発する。
連れていかれたのは貴族が使う服屋だった。
「これはこれはソレイユ様。なにかお探しで?」
店主が鋏を置いて歩み寄る。
彼女の後ろに立つオデを目の端で見て、ソレイユの顔色を窺っている。
「この方のために礼服を仕立ててください」
ソレイユが言った。
店主は困った様子で、手を揉み始める。
「すみません、こんな大きな服は作ったことがなくて」
「彼は奴隷法廃止委員会の所属です」
その名を出した途端に、店主の表情が変わる。彼の目に使命感が輝いていた。
「わかりました。採寸しますのでこちらへ」
ソレイユが息を吐く。
「服が必要なんだど?」
「恥ずかしいことに、構成員が皆、柔軟に考えられるわけではないのです」
翌日、俺は自分のジャケットとスラックスを引っ張り出した。
ココとの婚約式の時以来、クローゼットで眠っていたスーツはどうにか形を保っていた。
「よく似合ってますど」
出来上がったばかりの礼服に袖を通したオデが言う。窮屈そうだ。
「お前もな」
正装した俺たちを乗せて、馬車はダンスホールにつく。今日は奴隷制度廃止運動家たちの貸し切りだ。
「ソレイユ! 待っていたよ」
パッと見では男か女かわからない老いた貴族が出迎えた。
「ごきげんよう。ソウラ」
ソウラと呼ばれた老貴族は固まった。馬車から身をこじって出てきたオデを見たからだ。
「え、ええっと、こちらの方は?」
「新しい構成員のオデさんと、その所有者であるオレさんです」
「はは、そうかい。私はソウラ。いや、もちろん歓迎するよ、ええと」
「失礼」
ソウラの横を通りすぎて、オデを引き連れたままソレイユは中央の発言台に立つ。
「ここにいるオデさんは司法試験に挑みました。彼は十分な学力と能力があるにも関わらず、不合格となっています。これは種族差別の可能性が高い」
ざわつく会場。
『オークが弁護士になったとしてもな』
『力が強いのでしょう? 他の仕事がたくさんあるのではなくて?』
なるほど。ソレイユの言う通り頭の固い者が多いらしい。オレは思うが、ソレイユの言葉を待つ。
「重要なのは何ができるかではなく、彼が何をしたいかです。オデさん、あなたはどうして司法試験を受けたのですか」
オデは肩をすくめる。できたばかりの礼服が破れそうになるが、上質な布と糸はどうにか持ちこたえる。
「お、オデは……ご主人様の役に立ちたくて……」
はっとして、ボロボロの法律書を取り出した。
「いいや、オデは、法が好きなんだど」
天へかざすように掲げ持つ。
「法律はすべての民のためにある。国際法第一条だど。この一文が綺麗で、なんて素晴らしいんだろうと、オデは感動したど。法律は役に立たないと言われる時もあるけど、だからこそ、この信念は、皆で護らなければならないものだと思うんだど」
オデの目は輝いている。
ホールは静まり返った。オデの言葉が終わるとソレイユが咳払いをする。
「人間の平等を謳ったこの法に、奴隷法という曇りがある。我々はそれを拭い去るために存在しているのです」
最初は小さな拍手。それがひとつふたつと重なり、ホールを埋め尽くす。
オレとオデは馬車に乗り込む。
「試験よりも緊張したど」
「おつかれさま」
酒をたくさん飲まされた。
オデの頬が赤い。オークは酒に強い種族と聴いたが、緊張のためだろうか。
「法が好きだなんて、誰かの前で話すとは思ってなかったど」
「いいことじゃないか」
「はじめはただの逃避だったど」
窓から冷たい風が吹き込む。
「オデがオーク種の血を引いてるとわかってから、先生の態度が冷たくなったど。学校を追い出されて塔へ帰って来たら、母が亡くなっていたど。なぜ、先生が、母が、そんなことをしたのかの答えは、この本には書いてなかった。それでもオデにはこの本しかなかったんだど」
「………」
「ご主人様と出会って、いろいろな人に出会って、ようやく母や、先生の心がわかってきたかもと、思ったど。書物だけで得られる知識には、限界があるど。ああ、ご主人様を助けられたこともあった。それでますます、好きになって……」
オデの頭が傾き始める。
「法が人間に……寄り添うものなら、なおさら、正しいことを……」
眠ってしまったオデを支えて、オレは彼の膝に上着をかけた。