ST45 前奏
「葬送……だよね。一応訊くけど、知り合い?」
突然の葬送の出現、そして抜刀に、市場には既に野次馬が集まりかけていた。囁くようなざわめきが三人と四人を取り囲み、徐々にそれは大きく伝播していく。
そんな中放たれたテルミニの問いに、ベグラトは襲撃者と思わしき男達から目線を離さず、しかし訝しむように眉を顰める。
鋼を擦るような音と共にテルミニが剣を抜き放ち、レグルスが拳を握り、ベグラトは懐に両手を忍ばせた。
「一厘でもそうじゃないのかと思えるのがすごいよね。めでたいというかなんというか」
「……返し猛毒じゃん。致死量だよそれ」
そうして、警戒を切らす事無く軽口を叩き合う二人。襲撃者達はそのやり取りを待つように暫くの間眺めていたが、やがて痺れを切らしたようにその刀の切っ先をくいと持ち上げた。
小さな金属音が響き、同時に警戒レベルを上げたテルミニ達も、その視線を鋭い物へ変える。
その時ふと、葬送の視線が動いた。剣先もその視線を追うように、少しだけ横にずれる。
既に客呼びの声も大人しくなり、野次馬の囁きだけがやけに大きく響く空間に、劈くような靴音が鳴った。
「お帰り頂けないかな? どうやら彼女等は、私への客人のようでね」
突如現れた、葬送のような白衣に身を包む黒髪の少女が、いつの間にか手にしていた封筒を人差し指と中指で挟みながら言い放つ。
軽いウェーブの掛かったボブヘアー。しかし整えられていないのか、至る所から毛先が跳ねている。きめ細やかな肌は病的なまでに白く、少し吊り上がり周りにはクマが残る不健康な眼に被さる丸い眼鏡は、どこか知性を感じさせる。
そんな彼女が持つベリィと記されたその封筒を見て、テルミニは驚きに満ちた表情で「いつの間に……」と自身の手と彼女の手を見比べながら呟く。
「英、裏切者の分際でよくも堂々と居られるな」
「あんな狂人に付いて行くなんて御免だよ。既に頭の可笑しい君たちなら問題無いのだろうが、百合や初名、私にとってはとてもとても。だから去っただけのことさ」
英と呼ばれた少女がどこからか、抜き放たれた小刀を取り出す。葬送と全く同じ形状のその剣は、彼女自身も元は葬送に列していたという事を示しているようだ。
「味方でいいんですよね?」
「あぁ、私が件のルルディだ。……貴方はベグラト氏だね? なるほど、貴方も彼らの標的と言う訳か、大体視えてきた」
彼女は何かが分かったように頷く。どこか自分の世界に浸るようなその仕草に、切っ先を突き付けたままの葬送は不快そうに鼻を鳴らした。
「一応聞いておこう。一緒に来る気は?」
「……はい、と言うとでも?」
英は瞳に侮蔑を込め眉を顰める。
次に、葬送はベグラトに視線を向ける。当のベグラトはゆっくりと首を横に振った。
「僕も否だよ。まだやることがあってね」
「そうか」
ベグラトが懐からいくつかの試験管を取り出す。極彩色の液体が揺れるそれは、明らかに人体に対して良い影響を齎すものではないだろう。即ち、明確な敵意の表れでもある。
葬送は、二人の拒絶に潔く諦めるように、その剣の切っ先をゆっくりと下げる。動きに合わせて光が刀身を滑るように移動し、やがてその刃は完全に露店の陰へ潜った。くすみの無い白銀が影の中、妖しい冷たさを湛えている。
そうして下げられた切っ先は地面に触れ、踏み荒らされ苔生したレンガに差し込まれる。石と鉄が鳴る小さな響き。そして刹那、男の動きがブレた。
「うわっ! ずるっ!」
甲高い音を立て暗器が跳ねる。テルミニの首目掛けて飛来したそれを、彼女が咄嗟に弾いたのだ。
空中でくるくると回転する苦無。そして、野次馬の囁きを引き裂くように反響する金属音。その音を合図とするように、敵となった男たちは散開した。
敵数四、対してテルミニ達の数も英を加えれば四だ。なれば最も効率的なのは、一人ずつそれぞれがそれぞれを相手取ることである。
「グッ……」
テルミニが刀を受ける。薄く軽そうな刀身とは裏腹に、その斬撃は重く鋭い。
快音が鳴ったその直後、鋼を削る音と共に刀身は力負けするようにテルミニの眼前へと近付いていく。
方や葬送の襲撃者。その刀を持つ手は硬く、剣を振り慣れている事は明白。方やあどけなさを残す少女。案内人は本来前衛ではなく、彼女は剣士ではない。
力比べが不利だという事を、非力な彼女が知らぬ筈も無いのだ。
彼女は鍔迫り合いをしていた敵の刀を自身の刀身の上で滑らせ落とす。
その体勢のままテルミニは柄頭を葬送の頸に突き付けるが、葬送は二の腕で弾き上げるようにして柄頭を逸らした。
詰められた間合いを保つように葬送が一歩下がり、上段に構えた刀を鋸を引くように振るう。
しかしテルミニはその剣筋を叩き落とすように強く剣を振り下ろすと、膝を抜き、飛び込むように間合いを詰め、左腕を軸に低く回転するようにその白い脚を薙いだ。
葬送はその下段払いを後方に飛ぶことで避け、大きく間合いを外す。
先刻まで彼らを取り囲んでいた野次馬も、彼女らの戦闘に巻き込まれるのを恐れてか既にいなくなっていた。
間合いの回復とは戦士にとって、言わば仕切り直しだ。つまりそれは、自身が不利であることの裏返しでもある訳である。生まれた好機、彼女はそれを逃がさない。
テルミニの眼の色は既に、年相応の少女のような輝きを湛えたものから、鋭く刺すような眼へと変わっている。
彼女は蹴り抜いた体勢を瞬時に立て直すと、間合いを外した葬送との距離、蛇のように姿勢を低くしながら一気に詰めた。
「くっ……」
飴色が揺れ、テルミニが刃を鋭く突き上げる。
刺突とは、斬撃のような攻撃範囲を棄てた代償として、迅速な攻撃速度を伴うもの。着地した直後の体勢で、完全に捌き切ることは難しい。
喉を正確に狙ったその突きを、葬送は苦悶の表情で弾き上げた。加えて刺突とは点の攻撃。その威力は斬撃よりも高く、防がねば致命傷は必至だ。しかし直後、葬送が驚愕に瞳を染め上げた。
異変が起こったのだ。テルミニの剣がその手を離れ、空を舞うという異変が。
「がっ……!?」
剣を手放し、間合いをさらに詰めたテルミニが絡むように組み付き、鮮やかに投げ飛ばす。
その成人男性の大柄な体躯が、矮躯の少女によって容易く宙へ浮き、そして重力に従い石畳に落下した。
肺の空気を全て吐き出しながら、男が苦悶に喘ぐ。
「……」
刹那、瞬きの暇も無く無表情のテルミニが体重を利用して拳を放つ。それはしなやかに伸び、確実に男の蟀谷を撃ち抜く。
蟀谷は人間の急所の一つ。脳が激しく揺れ頭蓋骨に打ち付けられ、男は意識を手放す他ない。その最中でも、紺碧の瞳が澱むことは無い。
甲高い金属音が響き渡り、回る苦無が大地を跳ねた音が響いた。




