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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
外伝 異変・迷宮裏街
61/68

ST54 救済の輝き

 一歩、また一歩と仮面の女はテルミニへと近付いていく。

 ハイヒールが血溜まりを泳ぎ、棄てられた誰かの指を踏み砕く。テルミニのブーツは恐怖からか、ジリジリと後退りする。

 されど徐々に距離は詰められていく。槍でも届かない距離から、剣の間合いへ。そして、手を伸ばせば抱き合える距離にまで。

 仮面の女は立ち止まり、白く柔い腕を伸ばしていく。玉腕がすらりと月夜に白を差し、その指はテルミニの頬へと伸ばされる。

 しかし、その指がテルミニの頬に触れることはなかった。

 飛来した数本の苦無を、仮面の女はさも始めから分かっていたかの如くナイフで弾き落とす。甲高い金属音が鳴り響き、苦無は床に転がった。


「ベグラトさん!」


 テルミニでも、仮面の女でもない第三者の少女の声が挙がったと思えば、数本の試験管がテルミニの頭上を滑るように飛んでいた。

 仮面の女が後ろに跳ぶ。直後、けたたましい音と共に地面と衝突し試験管から飛び散った薬液は、極彩色の毒々しい靄を作り出した。

 さも小動物のように仮面の女が首を傾げるも、女はテルミニの様子を窺っているようだった。

 刹那、二つの人影が躍る。一方は二人の間に挟まるように、そしてもう一方はテルミニを肩に抱え、その場から一目散に離れていく。


「テルミニ! テルミニしっかりしてくれ!」


 未だに意識がはっきりしないテルミニを抱え、ベグラトは走りながら呼び掛ける。

 皺一つ無かったカーペットに無数の足跡を残し、ベグラトは決死の形相で駆け抜けていく。

 テルミニは、最初の数回はまるで聞こえていないかのようだったが、それからさらに数度目の呼び掛けでようやく目の焦点が合い、力ない声で「ベリィさんは……?」と呟いた。


「あの人なら残った! 僕より強いから時間を稼いでもらう!」

「時間を……? っ! 私も――――」


 ようやく普段通りの覇気を取り戻したテルミニは、そのままベグラトの肩から抜け出そうと暴れる。

 しかしベグラトはそれを是とせずに、押さえ付ける腕にさらに力を加えた。


「何の時間稼ぎだと思ってるんだ!? レグルスさんみたいに肩幅が広くなくて悪いけど、頼むからじっとしててくれ!」

「ベグラト! でもッ!!」

「黙れ!! 僕の人生を何だと思っているんだ!!」

「っ…………! ごめ…………ん?」


 ベグラトはテルミニを抱えたまま裏口のドアを蹴破り、大きな弧を描き屋敷の正面に向かう。

 この豪邸の正面は街道に面しており、三人はその街道を通りここまで訪れている。ベグラトの目的は即ち、このままベリィを置いて撤退すること。


「うぉっ!?」

「緊急事態の対応は覚えてるな!? レグルスさんに緊急事態を知らせたら僕達は撤退だ! 今狼煙をあげ―――――」


 ベグラトがテルミニを投げるように肩から降ろし、懐から幾つかの薬品を取り出した時だった。

 盛大に硝子が砕け散る音が響いたと思えば、夜空に舞うのは白い机と命輝晶。そして二つの人影。いや違う。それは、一人と一匹だった。

 内一つは、まるで隕鉄の如き轟音を立てて落ちる。もう片方は苦悶に喘ぐ声を上げ、全身に裂傷を刻み込みながら無様に地面を転がった。


「ゴホッ……すみません、逃げられました」


 ベリィが苦しそうに起き上がり、血が混じった唾を吐き捨てる。


「その代わりに、奴が…………」


 そう告げながら、ベリィの警戒心は全て建物の窓から落ちた一匹に注がれていた。

 無論それは、先程の仮面の女などでは断じてない。

 細胞が破裂し、そしてその都度作り変えられていった。まるで石鹸の泡のようにその桃色の肉体が膨らんだかと思うと、その泡は肉体の膨張に耐え切れず破裂する。しかしその場所には、更に大きさを増した肉の泡が再び現れるのだ。

 まるで身体から生えるような幾つもの水晶の破片。月明かりの下極彩色に輝くそれが、まさに先刻目にした命輝晶であると気付いたのは、無論テルミニだけではない。

 その爪はまるで老齢の山羊の如く、幾度も巻きながらその長さを増していく。鋭さを増し続けるその牙はやがて、業物の剣のように鋭利な輝きを放ち始めていた。

 その黄金の瞳は爛々と輝き、眼前の二人を確かに捉える。


「あの化け物は…………」

「フードの女と入れ替わるように現れました。敵であることだけは、間違いないです」


 そう零し、彼女は苦無を両手に姿勢を落とす。しかしテルミニはその言葉を聞きもせず、ただ遠くを見つめるような瞳で怪物を視界に捉えていた。

 記憶を辿らずとも、鮮明に思い出せる。今も尚破裂と再生を繰り返し隆起していく細胞、長く伸び得物となった爪と牙、そして乾留液の如き汚らしい漆黒の体皮と、極彩色の破片。そして、満月の如き黄金の瞳。

 その身体に突き刺さるような命輝晶の破片さえ除けばまさしく、第二階層でテルミニらと対面した、あの大男が変容した後の怪物と瓜二つであることを。


「私達が、第二階層で遭遇した化け物と似てます…………。べグ! 嫌な予感がする、三番だ! 私はもう大丈夫だから、今すぐ()()()()()()()に! あと、()()()()!」

「分かった!」


 走り去っていくベグラトを横目で捉え、残された二人は怪物に相対する。

 硝子の破片を踏みしめ、それにより引き裂かれた皮膚など気に留める様子は微塵も無いようだ。一歩、また一歩と膨張したその肉の塊のような脚で、決して小さくはない跫音を響かせている。

 ガラス片を踏みしめる音が、二人の間の均衡に響いている。間合いは徐々に、しかし着実に狭まっていく。


「テルミニさん…………」

「分かってます」


 ふと怪物が姿勢を下げ、その歪に湾曲した右腕を地面に突き刺すようにし、握り締める。

 石畳がその握力によって罅割れ、そして砕ける。硝子の破片がその隆起した皮膚に食い込み、体液を漏らす。そして刹那、その石畳と硝子の破片を二人に向かって投げ付けた。

 それは鋭利で透明な弾丸となり、彼女達へと飛来する。


鯨鯢(けいげい)のッ―――――形!」


 叫びの後、大地を強く踏み付けるベリィ。その衝撃は舗装された石畳を叩き割り、その噴き上がった破片が壁となり硝子の鏃を防ぐ。

 と同時に、テルミニが怪物へ向けて駆け出していた。

 右腕を振り抜いた体勢の怪物の懐に飛び込み、その肥大した右腕を斬り飛ばさんと剣を振るった。

 しかし、肉を断つ鈍い音が鳴るかと思われたその空間に響いたのは、鉄を打ち鳴らしたかのような甲高い音であった。

 剣を弾かれ、テルミニが隙を露わにする。その表情を、彼女は苦悶に歪める。

 斬撃の軌道に生えた、そう、その瞬間に生えた命輝晶の破片がその斬撃を防いだのだ。


「うっそ!?」


 一撃を防がれ、大きく仰け反るテルミニにすかさず、彼女ごと薙ぎ払わんとする右腕が振るわれる。

 時間が引き延ばされる。ベリィはテルミニへ向かい駆けている最中。テルミニ自身は剣を弾かれ、上段に振り上げたままの体勢。そして、怪物の肥大化した右腕は既に肉薄している。決して、避けられはしない。

 石畳を握り砕く握力の持ち主が振るう腕だ。質量、そしてその内包されたエネルギーを加味すれば、直撃は即ち死を意味する。

 対処法は無い。何もかも、間に合うことは無い。

 ただそれは、昔のままの彼女ならの話だ。


「水よッ! 壁を成せッ!」


 直撃の最中、空中に水の薄い壁が作り上げられ、激しい衝撃音と共に右腕の動きを止める。

 通常の者は日常で、液体に硬いという印象を抱くことはほぼ無いに等しいだろう。それもその筈、水は言葉の通りその場の形に合わせて流れるもの。流動し、常に形を変えるものなのだから。

 しかしその場合は、その水に流れることが出来る逃げ場がある状態での話だ。

 もしそれが、例えば注射器の中であったら。もしそれが、一切の隙間の無い箱の中だったとしたら。もしそれが、何者かによって操られ、一定の形を保とうとしていたら。

 それは何者の攻撃も凌ぐ、強固な壁へと変貌する―――――。


「―――――!?」


 まるで先程のテルミニのように、水の壁に弾かれた怪物が大きく体勢を崩し仰け反る。後先考えぬ力任せの薙ぎ払いは凌がれ、その代償を払う時が来たのだ。


「合わせてッ!」

「はいッ!」


 ベリィが叫び、テルミニが応える。

 鞘から抜き放った仕掛け武器の切っ先が石畳を削り、引っ掻くような音を鳴らす。水の壁の形を再び変え今度は剣に纏わせ、鉄よりもさらに鋭い刃として。

 両者が思う、最大の力で。今持てる全てを用いて、自らの得物を振るう。


「猛虎の形ッ!!」

「ハァッ!!」


 黒く濁った鮮血が噴き上がり、肉の破片が宙を踊る。

 斬撃はまるで雨が天から降り注ぐかの如く自然に、しかし鋭く怪物の肉を抉り取った。

 しかし斬撃は一度ではない。

 振り下ろした刃を翻し、再び刃は振り上げられる。

 再度肉塊は先刻と同じように舞い、鮮血が噴き上がる


「―――――!」

「逃がすかッ!」


 続け様に放たれた二つの斬撃に体勢を崩し、大きく後ろによろめく怪物。しかしその動きは刹那、その肥大した脚に打ち込まれた細い水の楔によってピタリと止まる。

 この場にいる二人と一匹。その中に、水を操る力を持つのは一人だけ。

 流麗な銀色の風が、緩慢とした世界の中で踊る。

 それはまるで凍った湖面を滑るように、重力に身を委ね落ちるように。自然に―――――。

 かつて首だった肉塊が空を踊る。

 べちゃりと、汚らしい音を立て肉塊が地面を跳ね、大地を転がった。黒い水溜りが石畳を汚し、硝子の破片も転がる命輝晶も、そしてそれはテルミニの脚元へも。


「終わった…………のでしょうか?」

「だと思います」


 水溜りを避けるように血溜まりから脚を上げ後退し、テルミニが大きく剣を振るう。血糊を払い、金属が擦れる音を鳴らし、その鈍らを大事そうに彼女は鞘に収めた。

 ベリィが少しだけ息を乱しぱたぱたと、仕掛け武器片手に彼女の下に駆け寄る。魂術による精神の疲労というものは、そう簡単に耐性の付くものではない。


「案外呆気無いですね」


 石畳に転がる首と、隆起した巨大な身体を交互に眺めながらベリィがぽつりと零す。

 不意を突かれた初めこそベリィも苦戦を強いられた。しかし、テルミニと合流し連携した途端、その戦いは嘘だったかのように終わってしまった。

 しかしその言葉に同意するでも、反論するでもなく、テルミニは黙り込んでいた。敵は討たれたというのに、鞘に収めた剣の柄を握り締め、まるで今すぐ剣を抜くか悩んでいるかのように。


「テルミニさん?」

「…………記憶が無いんです」


 テルミニから紡がれた突拍子も無い言葉に、ベリィは思わず訊き返す。しかしテルミニは、至極真面目に続けた。


「私達は確かに第二回層でこれと似た怪物と戦いました。でもその後の、勝った後の記憶が私にはありません」

「それが…………?」

「しかしその後どうなったかを知っていると言う、見知らぬ少女は言いました。私はその後―――――」


 肉塊の指先が、微かに震える。それは波のように伝播し、腕へ、胸へ、腰へ、足先へ。

 テルミニが再び剣を抜き放つ。ベリィが驚いたように瞳孔を縮め、同じように仕掛け武器を構えた。


「―――――復活した怪物に、一人勇敢に立ち向かったと」


 怪物がじたばたと暴れ回る。無造作にその丸太の如き腕を振り下ろし、石畳に転がった命輝晶を砕いた。

 極彩色がプリズムのように瞬き、黄金の奔流が怪物の身体に流れ込む。そして怪物の肉体は、再び膨張を始めた。

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