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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
一章 暴食の洞窟
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ST10 嘘吐きアスター

少し忙しくなるのでただでさえ遅い頻度がさらに遅くなる………かもしれません。

 今日の街は、何故だか違和感を抱かざるを得ない。しかし、それは何故かと問われても、答えられる気はしない。

 豪快な哄笑を店内に響かせるマスター。向かいに座る二人の少女。周りの席の人達の談笑。窓の外に(そび)える迷宮。そして街並み。

 何一つ変わった点は無い。しかし、何かが間違っている感覚がしてならない。

 何故だろうか。と、悩むふりをしつつも、実はこの疑問の答えを、私は知っているような気がするのだ。

 喉元までは来ている。しかし、答えがそれよりも上に上がってくる気配は無い。それは当然のような気もするし、とても不条理である気もする。


「テルミニ?」


 向かいの席に座る少女が、小さく首を傾げながら怪訝そうな瞳で私を気にかけている。

 汚れ一つ無い真っ白なブラウス、ぴんと張った背筋は緩やかな弓のような曲線を描き、ミルクココアのような髪を三つ編みにして垂らした少女だ。いや、少女と呼ぶには(いささ)か大人びているかもしれない。

 そんな少女の様子が気になったのか、隣で座面の高い子供用の椅子に座り、フォークでパスタを懸命に巻き取っていた幼女も、姉を真似するように小さく首を傾げた。

 微笑ましい光景に、私は思わず笑みがこぼれる。

 その光景を見ていたらふと、違和感が強くなった。こんなことをしている状況ではない筈なのにと、誰でもない、私の声で呟きが聞こえた気がした。

 しかし、対面の二人には何も聞こえなかったようだ。


「なに?」

「いや、ぼうっとしてたから……。考え事?」

「あぁ……うん」

「ふふっ」


 私が空返事を返すと、少女はくすりと笑った。


「今日のテルミニ……なんかおかしいね」


 くすくすと、艶やかな唇に左手を添え、ゼクレ・メクシールはスプーンをシチューの皿に置く。橙色の人参の欠片が白い波に揺られ、斜めに差し込まれた銀色の塔にぶつかって沈んだ。


「急にご飯誘ってくるし、誘ったら誘ったでぼうっとしてるし。……どうしたの?」

「いや、そんなこと無いよ! ね!? フリルちゃんそうだよね!?」

「……うん!」


 口元をトマトソースで汚した幼女、ゼクレの妹であるフリル・メクシールは元気よく頷いた。その様子を見ていたゼクレは、ポケットからハンカチを取り出し慣れた手付きで口元の汚れを少々強引に拭い取る。

 しょうがない子なんだから。と口では困ったふりをしつつも、その顔は幸せそうに綻んでいた。


「フリルを道具に使わないでくださぁーい。……で、本当にどうしたの?」

「いや……本当に何も無いんだよ。ただ、顔を見ておきたいなぁって、思っただけ」


 何だか頬が火照った気がして、その頬を隠すように傍らのエールを一気に煽る。

 フリルのように口元に付いてしまった泡を袖を捲った腕で拭い、追加注文の為に手を上げる。横目でゼクレの様子を窺うと、彼女はどこか遠い目で、微笑みをたたえながら私を眺めているだけだった。


「エールもう一杯ください。ゼクレは?」

「もう……。私が()()なの知ってるでしょ?」

「そうだったね。う……」


 注文を終えた途端に突如、私の頭に鋭い痛みが迸る。

 まるで脳内が焼け切れたかのように、酷く熱を放つ頭痛に、私は思わず頭を強く抱えた。

 しかしそれだけでは耐え切れず、私は勢いよく料理の皿が並ぶ机上に倒れ込む。甲高い音を鳴らし、いくつかの食器が床に叩き付けられて割れた。

 対面の二人を含め、店内の人々が悲鳴を発し驚愕の表情で私を見つめるのが視界の端に映る。

 しかし周りの目を気にするほどの余裕も今の私には無く、段々と意識が朦朧とする。木のテーブルの木目は滲み、視界はホワイトアウト寸前にまで差し掛かる。


「テルミ……! ……丈夫!?」


 ゼクレの、焦燥が伝わる震えた声が聞こえる。

 しかし、先程まであんなに近くにいたはずのゼクレの声はどこか遠い。まるで、水の中から聞いているかのように。


「ねぇ起きて…………ルミニ」


 答えようとも、喉からは苦悶に喘ぐ声以外が出てくることは無かった。

 耳鳴りが聞こえる。次第に大きくなるその音は、ゼクレの呼びかけを遮っていく。


「……ぇ。いつ………………………………?」


 やがて耳鳴りが収まったその時には、私には何もなくなっていた。

 もう、何も聞こえない。何も見えない。何も感じない。あれ程にまで満ちていた希望すら、今の私には欠片も存在しなかった。

 まるで、私以外の全てが消え失せてしまったかのような、そんな感覚。

 何処が上で、どこが右かも分からず、最早自分が本当に自分自身であることすらも確認できない。




「――――思い出せよ。テルミニ・テセス・ローレンライト――――」




 そんな虚無の中、凛と響く声があった。

 視界も、聴覚も、触覚すらもこの暗黒の中では掻き消えるというのに、その声は暗黒の中で幾重にも反響し私の意識を揺らした。

 しかしどうだろう。

 何も聞こえない筈の私に聞こえたその声が、私自身の声に酷似(こくじ)していたのは、果たして気のせいだろうか。




 ◆~~~~~◆




 悪夢により微睡みから覚めた私は、まず一番に周囲を見渡した。

 岩壁、そして私の焚火。何の変化も無く、ゼクレもその妹もいない、当然ながらレグルスもそこにはいない。

 私は胸を撫で下ろすと同時に、少しだけ俯く。今のこの状況も、全て夢であったらという願いが、叶うことは無いと気付いたからだ。


「……よし」


 頬をぱちんと鳴らし気分を入れ替える。暗い気分では出来ることも出来なくなる。精神とは特に肉体を凌駕(りょうが)するものだ。

 心のどこかで、レグルスなら大丈夫だろうという油断があったのだろう。その油断と、自分の事しか考えないという、軽率な行動が生んだレグルスとはぐれるという事態。そのことに気が付いた私は、来た道を引き返すことによるレグルスとの合流を図り、早速行動に移した。

 しかし、それはすぐに悪手だったと理解する。

 案内人として道を見分ける技術というのは斥候に近い。チームによっては、斥候兼案内人として活動する者もいる。

 だからこそ、迷宮の道案内を専門とした案内人は、「いた方がいい」と言うより「いたら楽」程度で、つまり案内人を求める者のそもそもの絶対数が少ないのだ。……というのは別の話なので置いておこう。

 案内人が正しい道を見分ける方法は決まっている。足跡や、地面の状況、その他諸々。私の場合はそれらに、魂の残滓の状況という情報が追加される。

 しかしそれらは人間が通った証拠であり、誰も通っていない道を見分ける技術ではない。そもそもそんな技術は、未だこの世界には存在しないのだ。

 迷宮は再構築により一新された。血塗れの古い道が、未開の地の如き新しい道に入れ替わる。当然、私がいた場所からは、誰の痕跡も見当たらなかった。

 それでも、どこかに誰かの痕跡が残っていることを願い、歩き続けたらこの様である。

 誰の痕跡も見当たらず、あてもなく迷宮を彷徨(さまよ)い食事と休憩をする。炎を眺めているうちに次第に眠気が訪れ、微睡(まどろ)み、目が覚めたのが今だ。

 炎をランタンに移し、水袋の水を少量出し、食器を洗ってから片付ける。私のもう一つの魔法、『一掬いの魔法を操る魔法』はこういう時は役に立つ。洗うのは勿論、乾かすのもお手の物である。慣れていないので少し集中し、精神力を多く消費する必要こそあるが。

 ただ、一切の希望が無い訳ではない。これだけ広大な迷宮だ。道が全て新しく作り変えられているとは考えにくいだろう。

 仮定として挙げるなら、迷宮の全ては幾百、幾千、はたまた幾万にも上るパーツに分かれているのかもしれない。それらの配置が全て入れ替えられて、迷宮が再構築されているのかもしれない。そうであれば、何処に痕跡が残っている可能性もある。

 来た方向の目印として置いたスプーンをしまい、再び迷宮を歩く。レグルスとはぐれてどれ程の時間が経っただろうか。一日か、数時間か。太陽が無いと、それすらも正確に把握できない。

 しばらく歩いたところで、私は歩みを止める。接敵であった。


「……はぁ」


 カサカサというケイブローチにも似たその音は、足音というよりは摩擦音に近いものだ。しかし、今回の敵はケイブローチほど苦手ではない。

 巨大な蜘蛛が前足を上げてこちらを威嚇する。ケイブスパイダー。筋肉を弛緩(しかん)させる毒を牙に持つ、黒い大蜘蛛である。第一階層の敵の中では比較的危険な部類だ。

 剣を抜き構える。剣先は覚束無いが、そもそも第一階層の魔物は弱い。油断のつもりはないが、負ける未来も見えない。


「――――!!」


 蜘蛛が私に飛び掛かる。

 すべての脚を大きく開き、まるで私を覆い隠すかのように。

 飛び退くように素早く一歩を引く。

 先程まで私がいた場所に振り下ろされる脚。細い脚だが、あれでも探索者を押さえ付け牙を立てるには足る力がある。

 着地の隙を狙い、剣を一薙ぎ。

 赤くは無い体液が飛び散り、蜘蛛が痛みからか小さい悲鳴を上げる。

 だが浅い。数本は斬れたが蜘蛛の脚は如何せん多いのだ。


「――――!」


 足りない脚を物ともせず、蜘蛛はこちらに駆け出す。

 私は、手早く背負っていた鞄に被せていた大鍋を取り出し、前方に突き出す。ただの鍋だと侮るなかれ。これは鋼鉄製なのだ。


「!?」


 鍋が蜘蛛の攻撃を弾き甲高い音を鳴らすと同時に、蜘蛛は困惑からか短い奇声を上げる。大きく脚を引き、肥大した腹部を露わにした。

 その隙を狙い、鞄の陰に隠れるようにしながら、鞄の横から剣を一突き。

 所謂ガン盾。盾チクとも言う。剣士同士の決闘では嫌われる行為だが、対魔物なら文句を言う者など存在しない。

 硬い甲殻も持たない蜘蛛には、振る剣に鋭さなどいらない。

 剣は容易く蜘蛛の身体に侵入し、反対側の蜘蛛の腹部から剣先を覗かせる。

 蜘蛛から力が抜け、刀身の上をスライドしやがて地面に音を立てて落ちる。

 勝ちはしたが、私の気分は晴れない。剣で何かを斬る感覚というものは、いつになっても不快感を伴うものなのだ。


「ふう……解体するか」


 剣を鞘に納め、鞄からナイフを取り出す。

 ケイブスパイダーの牙から抽出される毒は、売れば小遣い程度にはなる。無論解体は血を伴う。蜘蛛だから血ではないけど……。グロテスクなものは好きではないが、お金の為なら仕方が無い。

 そう思い屈んだのだが、その直後、迷宮にまた別の奇声が響いた。

 この声は聞き覚えがある。恐らくは、巨大な吸血蝙蝠の魔物である、ケイブバットのものだろう。

 つまり、比較的付近のエリアにケイブバットを倒した人間がいる。再構築後に迷宮に入ったのなら、迷宮の入り口からの道を来たという事だ。

 その人が、レグルスを目撃している可能性もある。また情報が無くとも、退路を確保するのは重要なことだ。

 行ってみよう。敵か、味方かは分からないが、とりあえず行くだけ行ってみよう。

 そう決断するのには、さして時間はかからなかった。

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