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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
二章 淫虐に聳える
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ST36 目醒

「……またか」


 見慣れた白い平天井。質素なシャンデリアは揺れることは無く、時折壁が黄ばんだ場所があるのは、よく考えると薬品によるものなのだろうか。

 白いカーテン、栗川色のキャビネットと丸椅子。水と果実。今回は剥かれたオレンジらしい。

 一度見たことのある光景だ。言わずもがな、ベグラトのお店である。また彼に迷惑を掛けてしまったらしい。

 前回、つまり数週間ほど前に大喰らいに右腕をくれてやった後も、ここでべグラトによって治療を受けたのだ。べグラトがいなければ、私の右腕は義手になっているだろう。

 さて、今回は何故ここにいるのか。私は、ここに至るまでの経緯を思い出そうと記憶を手繰る。


「っつ……」


 直後に脳を針で突かれたかのような鋭く、冷たい痛みが迸る。どうやら簡単には思い出させてくれないらしい。

 最近はずっとそうだ。いつも記憶奥深くに靄が掛かっているような違和感が、絶えることは無い。

 止む無く断念し、まだ脳内に露わになっている表層を掬い取る。

 簡単に思い出せる最後の記憶は、私と春夏冬とで共に大男と対峙したところ。しかしその最中、大男は人間を逸脱した怪物に変貌する。だが満を持して大技を切った春夏冬が、見事大男を刈り取った。そんなところだ。

 それ以降の記憶を探ろうとすると、まるで私が思い出すことを阻止するかとように頭痛が響き、思い出すことが出来ない。全く、最近になって私はよく気を失うものだ。病気等ではないことを切に願うばかりである。

 とりあえず私は考えることをやめ、オレンジに手を伸ばしひょいと口に放り込む。十数年生きていて分かったが、この世界は考えなくてもある程度生きていけるものだ。

 酸味が駆け抜け、爽やかな柑橘の香りが口の中に満ちていく。美味しい。

 ただ、やはりあの大喰らいの前で倒れたあとに比べれば、その満足感は遥かに劣っている。あの時は大喰らいにより強制的に飢餓状態にされていた訳だから、叶うはずもないのだが。文字通り、五臓六腑に染み渡ったのだ。

 水で口の中を軽くゆすいでから飲み込む。オレンジの香りが消え去っていく中、口内で乾いていたのだろう仄かな鉄の香りが見え隠れしていた。

 オレンジを食べ、水を飲んだ私はベッドから足を放り投げ立ち上がる。今回は前回と異なりそこまで身体が重い訳ではなかった。脳の指令を受けた手足は、私の思い通りに動いている。

 白いカーテンをわざと誰かに気付かれるよう音を立てて開き、板張りの床を素足で歩きながらノブを捻った。

 軋む音が小さく鳴り、別の部屋が現れる。

 そこはどうやら休憩室のような場所らしい。店内とは違い、生活感の溢れる光景。何に使うのかも分からぬ様々な器具は、様々な色の液体を蓄えていた。

 そして、湯気を立ち上らせる白磁のカップを片手に、足を組むべグラトの姿も。


「おはよう。目覚めはどうだい?」


 べグラトが私に気付き声をかけてくる。重そうな深碧の前髪がふわりと揺れ、一瞬だけ左目を見せ、再び隠した。

 私はとりあえず、彼の向かいの椅子に腰を落とす。友人とは言え、ニ回も無償の施しを受けたのだ。その足取りは軽くはない。


「最悪。また世話になったっぽいねべグラト」

「今回は身体的な異常は無かったから、ベッドを貸しただけだよ。貸し一つで許してあげよう」

「因みに前回のは?」

「腕の件? ……二かな」

「じゃあこの前面倒な女追っ払ったし相殺だね」

「う、そう言えばそんなことも……」


 以前、余程べグラトが気に入ったのか彼にストーカー紛いの猛アプローチをしてきた女を、私が代わりに断ってやったのだ。

 ベグラトの見てくれは、確かに少しミステリアスな雰囲気を纏う美少年だ。並の男よりも比較的、女性に好かれる端麗な容姿であることは否めない。

 その女に私は泥棒猫扱いされ、短剣まで出してこちらを襲ってきたが、完全な素人相手じゃあ私も探索者の端くれ、負けることは無い。

 と言うのは関係無い話だ。


「冗談冗談。まぁ今度何かしらの形で返すよ。で、今度は何があったの?」


 私が半ば呆れながら本題を切り出すと、べグラトは予想に反して困った顔のまま愛想笑いを浮かべた。


「実は僕もあんまり知らなくて……」

「えぇ? ベッド貸したのに?」

「いや、気絶したテルミニがレグルスさんに担がれて来てさ、レグルスさん……怖いじゃん? 話し掛けるタイミングが無くて」


 ハハハ、と苦笑いを浮かべながら恥ずかしそうに頭を掻く美少年。私はそれを他所に顎に手を置きながら俯いた。

 確かに、べグラトの心中は容易に察せる。なにせ、女を振ることも出来ないほど気の弱い男だ。そして、理由も聞かずにベッドを貸すようなお人好しでもあるのだから。


「それにまぁ、レグルスさんじゃなくて幼い女の子が来ることもあったんだけど、何か僕のことを怖がってるみたいでさ……。怖がられてるみたいだし、傍観するしかないよね」


 彼はべグラト。気の弱い男であり、女の子に弱い男である。

 冗談はともかく、私はそれだけ訊き出して思案に耽る。

 幼い女の子と言われていの一番に浮かぶのは、やはり第二階層にて不埒漢共の慰み者になっていた少女たちであろう。

 確かに自分で言うのもあれだが、彼女たちが再び自由を得たられたのは私達の活躍が大きい。というか殆どである筈だし、看病なりをしに来たのも頷ける。

 ベグラトを恐れていたと言うのも彼女らが第二階層で会った少女達であれば、ベグラトではなく男性を過度に怖がっていた、と考えれば辻褄が合う。


「多分知り合い……というかまぁ顔見知りみたいな子、だね多分」

「自信無さ過ぎでしょ」

「複雑な事情が絡んでくるのよ。聞きたかないでしょ?」


 彼はベグラト。女性に対して免疫の無い気の弱い男であり、そして長話が嫌いな自由人なのだ。


「流石、分かってるね」

「伊達も一年も友人やってないよ」


 その言葉に、ベグラトは眉を顰め小首を傾げる。しかしその様子は一瞬だけで、すぐにいつものような飄々とした空気を纏っていた。


「一年? あぁ……いや、もう……一年も経つのか」


 ベグラトは表情を隠すように、普段よりも俯いてカップに口を付ける。私はその様子に少しだけ違和感を覚えながらも、気になっていたことを口にした。


「で、あの人は?」

「あの人?」

「胡散臭い口調の商人少女」

「あぁ、そう言えば春夏冬さんの方は一切顔を出してないね」

「そう……おかしいな」


 再び違和感の霧が湧き始める。

 数週間前に私が寝ていた時、というか別に寝ていなければいけないような怪我では無かったのだが、その際に一番私に会いに来てくれたのは、他ならぬ春夏冬であったのだ。

 まして今回は春夏冬と共に戦ったのだし、彼女なら来そうなものだと思うのだが。私の見当違いだったのだろうか。


「あ、なんか飲む? 紅茶しか無いけど」

「コーヒーで」

「紅茶しかないって言わなかったっけ……」

「ジャム入れといてね」


 ベグラトが立ち上がり部屋の隅のキッチンへと向かい歩き始める。

 しかしその直後、私の向かいの扉がコンコンコンと叩かれる。私が来た方向ではない、つまり店頭側の扉だ。


「もうこんな時間か」


 ふと掛け時計を見上げると、ベグラトは軌道を変えて扉を開く。軋むような音と共に、穏やかな陽光が部屋に差した。

 ベグラトに阻まれて来訪者は見えない。ただ、あまり身長が高い方では無いという事だけは分かった。

 私はべグラトに来訪者を訊ねるでもなく、盗み聞くように耳をそばだてる。


「また来たの?」

「はい、私達を助けてくださった恩はこれくらいでは返しきれません。更に私達は、またもテルミニさんを頼ろうとしているんですから……」


 聞こえてきたのはか細い少女の声だった。弱々しく、今にも途切れそうな声は。心なしか聞き覚えがあるような気がしないでもない。


「あんまり気にしてないと思うけどね。昔からあんなんだし」

「気にしてるのは私達なのでいいんです。迷惑だと言われたら……流石に止めますけど」

「それも無いと思うけど……ねぇ?」


 そう問いながらベグラトは私に振り替える。不思議に思ったのかベグラトの横から少女はひょいと顔を覗かせ、そして表情を驚愕に染めた。

 対する私は、不意に会話に参入させられ言葉に詰まるだけである。


「え、いきなり言われても何のことだか」

「テルミニさん!!??」

「あ、どうも。テルミニで……え?」


 チェスナットブラウンのツインテールの少女は、私の顔と声を確認したその途端、可愛らしい顔をくしゃっと皺くちゃに縮め堰を切ったかのように泣き出す。

 そして強引にベグラトを押しのけると、椅子に座る私目掛けて飛び込んできた。

 例え少女と言えども、人一人が座っている人物に飛び込むのだ。結果は見えている。


「ちょちょちょまっ……――――」


 彼女の突進を受け止め切れる訳など無く、私は轟音を立てながら椅子ごと背後に倒れる。

 後頭部に迸る激しい痛みを伴う衝撃。直後に甲高い泣き声が鼓膜を劈き、少女の頭は私の胸に潜り込むように押し付けられる。


「いっ……たぁ……」

「でるみにさぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「……え? 何なのほんと……。あのー……?」


 取り敢えず状況を理解できない私は、それでも少女の頭を撫で少女の顔を覗き込む。

 こうされると嫌でも思い出してしまう。私は、ローレンライト子爵家の次女として生まれたのだ。昔は私も、何かあるたびに姉の胸に泣きながら抱き着いたものだった。

 そう考えていると、段々この見知らぬ少女も放っては置けないと思えてくる。などと、どこか自分と照らし合わせてしまうのは私が成長した証だろうか。

 状況はよく分からないが、昔姉がそうしてくれたように髪を撫で、背中をさすってやる。

 探索者になる者は皆往々にして、何かを求めている。地位や名誉、それらを求める者は多いが、それよりも多いのがやはり金銭目的。明日の食事すら不明瞭。そんな後先の無い者たちが、仕方無く危険は多いが稼げる可能性のある探索者になるのだ。

 この年端も行かぬ少女も、その類なのだろう。

 身体全体を俯瞰してみても、少し触ってみても筋肉を感じられない。これでは、自衛どころか装備が入ったリュックを持つことすら危うい。手の平は綺麗で剣も握ったことも無いだろう。魔法があったら、そもそもあの場にはいない筈だ。

 一人寂しく、居場所の無いこの街でそれでも明日生きるために命を賭け続けたのだろう。そんな強かな少女の、僅かでも心の拠り所になれれば。

 そうして優しく頭を撫でながら、大丈夫だからと声を掛け続けている内に、やがて泣き声は小さくなっていき、そして消えた。


「落ち着いた?」


 少女が頷く。赤い目を擦り、垂れた鼻を啜った。


「何があったか教えてくれる?」


 盗み聞きしていた訳では無いが、彼女がどうやら私に頼みごとがあると言うのは聞いていれば分かった。それが、先程の少女の様子と関係していることも。

 少女は再び頷くと、赤く腫れた双眸をこちらに向ける。


「春夏冬さんが……私達の為に連れて行かれたんです!!!」


 私は耳を疑った。

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