ST34 「また会う日を楽しみに」
「どうだった?」
雑木林の中、白磁のカップに注がれた飴色の液体を揺らし、艶やかな声を凛と響かせた女がいた。
白い丸机に向かい、白い椅子に座している。マーブル模様のテーブルの上には円形の茶菓子が皿に盛られており、純白に黄金の細かな意匠が施されたティーポットからは細い湯気が立ち昇っている。
茶菓子にお茶、その風景はさながら、森の茶会である。
声を発した女はカップを片手に、紅茶とミルクが香りそうな色の髪を三つ編みにし、左肩に垂らしていた。
黄金の瞳はまるで満月のように冷たく、しかし深い色合いを持っている。端正な顔立ちは若さを僅かに滲ませつつも、仕上がった大人の美しさを感じさせた。
その服装は迷宮都市と呼ばれる街の、そのさらに迷宮にて活動する探索者にとって最も見慣れた探索者ギルド職員の制服であるのだが、その計算された服飾は息を潜め、ただ昏い赤褐色に染まっていた。
噎せ返るような血腥さを放っていたのだが、彼女はカップから立ち昇る湯気の香りを楽しんでいるようだった。そんな紅茶の香り等、その服に染み付いた返り血で掻き消されているだろうに。
そんな奇怪かつ優雅という矛盾を孕んだ女性に、一人の少女が近付く。ダークブロンドのショートカットを歩みに合わせて揺らし、小さなナイフを携えるその少女の瞳は、女とは違い黄金には染まっていない。
「まぁまぁ。あんたの言い方だと、種は持ってる。…………かな」
「そう、ならよかったわ。…………貴女も一杯どう?フローラ」
ココアブラウンの髪色の女性が、小首を傾げて訊ねる。しかしその女の問いにフローラと呼ばれた少女は眉を顰め、今にも殴りかかっても可笑しくは無い程の嫌悪感を露わにした。
「勘違いしないで。私はあんたの頭の可笑しい計画に賛同している訳じゃない。約束は―――――」
「違えないわ、契約だもの。貴女のお陰で私も、かなり楽をさせて貰っているから」
「ならいい」
そう吐き捨てると、フローラは女性に向かい合うように席に腰を落とす。白い椅子がギシリと、音を立てて軋んだ。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「…………」
少女がぶっきらぼうに話しかけても、女性は応える事無くその優雅な態度を崩さない。黄金に染まったその瞳を紅茶に向け、その波紋を静かに眺めている。
そんな女の沈黙を拒絶ではないと受け取った少女は続けて、その唇を持ち上げた。
「何で殺さないの?」
心底不思議そうな顔で投げられたフローラの問いに、女はすぐに答えることは無かった。暫しの間飴色の波を眺め、そして眼を閉じて口に含み静かに喉を鳴らす。その気品を感じさせる仕草は、酷く艶めかしい。
沈黙を貫く女に、フローラは畳みかけるように前のめりになる。
「私達が共犯となる時に交わした約束は、誰一人迷宮を踏破させないこと。だとしたら、何で殺さないの?」
フローラが、その華奢な腕を机に振り下ろす。衝撃によりポットやソーサーが浮き上がり、甲高い音を打ち鳴らす。
「殺し、殺しまた殺す。漏れ一人無く全員殺す!そうすれば迷宮は魂を吸い上げて、私達の願いに近付けてくれる!そうでしょ!!??」
女は尚も、優雅に紅茶の香を愉しんでいるようだった。喉を鳴らし、その湯気を纏いながら彼女は、ようやく静かにソーサーにカップを置いた。白磁と白磁を打ち鳴らすその音は、どこか小鳥の囀りにも似ている。
ゆっくりと、日が昇るような遅さで彼女は瞼を開く。その黄金の瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。
「そこまで特別な理由がある訳じゃないの。強いて言うなら……貴女と同じかしらね」
女は静かに零し、そのしなやかな手を持ち上げる。
「ある日突然、貴女の大切な人が不治の病に侵されたとしましょう」
女は人差し指で人間を模し、机上で躍らせる。まるで子供の何気ないごっこ遊びのような光景を、フローラは不満そうに、しかし口を出す事無く眺めていた。
指で形作られたその人間は始めは元気に机上を歩いていたが、女の言葉に合わせてまるで意識を失うように倒れた。
フローラはその様子を変わらず訝し気に眺め、その様子を見て黄金の瞳の女は続ける。
「世界のどの医者に診せても、その病の対処は分からない」
倒れて動かない指人間に近付く、もう一人の指人間。それは暫くの間寄り添うように立っていたが、やがて慟哭するように第一関節から崩れ落ちた。
幕引きとでも言うように、女が手を広げ交差する。
「病に倒れたその人は、もう二度と瞳を開くことは無いのかもしれない」
幕が上がったその場にいたのは、先刻泣き崩れるようにしていた指人間だ。どうやら倒れた指人間を助けられる医者を探すべく、そこかしこを東奔西走しているようだった。
しかし訪ねた医者は皆首を横に振り、どんな希少な薬も効果を発揮することは無い。
指人間は再び慟哭する。
「でもそんな時、その人を救えるかもしれない可能性を見つけたとする」
指で人間を模すのを止めると、女は机の上で手を組みフローラを見つめる。黄金の視線に怯むように、フローラが一瞬身体を震わせた。
その瞬間だった。音を立てて女の背後の茂みが揺れ動き、一人の男が顔を覗かせる。
費用を抑えるために急所だけを金属で補強した皮鎧、至る所に傷が刻まれた様子の短剣。その装備は探索者によく見るものであり、そして一般的に探索者が一人で行動することは、パーティーより先んじて偵察を行う斥候以外にいない。
詰まる所、彼が探索者に数いる斥候の一人と分かる。
「やっぱり人間か。あんたら、こんなところで茶会か?いい御身分だ……あ?」
男が茂みを抜け、フローラ達に歩み寄る。完全に警戒を解くその様子は、まるで遠出した先で友人に会ったかのような気軽さだ。
当たり前だ。危険地帯である迷宮の中で、人間の温かみがどれ程精神に影響を齎すことか。そしてそれが、後ろ姿が艶やかな女性と、あどけない少女となれば尚更である。
現れた男に女は黙り込んだまま席を立ち、向き直る。そんな女を眼前に捉え、男の口が止まった。そして直後、まるで幽霊でも目にしたかのように畏怖を表情を強張らせる。
例えどれ程の美貌を持っていたとしても、迷宮第三階層『草原』で、血塗れの探索者ギルド職員制服に身を包んだ女の姿を見て、驚かない人間などいない。
同時に、恐怖を覚えない者もだ。
「ただその可能性は限りなく低い。どれだけ人を欺いても、誑かしても、殺しても。近付くかも分からないそんな可能性を前に……――――」
女が手刀をただ、ゆっくりと水平に振るう。
直後、短い悲鳴が聞こえたと思えば、ほぼ同時に重い物を落としたような鈍い音が鳴る。
男がまるで糸が切れた人形のように、一切の力無く崩れ落ちる。その動きは、まるで自然だった。
フローラはその一瞬、女が現れた男にしたことに気付くことが出来なかった。それはまるで、そうあるべきのように感じたのだ。
雨が天から降り地面に染み渡るのを、燻る炎が次第に勢いを無くし消えていくのを、それらに疑問を抱かないのと同じく。男が倒れるその光景は自然だったのだ。
ただ、一つ不自然な点があるとすれば、その倒れた人影に頸から上が無かったことだろうか。
「――――貴女はどうする?」
例え世界を敵に回そうとも、この世界全ての罪を背負おうとも、大切なその人から恨まれようとも。貴女は大切な人を救えるか。
そう女は付け足し、噴水のように勢い良く吹き出す血潮を浴びて、血塗れの服に更なる返り血を上塗りした女は振り返る。
吹き出す血潮と揺れる緑。そんな状況で、女が宿す黄金はただただ優しかった。
二章はこれで終わりです。三章はかなりかかる予定なので暫しお待ちを。




