ST5 分岐路の手前で
「受けちゃったぁー……」
テーブルで項垂れる私を尻目に、稀代の大酒豪ゼクレ・メクシールは五杯目の大ジョッキを空けた。
ゼクレは可憐な少女の外見にはそぐわない酒臭い吐息を一つ吐くと、焼き鳥の最後の一串をスライドするようにして全て頬張った。
「そんなに後悔するなら止めればよかったじゃないですか……」
「なんかいい感じの空気感だったんだって! この人なら大丈夫かなって思っちゃったんだって!」
「いつか好きでもない人に雰囲気で抱かれますよ、それ……」
話題は、昨日レグルスに契約を受けることをほぼ明言した、あの高台での出来事だ。
どうもチンピラ共は街でも有名な犯罪者集団だったらしく、私が戻らないことを心配した宿屋が衛兵に私の捜索を依頼し、偶然逃げ惑うチンピラ共と遭遇。見事お縄に付いたらしい。
そして、彼らが遁走した道を遡ると、そこにはレグルスと私がいた。衛兵らはすっかり、私とレグルスが協力してチンピラ共を打ち負かしたと勘違いしたそうで、街から報奨金が入ったのだ。
おまけにレグルスは報奨金の受け取りを辞退し、山分けされるはずだった報奨金は直で私に送られ、一躍小金持ちになってしまった。
もうこれ契約を受けなくてもいいのではとも思ったが、レグルスの事情を知ってしまった以上なんだか放っておけない。
だが、レグルスが本当に善人とも限らない。命輝晶を持っていたことを考えれば、むしろ悪人の類に入るだろう。
さてどうしたものか。私は悩む。
だからこうして、相談がてら友人を飲み屋に誘っているという訳だ。
「……てか、私の奢りだからって飲み過ぎじゃない?」
「いつもが飲まなすぎなんです! おっちゃん、後二杯!」
他のテーブルの片づけを終えたところの酒屋のマスターは、少し戸惑いを見せながら厨房に戻った。因みにここは笑う狼亭とは別の酒場なので、あのマスターはいない。
ゼクレは、身体に酒が流れているんじゃないかと思うほどの大酒豪だ。初めてその光景を見た私のように、あのマスターもきっと困惑しているのだろう。
「でも変な奴じゃなさそうだしいいんじゃないですか? 武器は無いけど強いんですよね?」
「まぁ、さっき話した通り」
剣すら彼の前では無意味と化す、鋼の拳の持ち主。
彼は自身の過去を語ろうとはせず、むしろ隠したいようだった。だが、犯罪者ではないのなら、彼は一体何者なのだろうか。
あれ程の人物が埋もれていたとは思えない。過去には何か活躍を果たしたのではないだろうか。
まさか、あの時の迷宮に潜る理由は嘘八百で、実は命輝晶の吸収を目的としている可能性。強いのは、今までも命輝晶を吸収したから……。有り得る。いやまさか、伝説の探索者チーム『頂の暁光』の生き残り……。いや、それはあり得ない。頂の暁光は、十年も前から姿を見せていない。
思い付く可能性を考慮していたが、それらを全て投げ捨てる。情報は無いに等しい、考えるだけ無駄か。
「それにしても何者でしょうね、そのレグルスという男」
ゼクレも私と同じ思考に陥ったらしい。まだ重みのある七杯目のジョッキをテーブルに置き、頬杖を突きながら静かに漏らす。
だが分かる。秘密とは甘いものだ。
「分からない。でも犯罪者ではないと思う」
「死者に花を手向けたから? 犯罪者にも大切な人の一人や二人はいるものだと思いますけど……」
「いや、犯罪者があんな半裸みたいな目立つ姿でいると思う?」
「あぁ……それは確かに」
あの巨大な体躯、鍛え上げられた肉体を晒すようなボロボロの道着。いくら何でも目立ち過ぎる。一度見たら暫く忘れられない程のインパクトだ。
「となると……実は凄い探索者チームの人?」
「それは私も考えたけど、こんなことをする意味が分からない。ギルドを仲介しないのも謎」
「警戒されて契約を受ける人がいなくなりますね……。受付嬢やってると、そういう話はしょっちゅう聞きますよ。んぐ……、あぁ美味い!」
セクレは七杯目すらも空にし、追加の酒と料理を頼み始めた。
そう。ギルドを仲介しない契約に利点は無い。一般的な探索者は、ギルドを仲介しない契約による事件や、事故を常識として学んでいる。
嬉々として直接の契約を受けるような馬鹿は、私ぐらいしか存在しないだろう。いや私でも、最初は話を聞いてから決めるつもりだった。
本当に、欠点はあれど利点は無いのだ。あるとしたらそれこそ、依頼者が素姓を探られたくない時に素姓を明かさなくてもいい、程度だろう。
それだけの理由でギルドを通さないのか。だとすると、そうまでして隠したいという彼の素性が、益々気になってくる。私もまた、甘美なる秘密に中てられた一人だという事か。
「彼の言葉を信じるなら……ですが、その命き――――」
ゼクレは周りを見渡す。命輝晶の所持は違反。誰かに聞かれでもしたら、あらぬ疑いを向けられかねない。
「その……石を渡した人物っていうのも謎ですね」
それもそうだ。私は深く頷く。
「家族、恋人、友人、上司や部下の可能性もあるかな。ギルドでは、迷宮で亡くなった人の階層や死因を記録してるんでしょ? そこから洗える可能性もあるんじゃない?」
彼の話を聞く限り、昔は探索者として迷宮に挑んでいたという事は確定している。それすらも嘘なら調べようが無いが、本当ならばギルドで調べられるだろう。
しかし、ゼクレは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「探索者として登録していたら、ですがね。一攫千金狙いで、探索者ギルドの存在を知らない債務者や農民が迷宮に潜るケースは無くは無いですし、そもそもギルドの情報の個人利用は禁止事項です。無理ですね」
迷宮内は、外とは違う独自の生態系が確立されており、迷宮にしか生らない果実や、迷宮内でのみ確認されている鉱物。迷宮の魔物の素材なんてものは、その採れた階層が高ければ高いほど市場では高値で取引される。
腕に自信があると自称する農民が徒党を組んで迷宮に挑み、全滅するなんて話は決して珍しい話ではない。
現に、あの頂の暁光が持ち帰った魔物の素材は、噂ではどこかの金持ちに目を見張るような値段で取引されたと聞く。
レグルスらがその話を聞いた農民で、迷宮に挑んだが自分を残し全滅してしまったというのは、確かに考えられるものだ。
「レグルスさんの強さも謎だね」
私は、あの夜に見た圧倒的な武の極致を思い出す。
「あの強さは一朝一夕で得られるものじゃない」
「魔法持ちの可能性は?」
「……無くは無いかも」
自己を強化するような魔法ならば、あるいは。頂の暁光のかつていた魔法を八つ持った者。別名、『雷光の魔女』も自己強化系統の魔法を扱ったと聞く。
と、ゼクレが大皿に盛られていたステーキの最後の一欠けを口に放り込んだ。
「ま、何にせよ死なないでくださいね。様式、もう用意しちゃいましたし」
「はぁ!? 本当にやったの!? 手間賃請求とかやめてよね!?」
「もうあんな風に……いや、ご馳走様です。また今度」
「ちょッ、ゼクレェ!」
大酒豪の受付嬢は、ひらひらと手を揺らしながら酒場を去っていく。
酒場には、立ち上がった私と幾名かの客が残された。
「はぁ……お会計お願いします」
私は、彼女が用意した様式が使われぬことを祈りつつ、財布の蓋を開くのであった。
■~~~~~■
「私にもっと才能があればな……」
静まり返った夜闇の中、私は静かに呟いた。
自分から憧れて探索者になったのだ。後悔をしている訳ではない。
ただ、私が案内人となったのは、死にたくなかったからという理由に加え、それ以外何もできなかったからというものが大きい。
一通り試してはみたのだ。剣を振り、弓を引いた。どれも人並みにはできる。が、それはただの器用貧乏に過ぎなかった。唯一出来る魔法も、魂を視ることが出来るものと、一掬いの水を操ることが出来るという小さなもの。
私は、初めて自身に眠る魔法を自覚した日を思い出す。あれは驚いた。私がまだ、故郷にいた頃だ。
スプーンでスープを飲んでいる時だった。ふと、自らの手でスプーンを手繰らずとも、スープが飲めるようになれば楽なのに。なんて夢想したことが、叶ってしまったのだから。
ふと真剣にこの魔法の使い道について考えてみるが、少し考えても思い浮かばないのですぐに考えるのをやめた。想像力が足りないのもあるが、ただでさえ今は悩み事が多いのだ。使えない魔法のことなんて考えている暇は無い。
夜風に当たりながら足を早める。それに、明日にはいよいよレグルスとの迷宮探索が始まるだろう。夜更かしして第一階層で倒れるなんて、恰好悪い最期は御免だ。
「あ、おかえりなさいテルミニさん」
「ただいまです」
見知った宿屋の娘と簡単に挨拶を交わし、自分の部屋がある二階まで直行する。
扉の先から寝息の気配を感じる廊下を、足音を立てぬよう慎重に歩み、自身の部屋に帰るや否や整えられたベッドに飛び込む。
ただの考え事には、蠟燭など付けずとも窓から差し込む銀色の月光で十分だ。両の掌を枕代わりに、私は呆然としながら天井を見ていた。
――――丁度良かった。探してたんだ――――
探索者ギルドで出会った、威圧感を醸し出す推定犯罪者の大男。そんな彼と、私が組むこととなるとは。今となっては、私自身が一番驚いている。
あんな契約内容、普段の私なら絶対に断っていた筈、いや、事実断ろうとしていたのに……。何故か、受けなければならないという気がした。
報酬は高く、私は案内人としての役割を全うするだけでいい楽な仕事だ。今まで、これほどまでに楽な契約は無かっただろう。
怪しげながらも仕事は決まり、今日は友人と酌を交わした。胸の奥に燻る昂揚感。小さな幸せとは、こういうものなのだろうか。
だがしかし――――。
「何か……違う」
何かが足りない。まるで自身を形成する大切な部品が紛失したかのように、大切な記憶が抜け落ちてしまったかのように、何か、何かが足りない。
『―――――――――。―――――』
誰の声だろうか。ふと、頭の中に響くような声が聞こえた。一番聞き覚えのある声だ。まるで、さも私自身に語り掛けられているかのように。
しかし、それを追求することはしなかった。耐え難い眠気が、私の瞼を下ろしたからだ。