ST2 お礼参り
昼の出来事を忘れるように宿屋の夕食を掻き込み、私は一人夜風に当たる為街に出ていた。
この街は決して、治安が良いと言われるほどの街ではない。それでも、私が夜に街に出たくなったのには理由がある。とはいっても、大した理由でもないが。
宿屋を出て、街の外れの高台を目指し歩を進める。そこには巨大な一本の木があり、その木を背もたれにして座れば、この街が一望出来るのだ。
記憶よりも急だった階段を登り、水路を渡す石橋を渡る。舗装路から、未舗装の道へ。そこから土を踏み、雑草と戯れながらしばらく。
「……久し振りにここ来たかも」
銀色の月が夜空に輝き、藍色の夜風が大木の葉をざわざわと揺らめかせる。そしてその大木の裏に広がる、今私の暮らす街。
ここに来たのは、この街に最初に来たとき以来だ。
元々私は、別の町の貴族の娘だった。貴族と言っても爵位は子爵。それに私は女だ。楽しく明るい生活なんてものは待っていない。
つまらない人生は嫌だ。だから私は、昔から憧れだった探索者になることにしたのだ。だが死にたくは無いので、比較的安全と言われる案内人として。
だが、案内人は想像より遥かに厳しい仕事だった。案内人は、その性質上探索者チームの先頭に立つ。当然不意打ちを受ければ一番最初に傷を負い、これは聞いた話だが、仲間から嫌われていれば背中から斬られることもあるそう。
こんな話を聞いてしまえば、仲間である筈の人間相手にも気を張ってしまう。
誰だ、案内人は比較的安全だと私に言った奴は。
『探索者になりたいんですけど……死なない役職ってなんですか?』
『戦闘で死傷者が少ないとなると……案内人かな。良ければ、案内人として登録します?』
あ、一年前のゼクレだ。
大木の裏に回ろうとしたところで、ふと大木の根本の一輪の萎れた薄桃色の花に目が留まる。一年前も、そう言えばあったものだ。私の他にも、ここが好きな者はいるらしい。
大木の裏、夜景を眺めながら腰掛ける。案内人として登録し、私は師匠に日々技術を叩き込まれた。足跡による性別や足跡の主の状況、その主の装備の判別の聞き分け、地面や壁の傷の見分け方、魔物の不意打ちの対処方、いざという時の護身法、エトセトラ。
師匠がこれまた厳しい人で、私はドジをやらかしてすぐに怒られてしまうのだ。当時は苛立ちを覚えていたが、今思えば、厳しいながらも優しいところはあったし、中途半端な気持ちで迷宮に赴く私を、止めさせようとしていたのかもしれない。
そんな日々の中、見つけたのがこの場所だった。
最初にここに訪れたのは、不思議な出来事が切っ掛けだった。友人同士で集まり、友人の家に泊まった夜。悪い酔い方をし、そのまま潰れて寝た後だ。
夢を見た。どこか暗い場所に立っている私と、先に差す一筋の光。その光へと歩んでいくと自然と目が覚め、ここに立っていた。
そんな、不思議な成り行きではあるが、気に入っている。
ここに来れば、街の明かりが全て見える。人の営みの証が見える。団欒が見える。こんなにも遠く、こんなにも小さく。
この景色を見るとなぜだか私は、たちまち気持ちを入れ替え再び頑張ることができるのだ。
最近は嫌なことが多過ぎた。度重なる契約解除、今日なんか犯罪に巻き込まれそうになったのだ。しかしこの街に居続けるのなら、心機一転して明日から仕事を探す他無い。実家に帰る等以ての外である。
と、私は夜景に向けていた意識を戻し、迷宮で鍛えた耳を澄ます。我ながら、耳がいい自負がある。
ザク、ザクと土を踏む音が徐々に大きくなっていく。どうやら、誰かがこちらに向かっているらしい。もしかすると、この大木の根本に花を供えている人物かもしれない。
ここで出ていって挨拶してもよかったのだが、やはりこの街の治安が良くないことが頭を過る。
その人物が花を供えるだけなら、裏にいる私には気が付かない筈だ。そしてもし景色を見に来るような人物なら、少なくとも極悪人などではないだろう。私は息を潜め、大木の裏でやり過ごす事にした。
徐々に近付いて来る足音。案内人は、足音で人物を判別する訓練も必須科目だ。この足音は、重く力強い。私よりも身長の高い、男性の可能性が高いだろう。
やがて、足音は大木を挟んで私のすぐ後ろで止まる。
風上とはいえ、夜風の音に紛れてしまうため息を止めずとも良さそうだ。
そして直後に布擦れの音。屈んだのだろう。ここで屈むとはやはり、花を供えている人物のようだ。
パンッ、と手を一度だけ合わせる音が月夜に響く。花を供えて手を合わせる。その意味を理解し、私はなんとも言えない気持ちになる。
と、足音が更に複数聞こえて来た。今度は一人ではなく、一団が来たようだ。しかも、小さく金属の鳴る音が聞こえる。武装しているらしい。
「おいおいあんちゃん! やってくれたなぁ!?」
一団の方から声が投げ掛けられる。荒々しい男の声だ。喧嘩腰の武装集団と、絡まれる男。嫌な予感がしてきた。
「契約は守った。先に手を上げたのはそっちだろう」
どこか出聞き覚えのある声で、花を供えた方の男が立ち上がり応える。
「ウチの若いのが世話になったみてぇじゃねぇか……こりゃお礼しなきゃなぁ?」
金属の擦れる音。鞘から剣が抜かれ、花を手向けた男に向けられたのだろう。
「お前達にとっての礼とは、剣を向けることなのか。参考になった、次からはそうするようにしよう」
「あァ? 何言ってんだてめぇ」
「皮肉だ、そんなことも分からんのか?」
「てめぇ、マジで舐めてんのか……?」
どうやら、ちょっと危ないチンピラと口論になっているらしい。話を聞く限り、チンピラ側が変な因縁を付けているように思える。そして、チンピラ側は剣を抜いているようだ。
一触即発の事態と言う訳だ。今すぐここから逃げ出したいが、大木の周りには茂みも障害物も無い。彼らに見られず逃げ出すことは困難だろう。
私は高まり始めた鼓動を手で抑えつつ、聞き耳を立て続ける。
「金がありゃ……許してやらんことも、無ぇ」
支離滅裂だ、脈絡が無い。最早ただのカツアゲではないか。
「ほう」
「そぉだなぁ……百金貨もありゃ足りるんじゃねェか!?」
武装集団の下品な哄笑が響く。その値段は、貴族の血を引く私でも法外と言わざるを得ない値段設定だった。
「金目当ての恫喝か。それが本当の商売、という訳か」
「ハハッ! その通り。死にたくなきゃ、金出して詫びな!」
まずい状況は続く。この手のチンピラは本当に凶行に及ぶ事は珍しいのだが、ここは街の中でも外れの場所。そこらの茂みに投げ込めば、死体発見は遅れるだろう。
そして、花を手向けた男は音からして武装をしていない。とはいえ、百金貨など常人がぽんと払える額を有に超えている。それは、向こう側も分かっている筈だ。
つまりチンピラ共の真の目的は、金を出すのを断った男を痛めつけるもしくは殺害し、所持品を剥ぎ取ることにあるのだろう。
そうなれば、この成り行きを聞いている私が見つかれば、碌な目に遭わないのは必至。崖から飛び降りてでも逃げ出したいが、飛び降りれば音が出、ここに誰かがいたことはバレてしまう。
チンピラは武装しており、集団だ。徒手空拳での護身法には心得があるが、一対多数の相手が武器持ちでは話にならない。
例え逃走に成功しても、彼らチンピラの規模がどれ程かは分からないが、集団でいる以上他に仲間がいる可能性は低くない。つまり、どこに目があるか分からないのだ。下手に動けない。
「悪いがそんな大金は持っていない」
「……それが本当か、確かめさせて貰うぜレグルスさんよォ!!」
武装したチンピラが走駆する。花を手向けた男には悪いが、彼が死ねばチンピラ共に私が気付かれることはないだろう。ここは息を潜めて……。
ん、レグルス……、どこか聞き覚えがあるような……。
そんな私の小さな疑問などいざ知らず、チンピラの剣による風を切る音が響く。そしてその直後、鈍い金属の音が低く唸るように鳴り響いた。
金属の音響は暫く空間を支配していたが、ゆっくりと衰え、やがて静まり返る。
違和感。チンピラが男を斬ったのなら、男の悲鳴や肉を裂く音が聞こえてくる筈だ。だと言うのに、聞こえてくるのは風の音だけ。確かな沈黙がそこに満ちていたのだ。
き、気になる。
「好奇心は猫をも殺すか……。えぇいままよ!」
風に紛れるように小声で呟き、私は大木の裏から顔を覗かせる。
実は男たちなんて私の幻聴で、そこには誰もいない高台の風景が広がっていると信じながら。しかしそこには、私が期待した景色など欠片も無かった。
「……」
「……」
半ばからへし折られた直剣を持ち、呆けたように剣を構えながら口を半開きにする男。その後ろには、同じく呆けたように口を半開きにするガラの悪い集団。そして、拳を振りぬいた体勢の、昼に見たばかりの見慣れた道着の後ろ姿。その傍らに転がる、折れた剣の先。
こ、これは……どういうことだ?見ていたわけじゃない為状況が正しく理解できない。強いて言うなら、男が斬りかかるチンピラの剣を拳でへし折った……。いや、そんなことが出来る人間などいる筈がない。拳で鋼を砕くなど、あっていい筈がないのだ。
しかし、そんな私の固定観念は、見事に打ち砕かれたのだった。
「拳で……剣を折っただと……?」
「いや、マジなのかよ!」
チンピラが弱々しく呟く。そして私は、思わず力強く突っ込んでしまうのだった。