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迷宮のレオーネ  作者: 朽木真文
一章 暴食の洞窟
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ST9 紅いキルシウム

 白銀の刃は流麗な曲線を描き薙がれる。

 切っ先は巨大な蝙蝠(こうもり)の翼に軽く触れ、しかしながらその命には(こぶし)一つ分足りない。少女の舌打ちが空洞内でやけに響いた。

 少女はその長槍をさも手足のように巧みに操り、蝙蝠に反撃の暇を与える事無く、間髪入れずに鋭い突きを繰り出す。

 確かな手応えがあったらしい。少女はにやりと片方の口角を吊り上げた。

 刃は蝙蝠の頸部(けいぶ)を貫き、モノクロの洞窟の中で鮮血の(つぼみ)は鮮やかに、直後絢爛に花開いた。

 奇声を上げて魔物は絶命する。少女は魔物の身体から槍を抜き取り、血糊を払う為に素早く一度振る。洞窟の武骨な岩壁に、深紅の飛沫(しぶき)が飛び散った。

 カリメアの迷宮第一階層、通称『洞窟』の魔物は決して強くは無い。しかし、戦闘の経験が無い、例えるなら根拠の無い自信に満ちた農村の少年のような、素人が容易く(ほふ)れるほど軟弱でも無い。

 少女がこうも容易く魔物を狩れるのは、ひとえに彼女の卓越した技量の為せる技だろう。

 洞窟内に場違いな口笛が鳴り、男が少女の背後から近付く。


「凄いな。護衛とマッピングと荷物運びの依頼なのに、全然一人で戦えるじゃないですか」

「ん、そんなことないで。久々やし、少し(なま)ってるわ」

「いやいや!私達よりずっと強いです。今は違うそうですけど、昔は探索者だったんですか?」


 抜きはしたが使わなかったらしい剣を鞘に収めると、男は感心が込められた呟きを漏らす。それに数歩後ろでメイスを両手で抱えた女が同調し、不思議そうに少女に問いを投げた。


「探索者の素性の詮索はご法度やって聞いたんやけど?」


 少女は声のトーンを落とし、男女に軽く睨みを利かせる。しかし、二人はそれを意にも介さない様子だった。


「探索者……はね。春夏冬あきないさんは、探索者じゃないんでしょう?」


 男女に春夏冬と呼ばれた黒髪の少女はふんと鼻を鳴らす。そして、不服そうに槍を片刃の剣に変形させて鞘に収めた。

 それは、少し特殊な仕掛け武器だ。場合に応じて特別な操作をすることで、直剣と長槍、この二つの形態を自在に使い分けることができる。

 この武器は、ある組織に属している、または属していた証である。が、この武器を持つことが何を意味するかを、男女は知らなかった。


「それにその武器も、見たことが無い」

「ね。どうなんですか?」


 この際だからとでも言うように、男女は春夏冬に次々と質問を投げ掛ける。

 しかし、狼狽するでもなく、その端正な顔にオニキス(黒水晶)を二つ嵌め込んだ少女は溜息を一つ漏らすと、含みのある笑みを浮かべてみせた。


「あんま、詮索せんといてや?」


 その、威圧にも似た笑顔を前にこれ以上踏み入ることなど出来る筈も無く、男女はたじろぎながら押し黙るのだった。

 そんな先程の出来事から暫く。松明を片手に、男は独白するように呟く。


「それにしても珍しいですよね。情報屋が自ら、迷宮の再構築後の構造の情報を仕入れるなんて」


 男の言葉に、女は激しい同意を示すように何度も首を縦に振る。

 迷宮の情報を扱う情報屋は、迷宮から降りてきた探索者から情報を買い、それを自らの商品として扱うのが一般的だ。だからこそ、その情報は高値で取引され、そしてだからこそ春夏冬のようにある程度の戦闘の心得があり、自ら迷宮に潜り情報を得る彼女は物珍しくあるのだろう。


「探索者ってのは商人やない。たまに、欲に眩んで法外な値段を提示されることがあるんよ。だから自分で見聞きした方が楽なのは確かやね。()()()()()()()、まだ旬な情報やし」


 なるほどと漏らす二人の探索者に春夏冬は悪戯っぽい笑みを向けると、それに、と付け加える。


「今回はもう一つ目標があるんよ。いや、むしろこっちが主たる目的やな。前に情報を買ったときの交換条件でな、ある人の生存確認をせなあかん。もし死んでたら、死体も持ってくるように頼まれとる」

「生存確認って……昨日迷宮は再構築されたんですよ? 再構築の最中は迷宮に入れないって――――」

「あぁもううるさいわ。後になったら分かる。今は黙って、この私についてき」


 春夏冬はウインクを飛ばす。


「死体も運ぶ……ってことは、もしかして、依頼の一つの荷物持ちって……」

「運んでや?うちは非力さかい、人なんて運べんのよ。その為に雇ったんやからな」


 (しか)めっ面を見せる二人を尻目に、春夏冬は先を急ぐ。男女はそんな春夏冬に小走りで続く。ランタンの炎が揺らめき、三人の影は水面に映る影のように不規則に揺れた。

 やがて言葉は無くなり、沈黙を連れ三人は迷宮を歩く。

 三人分の靴音は幾重にも重なり、虚しくこだまする。

 恐れ、怒り、悲しみ、後悔。この迷宮という空間は、人間のあらゆる負の感情をよく混ぜ合わせたかのように暗く、まとわりつくような重い空気に満ちており、心做(こころな)しか一行の足取りも重い。

 ふと、春夏冬は歩きながら洞窟の壁を撫でた。

 灰色の岩肌は粗く、鋭い突起が多い。その内の一つが白磁のような春夏冬の肌に食い込み、鮮紅色の尾を引いた。


「しかし……いてっ」


 春夏冬は血の雫を口に含むと、(あで)やかに口腔から指を引き抜き、ポケットから取り出したハンカチで拭った。


「……けったいな場所やな、ここは」


 春夏冬の独り言に、背後の後衛兼案内人の女はメイスを両手に抱えて反応した。


「そうですね。迷宮という場所は……あ、そこ多分右です。……迷宮は太古から存在しますが、その秘密が明かされたことはありません。頂に旗を立てた者は願いが叶う。なんて噂も、あながち本当かもしれませんね」


 分岐路を曲がり、三人は喋りながら進む。

 それは、確かにカリメアの迷宮の根拠の無い噂の一つだ。しかし、何かを守るような迷宮の魔物の行動、そして危険性を見ると、真実であるかのように思えるのだろう。


「せやな。……そういや、二人はなんで探索者に?」

「俺ら、ですか?」

「他に誰がいんねんこの状況で」


 春夏冬が呆れた様子で吐くと、男の探索者は顎に手を当てて考え込む。女の方はというと、考え込むでもなく、小さく首を傾げるとすぐに口を開いた。


「私は……故郷が貧乏で、黒パンしか食べれなかったから……。お母さんと弟に、白パンを食べさせてあげたいなぁって」

「俺もそうですね。故郷が貧乏でつまらなくって飛び出した感じ。で、一人で燻ってたら……、こいつと出会った」


 男はやんちゃな表情を浮かべ、肘で女の脇腹を小突く。女は擽ったそうに身を捩り、頬を仄かに朱に染めた。


「あぁー……。イチャイチャなら他でやってぇな。ここは探索者の墓場、天下のカリメアの迷宮やで?」

「イチャイチャなんてしてねぇよ」

「そ、そうです!そういう春夏冬さんはどうなんですか!?」


 頬に差した朱を濃くする一方の女の問いに、春夏冬は一瞬だけ呆気に取られたような表情を浮かべる。

 何気ない質問を投げられたにしては、余りにも不思議なその様子に、探索者の男女は春夏冬の顔を怪訝(けげん)そうに覗き込む。それに気が付いた春夏冬は、先程の女の様子と同じように酷く赤面して、それを自覚してか隠すように足を早めた。


「う、うちのことなんてどうでもええやろ。そもそもうちは探索者やないし」

「そんなことないですよ。今の反応、何かあるんじゃないですか?」

「俺らも言ったんだから。商人としても、ここは打ち明けるのがフェアってもんじゃないんですか?」

「……うちを商人と言うなら!」


 春夏冬は急に歩みを止め、語気を強めて二人に対し向き直る。唐突なその行動に、二人の瞳は不思議そうに揺れた。


「――――情報はこうたら教えたる」


 春夏冬はが悪戯っぽく口端を持ち上げる。先程の意趣返しとでも言うように、春夏冬はしたり顔をしていた。




 ◆~~~~~◆




「聞こえた?」


 先導していた春夏冬は、何かに気が付いて二人に振り返った。

 春夏冬に追行していた男女は小さく頷く。

 自身が感じたことが共通の認識であることを理解した春夏冬は、音を立てぬようにゆっくりと直剣を引き抜いた。


「……な、何かを落としたような音でしたね」

「探索者か、魔物か。探索者も友好的とは限らんし……」


 女は羊皮紙を深めのウェストポーチにしまい、へっぴり腰でメイスを構える。男は今日一度も役目を果たせていない剣を抜く。左手の松明の光を反射し、自信満々とでも言うように刃が煌めいた。


「ん。……」


 春夏冬は探索者に共通に知られるハンドサインを出す。それは、敵の接近を示すものだった。

 小石を蹴飛ばし、岩と靴底が擦れる音が洞窟に響く。それは基本的には規則的だが、時折そのリズムが乱れる。何らかの生物の足音であるのは明白であった。

 緊張が張り詰め、時間が静止したかのように三人は動きを止める。

 緩慢と、怯えるような足音に、三人は既に接近する生物が魔物だという選択肢を弾いていた。迷宮に跳梁跋扈する魔物は恐怖という感情を知らないからだ。後は、その何者かが敵か、中立か、味方か。

 三人は各々の得物を構え、警戒を解くことは無い。

 そんな状態が暫く続き、その緊張はさらに強まった。

 春夏冬が剣を握る手を強める。

 遥か先で、小さな火が揺らめく輝きが見えたからだ。

 相手の光源が見えた。それはつまり、相手にもこちらの光源を見られているということでもある。

 しかし、こちらの存在を認知してもなお、止まることはない。この距離なら、大声を出せば届くだろう。


「何者や!」


 春夏冬の呼び掛けに反応して、一瞬足音が止まる。が、その後すぐに歩き始め、そして灯りが高く掲げられた。

 それは、中立の意思を示す行動だ。三人は一先ず胸を撫で下ろす。


「こちらに敵対の意思はありません!」

「ん? その声……」


 春夏冬にとって、聞き覚えのある声の主は歩みを止めない。

 やがて、その小さな灯りでも顔を識別可能な距離にまで迫った時、彼女は驚きの表情を浮かべながら歩みを止めた。


「テルミニはんか!」

「あれ……春夏冬さん!」


 青空のような紺碧の瞳、甘さすら香る飴色の髪色。熟れた唇は若々しい。

 魂が見える案内人は、無垢な微笑みを湛えた。

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