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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
二章 淫虐に聳える
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ST32 慙愧

「やば、今意識飛んでたわ」

「大丈夫ですか?春夏冬さん」


 私は襲い掛かる眠気を振り払うために頭を激しく振る。

 短く切り揃えていても、肩を借りている状態ではその髪は鞭で打つように少女に当たるが、少女は鬱陶しがることも無く私の顔を心配そうに覗き込んだ。


「多分な。そもそも戦うこと自体久しぶりやったから、身体がびっくりしてんのよ。うちそもそも商人やし」

「さっきからずっと思ってたんですが、不思議な訛りですね」

「……それテルミニにも言われた。これ実は元々の口調やなくて、わざとこうしてんのよ。だからほら、こうやって普通に喋ることもできるんだよね。……違和感えげつないけどな」


 テルミニに言われた通り、我々は一足先に離脱すべく第二階層を抜け、現在は第一階層の半ばといった所に差し掛かっていた。

 あの時のテルミニは、さも私のことを足手纏いかのように言ってのけたが、実際には疲弊した今の私に対して束でかかっても勝てないような、この少女たちの護衛をして欲しいという意図もあったのだろう。

 この世界の女性のさがとも言うべきなのか、基本的に魔法でも持っていなければ戦闘の経験を積もうとする女性は少ない。

 迷宮に潜りたいなら荷物持ちや案内人、斥候に調理係等の戦闘に参加せずとも役に立てる役職があるからだ。竜や巨人を倒して輝かしい冒険譚(ぼうけんたん)を作りたいという者もいるにはいるが、その数は限りなく少ない。

 私は活躍できなかった分せめて託された分はこなそうと、魔物が現れるたびに疲弊した体を叩き起こして先に進んでいた。


「春夏冬さんがいてくれて助かりました。魔物相手じゃ私達では厳しいですから」


 そう私に肩を貸す少女が微笑むと、後続の少女たちも頷きを返した。

 その光景に私は何処か嫌悪感を覚え、しかしそれを誰にも悟らせぬように、明後日の方向にぷいと顔を背ける。


「……そう」


 私が素っ気なく零すと同時に耳が異音を捉え、少女の肩から腕を下ろす。

 同時に息を潜めていた激痛が身体中に迸るが、私は少女たちを心配させぬように何食わぬ顔で槍を構えた。

 今の私の魂は恐らく、乾きかけた粘土を無理矢理成形したようなものだ。そりゃ罅も入るし、いつ崩壊するかも分からない。それでも、彼女たちは出来る限り守り抜きたい。


「下がって」


 その一言だけで、少女たちは全てを察し私の背後に隠れるように身を縮こまらせる。込められた意味は一つ、魔物の襲来だ。


「ウゥ……ゥッ」


 たどたどしい足取りで、私の眼前の魔物は何かを求めるように小さく呻いた。

 テルミニ曰く、迷宮は各エリアで生息する魔物が異なる。

 光の無い闇の世界、第一階層では暗闇と酷寒に適応したケイブバットや、ケイブセントピード。

 第二階層ではシャドーハンドやリリーネルと言った植物系の魔物から、ゴブリンやオークと言った所謂亜人と呼ばれる魔物まで。

 しかしそれらとは他に、現在人類が踏み込んだことのある迷宮の全ての階層に存在が確認された魔物というものもいるそうだ。

 人間の死体から発生するゾンビ、スケルトン。生物の魂を喰らうとされるスライムは、迷宮のどの階層であっても存在が確認されているらしい。そして、この魔物は迷宮でしか存在が確認されない魔物だ。


「アゥウ……アッ、ウッ……」

「……済まんな」


 真実を知る私は小さく呟く。

 まるであの時目にした大喰らいのように、その全身はタールのような汚らしい黒に覆われていた。

 顔面には、大きく口を開いたかのように見える大きな黒い(あな)が一つ。目にあたる部分からは、ひっきりなしに赤黒い液体が筋を作りぽたぽたと地面に落ちていた。

 クローラーという魔物だ。その強さはピンキリ。

 第五階層まで行けるような大ベテランのパーティーを一瞬で壊滅させたとも、逆に第一階層で昨日探索者になったばかりの少女でも倒せるとも言われている。探索者にとって、謎に包まれた存在だ。

 それもその筈、このクローラーという魔物は、人間の戦士と同じような戦い方を好むのだ。格闘術や、落ちていた枝を大剣のように振るったという報告もある。

 そしてクローラー毎にその練度は異なるため、推定される戦闘力がまばらなのだ。

 春夏冬はそのクローラー全体を、注意深く観察する。

 戦士の力量というものはその所作全てに現れる。息遣い、筋肉の収縮、重心の移動、そして視線など。

 今回のクローラーはどうだろうか。そう値踏みするように、私はじりじりと歩み寄るクローラーの全ての所作に注意を配る。


「……最悪や」


 直後、私は確信と同時に警戒を最大レベルに引き上げた。

 鈍い音が空洞内にこだまする。それは、クローラーの拳と私の剣槍が激突する音だった。

 金属の削れる耳障りな音を立てながらクローラーの拳がこちらの槍の(しのぎ)を削る。

 先程までゾンビのような呻き声をあげていた筈のクローラーが、少しだけ笑った気がした。

 槍の利点である間合いを瞬時に潰されたこの状況は芳しくない。私はクローラーの足を払うように下段蹴りを繰り出す。

 クローラーは、下段を受けることを嫌って一歩引く。

 その行動を取るのは分かっていた。私はそれに合わせて大きく踏み込むと同時に槍を剣に変形させて大きく横に薙ぐ。

 素早い剣撃は空気を裂き、ブォンという音を立てながら滑るように空間を突き進んでいくが、クローラーは人間とは思えない程の柔軟さを駆使し、上体を逸らすことで剣をやり過ごすと、その戻りに合わせて力強い拳を放つ。

 剣を戻す余裕は無い。咄嗟の判断で剣を手放し、両手を交差させて防御に集中。

 直後、雷撃の如き衝撃が腕を起点に全身を襲い、浮遊感の後私は少し後ろに控える少女たちの中に吹き飛ばされた。


「大丈夫ですか!?」

「あぁまぁ……。にしても、弱り目に祟り目というか、悪いことは重なるもんやね」


 半ば介抱されるように少女たちの手を借りながら起き上がると、クローラーは拳を構えたままこちらを静観していた。その構えは、酷く見覚えのあるもの。

 私が再びクローラーと相対すると、クローラーが再び微笑みを浮かべるように顔面の暗い孔を半月状に歪めた。

 それはまるで、戦いに生きがいを見出す戦士のようで、清々しいもののようにも見えたのは気のせいだろうか。


「……これで最期ってことか?」


 私がクローラーと同じ構えを取りながら問いかけると、クローラーは考えるように小首を傾げた。

 しかし、戦士の会話とは言葉だけによって行われるものではない。

 刹那、クローラーが姿勢を下げたかと思うと、気が付けばすぐ側まで肉薄していた。


「クッ!」


 放たれる掌底を逸らし、お返しに私も掌底を繰り出すも、それは虚しく空を切る。

 更にクローラーは空振った私の腕を掴み、背負うような姿勢から私を投げ飛ばそうとする。

 この技量の相手に対し、空中に追い出されたとなると私の旗色は圧倒的に悪い。

 近接戦において下半身の役割は大きい。その下半身が地に足を着けていないとなると、近接戦の全てにおいて不利だ。

 しかし、私は成功を確信し思わず意地の悪い笑いを浮かべた。

 身体が浮くと同時に、私を投げる力に自ら投げられに行くように重心を移動させる。

 自らの力とクローラーの力が合わさり、私は容易く宙に浮いた。しかし、ここは洞窟だ。

 私は空中で丁度姿勢が反転したと同時に足を延ばし、天井を力強く蹴り瞬時に姿勢を再度反転させ、大きく振り上げた手刀をクローラーの頸に振り下ろす。

 刹那、クローラーと目が合った。

 今度は気のせいでは無いと断言できる。クローラーは跳んだ私を見て、嗤った。

 私は確信と共に手刀を振り下ろす。


「ウゥァッ!」


 クローラーが予想外の攻撃に悲鳴を上げる。しかし、これで終わりではない。

 そのまま頭を背後から掴み、確実に殺すために掴んだクローラーの頭を捻る。

 ゴキリ、と鈍い破砕音が響くと、クローラーは糸の切れた人形のように力無く倒れた。

 人型のクローラーの弱点は人間と全く一緒だ。首の骨を折ってしまえば、確実にもう動くことは無い。

 それを見届け、私も同じように地面に膝を突いた。

 耳鳴りが響き、視界が水を入れたグラスを通したかのようにぐわんぐわんと揺れている。猛烈な嘔気に襲われ、私は抵抗せず胃の内容物を吐き出した。


「春夏冬さん!」


 一番年長らしい少女に背中を摩られる。

 暫くして落ち着き、懐からハンカチを取り出し口許を拭いながら私は立ち上がる。

 倒れた姿勢のクローラーは、まるで血液のように赤黒い液体を漏らし鼻が曲がる臭気を放つ水溜まりを作っていた。


「今のって……クローラーですよね?」

「まぁ。それ以外の選択肢があらへんわな」


 と素っ気なく答えつつも分かっている。彼女が言いたいのは恐らく、あのクローラーが有していた圧倒的な技量だろう。

 あれは私の見立てでは、レグルスと比べてもなんら見劣りしない、達人と言っても遜色ないほどのものだ。外れも外れ、大外れである。

 私が勝てたのはただの運。そして、とある確信があったからに過ぎない。無ければ私達は今頃ミンチになっている。


「また一人、味方が消えた訳やな。どうやら本格的におかしくなったらしい」

「えっ?」

「……こっちの話や」


 私はクローラーの傍らで屈み込む。


「ありがとな、でもうちじゃ無念は晴らせん。遠からずそっちに行くわ」


 旧友に想いを馳せると共にクローラーに一礼し、私達は歩みを進める。

 恐らくはこの先に、奴らが待っている事だろう。

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