ST30 道化の舞台
トントン、とアワリティアがつま先で土を蹴る音が響く。
レグルスの拳が、弓を引き絞るかのように引かれる。
強欲な少女が嗤う。
武闘家が表情を引き締める。
その停滞は須臾の間に過ぎず、直後には二つの弾丸が放たれていた。
巻き起こる旋風、二つの熱が激突する。
さも、これまでの戦いが前座だったとでも言うように。二人の攻撃は先程よりも数段重く、そして鋭かった。
虚空を殴り、土は噴き上がる。汗が跳ね、吐息が漏れる。
快音、轟音、鈍音そして無音。
それはまるで完成された曲のように。そして二人は、その音色に合わせて舞うように。闘いの熱に身を投じていく。
そんな曲に始めに終わりを告げたのはアワリティアだった。
大きく飛ぶことによって退くことによってレグルスの突きを回避し、中空でその両手に炎を宿らせてレグルスに放つ。
焔は空を焦がしながら突き進み、レグルスに直撃するかと思われたその直前に、レグルスの姿は掻き消え、火球は大地に小さなクレーターを作る。
レグルスは跳んでいた。その姿は未だ空に浮かぶアワリティアの眼前に現れ、その矮躯を地面に撃ち落とす。
流星のように放物線を描き、アワリティアは聳える木々の一本の幹を蹴り勢いを殺し着地する。そして、着地寸前のレグルスを狩ろうと動き出した。
着地には必ず一定時間の攻撃も防御も不可能な時間が存在する。それの隙を無理に消そうとすれば、不時着による傷を負うのは自分自身だ。だからこそ、着地狩りという行動は戦闘においてごく自然な行い。
しかしそんなことに、レグルスが気付かない筈が無い。
「嘘っ!?」
レグルスは着地と同時に脚を開き姿勢を下げることで、アワリティアの攻撃を躱したのだ。
これまでアワリティアは執拗なまでに頸を狙う攻撃を繰り出して来た。
確かに頸椎は人間の数多い致命傷の中でも、死に至らしめる可能性が高い急所中の急所だ。しかし、戦闘において一カ所のみを狙うという行為は、相手に行動を予測される恐れが伴う。
しかしそれでも頸を狙い続けたのはアワリティアが持つ狂気と、残虐性が引き起こしたものであったが、それをレグルスは逆手に取ったのだ。
アワリティアの顔から初めて余裕が失せた。その瞳には、振り抜いた貫手の下で姿勢を低くするレグルスの拳が、自身の鳩尾に迫るのが映っていたのだから。
「ック!」
アワリティアは焦った様子で膝を蹴り抜き、レグルスの拳の軌道を逸らす。しかしその感触は拳を打ったとは思えない軽さであった。それもその筈、その攻撃はフェイントに過ぎなかったのだから。
直後、軸足に鈍い衝撃が加えられ、アワリティアの視界は冗談のように縦に回転し始める。
レグルスの下段蹴りにより、体勢が崩れたのだと彼女の脳が認識したのは、その瞬間から一秒も経たなかった。無論、一秒もあればレグルスはアワリティアを仕留めているのだから。
姿勢が完全に崩れ、立て直すことは不可能だと悟ったアワリティアは、倒れる瞬間に身体を逸らし、後方転回により間合いを取り戻すと共に体勢を立て直す。
そして大地を押さえるように両手を向け、直後アワリティアを中心に爆炎と黒煙が噴き上がる。
それは、追撃に走るレグルスの視界を一瞬奪うのには十分すぎる程だった。
アワリティアの手に青白磁の塊が宿ると同時に、先程乱された呼吸を整えるために黒煙の範囲内から抜け出す。
レグルスは、視界が削がれた状態でアワリティアの前にいる事を恐れ、大きく飛び退いて黒煙の範囲内から抜け出す。
暫しの静寂、それは幾秒経っただろうか。永遠とも一瞬とも思えるその時間は過ぎ、やがて黒煙は晴れる。
そこにあったのは、奇襲に供え構えを一切解くことの無い武闘家と、狐を模したエネルギーに包まれた少女が、冷気を発しながら光を乱反射し水色に光る剣を持った姿だった。
再び膠着が訪れた。
レグルスにとっては、彼女がまだ手札を隠しているというのは容易に想像できることであった。しかしそれは、対処可能という事にはならない。
剣を模した氷により、彼女の間合いは引き延ばされると同時に、その致死性は跳ね上がった。
彼がアワリティアに一撃を入れるためには、彼女の膂力と俊敏性で振られる刃の暴風を掻き分け間合いに潜り込まなければならない。
数日前、町を少し出た先の丘で交戦した半グレのような有象無象であれば、それはとても容易な事である。しかし、眼前の少女、アワリティアはそんな尺度で測れるほどの弱者ではない。
そんな者がナイフのような短い得物ならともかく、あのようなリーチを振るう事になれば。形勢は容易に彼女の方向に傾くことになる。
それに、彼はアワリティアが氷を創造する場面を見ていない。もし彼女の剣が「操る」魔法によって創造されたものであるのならば。
あの剣自体がブラフであり、認識外の方向から飛び道具を放つことも可能だ。
それらを全て考慮しながら戦わなければならない。しかし、彼はそんなことをする気は毛頭無かった。
彼の先程の猛攻は、まだ100パーセントのものではない。
彼女がまだ見ぬジョーカーを切る可能性は十分あった。だからこそ、謎の力に満ち満ちた現在の自身の力を誤認させたのだ。
彼女が自身の能力を誤認し、それを全力と仮定して練っている計画を、それを上回る想定外の力で打ち砕く。
「……」
氷の剣を握り締めて彼女は武闘家と相対する。
握り締めた氷の温度に皮膚は凍て張り付き、感覚を失わせていた。
アワリティアの瞳には最早余裕など無かった。あの印象的な狂気的な笑みすらも、今は影を潜めている。
戦況がここまで拮抗することになるとは、彼女にとって全く予想すらしていない事であった。
近接戦の実力は若干相手の方が上手、遠距離攻撃に徹すればその超人的な身体能力で隙を詰められてしまう。
ならば選択肢は一つしかない。
それは、最も勝てる可能性の高い近接戦で、リーチと致死性を高めレグルスに無数の択を押し付けることだ。
この魔法は氷を作り出すだけであって、冷気が自身に齎す影響を無くしてくれる訳ではないし、矢のように射出出来る訳でもない。現在握っているものも、剣の形を模しただけのただの氷塊だ。一応は刃を模して創造しているが、その切れ味は期待できるものではない。
しかし、それをレグルスが知る由など無い以上、彼はアワリティアの魔法が「操る」魔法である可能性を警戒し、常に気を配らなくてはならない。
言うなればこれはブラフだ。氷を創造し、操ることが出来る魔法を持っている事を僅かでも彼の頭に思考させることにより、レグルスに本命である近接戦以外の思考にリソースを割かせる。
意識を全て向けているアワリティアと、周囲の氷に警戒する必要があるレグルス。そして、近接戦の実力は拮抗している。なれば、勝利は目前だ。
「……」
「……」
そして両者は、全く同じ結論に達した。
正面から、正々堂々と、自身の敵を討ち滅ぼすと。
じりじりと、ゆっくり歩みながら二人は間合いを詰めていく。
その歩みは歩みから早歩きに、早歩きから小走りに、そして刹那、二人の姿が掻き消えた。
レグルスの鋭い突きがアワリティアの顔面があった空間を打ち抜く。
しかしアワリティアは既に半身で躱した直後だ。そのままレグルスの拳が戻る前に剣を振り抜いた。
凍てついた刃が宙を駆ける。
しかしレグルスは分かっていたかのように、剣の腹を肘で打ち軌道を逸らす。
鈍い音の直後に氷から軋むような音が発せられ、氷の剣に幾筋の罅が走った。
アワリティアはそんな剣にはもう利用価値が無いと踏み、戻す事無く手放すとレグルスの頭上に鋭い氷柱を作り出す。
このままならばレグルスは文字通りの串刺しだ。徒手空拳のレグルスには防御する術も無い。これでレグルスは回避を強いられることとなる。
しかしレグルスはその氷柱を退く事では無く、間合いを更に詰めることによって回避する。
吐く息も掛かる至近距離の間合い。
再び、拳の演舞が始まる。
嵐のような剛拳は大気を貫き、蛇のような柔拳は流水のようにしなやかに流れる。時折グレシャーブルーが生まれ、そして弾けた。
躱し、逸らし、受け、打ち、全ての攻撃がまるで台本に記された演技とでも言うように、二人は一進一退の攻防を続けていく。
それはまるで、対話しているようであった。
拳の先、視線の動き、呼吸、筋肉の収縮、脚の位置。その全てが戦況を作り出し、それを如何にして相手から受け取るという力。
それは対話と言わずして何と言うのか。武の極致とも言える二人は今まさに、拳による対話をしていたのだ。
アワリティアが微笑む。それは先程までの狂気的なものとは異なり、年相応の少女のような無邪気なものであった。それに応えるように、レグルスも表情を和らげる。
しかしその対話は、突如として終わりを告げた。
「楽しかった……」
「そうだな。もう終わりか?」
アワリティアが大きく間合いを外す。その口調は今までの壊れた玩具のような不気味なトーンでは無く、相応の少女のようだった。
レグルスは追わない。短い言葉だけでそう応えると、静かに構えを解いた。
「まぁね。そろそろ時間だから」
「時間……?」
「どうせまた会う事になる。その時はまたやろうねぇえ?英雄サン?」
それだけ言い残すと、アワリティアは踵を返しレグルスに背を向け、手を振りながら森の中に消えていく。
レグルスはその背中を追う事はしなかった。その、見た目相応の幼さを感じさせる背中に、大きく深い何かを背負っている気がして。
レグルスはアワリティアの去った方向から視線を外し、また別の方向に視線を向ける。
彼の耳が、彼方より彼の元に駆け寄る足音を捉えたからだ。
「レグルスさん!」
黄金の瞳の案内人が現れたのと、その二人の前に大きな影が舞い降りたのはその直後のことだった。
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共鳴、その言葉がテルミニの頭には響き続けていた。
怪物を前に突如頭に響いた謎の声、それを皮切りに肉体には未知の力が満ちていった。
それだけではない。今この思考を染め上げる根拠の無い全能感はまるで、この世界を作り変える事すら可能に思える。
全ての感覚が研ぎ澄まされている。先程怪物相手に私の魔法の真のポテンシャルが引き出せたのも、偶然ではないだろう。
そして、眼前に舞い降りた怪物も、恐らくは偶然ではない。
「ウゥ?ヒヒッ……ヒヒヒヒヒッ!!」
怪物は私を視界に収めるや否や、卑しく口の端を持ち上げて嗤う。
それは、下卑にして醜悪。第二階層で最も恐れるべき存在。
二人とも一目で確信した。この異様な雰囲気を放つ怪物こそが、色狂いの魔物であると。




