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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
二章 淫虐に聳える
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ST29 執着は強く

 魂の燃やしたかの如きその力は、黄金の脈動となり少女の身に渦を巻き集う。

 瞳を染め上げ、身に余る力が狐を模したその姿は、彼女にとって奥の手とも言える物。

 彼女と、そしてもう一人の使い手は、この状態を『浸食』と呼んでいた。

 彼女の場合『浸食』により齎される力は、瞳を魂を燃やすような金色に染め上げ、身体に収まりきらず溢れ出した力の奔流が、狐の耳と尾という形になって現れる。

 この状態にさえなってしまえば、その絶大な力が敵を討ち滅ぼすのは確実と言ってもいい。

 何故ならこれは、自らの魂を代償とするのだから。


「往くよ」


 縦に開いた瞳孔が見開かれ、アワリティアは先程までの道化のような雰囲気を廃した。それはまさに、野鳥を見据える獣の眼。肉食獣の眼だった。

 刹那、土が跳ねた。

 いや、それはレグルスの感じた錯覚。その実は、彼の動体視力を遥かに凌ぐ速度でアワリティアが駆けた。ただ、それだけのこと。

 鈍い音が唸り、レグルスが吹き飛んだのはそれと同時だった。

 瞬く間に足が地を離れ宙に浮いたことを自覚し、着地の体勢を整えようとするレグルス。

 しかし、それを追い越した黄金の狐は、聳える大樹の幹を蹴り、立て続けにレグルスの姿を掻き消した。

 轟音。肉を擂り潰し、骨が軋むような音を鳴らし、隕石の落下と紛うほどの衝撃波と轟音が唸りレグルスは金狐の前に為す術無く堕ちる。

 入道雲のように土煙が立ち昇り、二人の姿を隠す。

 地面に打ち付けられると同時に受け身を取り、次の攻撃に備えていたレグルス。中空で拳を構え、狂ったような嗤いを浮かべる少女。それらは赤茶けた粉塵によって隠されていく。

 暫しの静寂。直後、衝撃インパクトにより土煙は霧散する。

 位置エネルギーを全て衝撃に変えた掌底。それを、レグルスは両手を交差し受け止めていた。

 大地に亀裂が迸り、衝撃は風圧となり彼らを中心に放射状に駆ける。

 少女の嗤笑は度合いを増しまるで裂けるようで、レグルスはその歯を強く噛み合わせる。


「まだぁだよッ?」


 アワリティアがそのままレグルスの腕を掴み着地すると、バネのように身体をしならせて投げ飛ばす。

 投げ飛ばされたレグルスは木の幹に両脚を付けアワリティアを見据えるも、直後には目を見開いた。

 ぼうと、アワリティアの両手の平に計二つの橙色の焔が宿る。それは徐々に収束し、発光を強め、やがて球体を成し放たれた。

 空を焦がしながら進む火球は、寸分の狂い無くレグルスの下に飛翔する。

 爆音。灼炎が爆ぜ、黒煙が包み込む。

 舞い散った火の粉は枯れ葉を、そして大気を焦がす。

 レグルスが幹を蹴り地面に着地する。煤に塗れたレグルスと、黄金に輝くアワリティアのコントラストは、まるで絵画に描かれる天使と悪魔のようであった。


「魔法か……?」

「さぁぁねぇ??」


 驚愕に再び歯を剥き出しにするレグルスと、その反応を愉しむように醜く笑うアワリティア。

 言の葉がこれ以上紡がれることは無く、アワリティアの呼吸が途絶え開かれた間合いは再び潰える。

 余裕を隠すことなく曝け出したアワリティアの踏み込み。

 自らの肉体を武器とする二人にとって、その距離は最も得意とする距離。

 喉を貫かんとするアワリティアの貫手が空を切る。

 レグルスが半身で躱し、そして一歩引く。

 それは、拳を目一杯伸ばし初めて届く適正距離。

 身体の戻りに合わせて振り抜かれるレグルスの拳。

 それまでのアワリティアであれば、暖簾を腕押しするように柔軟に直撃を避けただろう。

 しかし、今のアワリティアは違う。

 貫手をそのまま斜めに振り下ろし、レグルスの拳を弾くようにして逸らす。

 それは、金の狐を模した強化された状態の膂力でこそ成し得る技。

 戦闘において、回避に代わる最適な防御行動は無い。それは、剣士同士の戦いでも、怪物同士の戦いでも同じことだ。

 防御から反撃に転じるためには、敵の攻撃を受ける、弾く又は逸らす、そして反撃するというプロセスを踏む必要がある。

 しかし回避から攻撃に移るには、攻撃を回避する、そして反撃するという工程しかない。

 防御は攻撃の前準備だ。そして回避とは、それをさらに容易にする。

 しかしアワリティアはそのアドバンテージを敢えて捨てた。作れたはずの好機を、己が力を見せつける為に敢えて逃したのだ。

 それに気付いたレグルスは表情を歪める。


「ハッハァ!」


 アワリティアの手刀が炎を纏う。そして、さらに一歩踏み込んだ。

 吐く息すら感じられる密着。

 詰められた間合いはレグルスにとって、満足に拳を振るうのもままならない距離。

 しかしその距離は矮躯のアワリティアにとって、最高の距離。


「く……ッ!」


 直後、衝撃が迸る。

 レグルスは反撃を棄て防御に回った。

 続け様にアワリティアの回し蹴りがレグルスの身体を打ち抜く。

 苦痛にレグルスの表情が歪み、衝撃を逃がすようにレグルスは大きく後ろに飛び退く。

 詰められた間合いを、再び確保する。

 先程までの間合いはレグルスにとって近すぎた。

 体格は、それだけでアドバンテージを生むものだ。人が熊に力比べで勝てないのと同じで、膂力は恵まれた体格により生み出される。

 しかし、間合いを離すレグルスを、そのまま逃がすほどアワリティアは甘くない。


「逃がさなぁいよ!!」


 アワリティアが手を振るうと同時に、炎の球が空中で膨れ上がり放たれる。

 地面を穿つ轟音。

 レグルスの着地と同時に着弾した火球は、着弾の衝撃で弾け飛び内包する灼熱を撒き散らした。

 黒煙が分かたれ、燻る雑草の上に着地したレグルスは無傷だった。

 咄嗟に地面を拳で穿つことにより、噴き上がった土や石を即席の盾としたのだ。

 しかし消耗は隠せない。レグルスは片膝を突いて尖った双眸をアワリティアに向けた。


「――――」


 アワリティアが心底楽しそうに微笑む。

 二人の間に、再び静寂の帳が舞い降りた。

 アワリティアは思考する。

 レグルスの手札は少ない。魔法と呼ばれる異能も、葬送の家系に多い魔眼も、そして今のこの身を焦がすものと同じ力も、この戦闘が開始してから一度も行使していない。そして、その素振りも無い。

 ここまで追い詰められて手札を伏せる理由も無い。それはつまり、このまま押し切れば勝利は確実となる。

 思わず舌なめずりしてしまう。彼の死は、アワリティアの目標に大きく近付く事となるのだから。そして、それ以上に愉しかった。


「……」


 レグルスは逡巡する。

 アワリティアの手札が多過ぎる。金色のオーラに纏われたこの状態、そして自身に匹敵する近接格闘能力、そして炎系統の魔法。どれも一つ一つが厄介な手札だ。

 まだ隠している可能性もあるが、この勝利を確信した状況で無暗に晒すほど馬鹿でもないだろう。つまり、この戦闘でこれ以上の手札を見せることは無いという事だ。

 ならば、今見えている手札だけを警戒し、まだ見ぬ切り札を引く前に圧倒するより術は無い。

 そう方針を決めたその時、ふとレグルスは自問する。

 出来るのか、自分に。

 仲間一人満足に守ることすら出来ない、自分に。





『――――――――』





 レグルスの脳裏に、とある影が映った。

 それは少女の姿を取り、彼に微笑みかけながら言葉を残す。

 レグルスは一瞬目を丸くすると、直後には何かを悟ったような優しい表情を見せた。


「いや……。そうだな」

「……?ハハッ、考え事はぁ終わった?」


 そんな中、レグルスの中にナニカが脈動する。それは湧き水のように噴き上がり、徐々に彼の中を満たしていく。

 思わず頬が綻ぶ。疲労と苦痛に満ちた思考が解されていく気がしたのは、恐らく彼の錯覚では無かった。

 後世の歴史家は語る。

 人間の魂というものは、誕生したその時に全てが決まる。

 例えるなら魔法。魔法とは、魂の拡張機能として最も一般的な例だ。

 魂という器に入りきらなかった感情や人格、その他個人を形成する様々な要素が、魂という器から零れ魔法と言う形で顕現するのだ。

 生誕したその瞬間、子は初めて母の胎内から出で本当の世界に触れる。素晴らしく、そして広大な外の世界と。人生において、これに代わる程感情の昂ぶり、つまり魂の波長が乱れることが無い。

 だからこそ、魔法はその瞬間に初めて顕現するのだ。その本人が何時気付くかは別として。

 魔眼と呼ばれるものも同じようなものだ。その異能が、人間の感覚器官の中で常外界に触れることの多い眼に宿るのが魔眼だ。

 しかし、物事には全て例外というものが存在するものだ。それら以外でも、魂に大きな影響を及ぼす事がある。それは、生物を殺し、その生物の魂を取り込んだ時だ。

 10年、彼はその長い時を迷宮と共に過ごしてきた。10年前の英雄の詩と、迷宮の獅子の悪名が廃れ始めているように、迷宮の街に彼ほど古い探索者は存在しないのだ。

 それはつまり、彼ほど魂を取り込んだ者が存在しないことを示唆する。


「……ッ。……なるほどぉ、こぉれからが本番……だね?」

「まぁな。今やっと――――」


 レグルスが構えた。

 彼は忘れていない。自身の背に、二人の少女の想いを乗せられていることを。

 鬼神の如き威圧感を醸し出すレグルスを前に、アワリティアは狂気に満ちた笑みを浮かべる。今までの、どの笑みよりも狂った笑みを。


「――――興が乗って来たところだ」

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