精神と肌の状態の乖離【フロレンツィア視点】
私は今、魔物を化粧水に活用する研究をしている。
人への攻撃性はないけど、乾季になると干からびたようになるのに、少しでも水を含むとプルンプルンになる極小サイズの魔物。
水を溜め込む能力に長けていることに注目して、化粧水の成分として使用できるのではと思いついたのだ。
それを融解させるところまではできたけど、他の液体と合わせると分離してしまい、研究に行き詰まっている。
水を求めて移動する魔物で、その先にある池や湖の生態系が壊れることもあるため、これが成功できれば厄介者を少しでも有効に活用できるのに――
「フロレンツィア、進捗はどうだ?」
「室長、お疲れ様です。どうしても分離してしまって……」
「そこに至るだけでも凄いぞ。今回も期待しているからな、頑張れよ」
「ありがとうございます」
色々と数値を変えてみても上手くいかない。
「ふぅ……疲れたな。ちょっと休憩してきます」
「はぁい。いってらっしゃい!」
研究に行き詰まってくると、どうしても集中力が途切れやすくなる。
第三棟を出て魔術研究所の各棟を囲むようにある中庭で休もうと思ったら意外と混んでいたので、城の庭へ行く。
適当にベンチのある場所を思い浮かべながら歩いて行くと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
城の庭にはベンチや東屋があるが、いくつか周りから見えにくい場所があり、王城で働く者同士の逢引スポットになっている。
イチャつくカップルは疲れている時に遭遇すると余計に疲れる気がするので、近寄りたくない。
混んでいる場所やイチャつくカップルを避けてうろうろしていたら、騎士団の建物近くまで来てしまった。
そして騎士団の入り口によく見知った人物を見つけた。
城下警備のパヴェルがお城にいるということは、交代か休憩の時間なのだろう。
折角だから一言でも話していこうと思って近づくと、パヴェルが華やかな雰囲気の女性と話していることに気がついた。
どことなく私のお姉様に雰囲気が似ている華やかな女性だ。
両親の地味な部分をより集めたような私とは違い、お姉様は両親の華やかな部分を集め取ったように、亜麻色の髪に潤んだ瑠璃色の瞳、血色の良い頬に程よくぽってりとした唇、可憐な顔立ちなのに唇の横にあるホクロが色気を感じさせる女性だった。
姉妹なのに似ているのは、お母様に似た白い肌と体型くらい。
隣国から旅行で来ていた若き公爵様に見初められて三年前に嫁いで行ったきり、お姉様とは手紙のやり取りだけで会えていない。
妹の私から見てもお姉様は可憐で華やかで可愛らしい性格の女性で、お姉様みたいになりたいと憧れた時もあった。
そんなお姉様のことをパヴェルは好きだったはずだ。
私はパヴェルを目で追い、パヴェルはお姉様を目で追い、なのにお姉様は公爵様と恋に落ちてあっさりと私たちの前からいなくなってしまった。
お姉様がお嫁に行ってしまうのは寂しかったけど、これからはパヴェルが私を気にかけてくれるかもと期待もした。
実際、お姉様が嫁ぐことが決まって少し元気がなくなったパヴェルとなるべく一緒にいる時間を増やすようにしたら、前より気にかけてくれることが増えたし、今度は私を見てくれるかもと思っていた。
だけど――視線の先にいるパヴェルの好みはやっぱり華やかな雰囲気の女性なのかもしれないと思う。
今話をしているのはお姉様よりきつめの顔立ちだけど、華やかな女性だし……。
パヴェルと話している女性がチラとこちらを見たので、嫌な予感がした。
これ以上ここにはいない方がいい気がして踵を返した瞬間、気になる言葉が聞こえてきた。
「まぁ!パヴェル様には大切にしている女性がいるのではなくて?」
「……な人はいないよ」
「ほら、フロレンツィア様でしたっけ?オルモス家の」
「あぁ、フロウの……幼馴染だよ」
「それだけですの?特別大切にしているように見えますわ」
「もちろんフロウ……大切に思っている……」
「そう、ですの」
パヴェルはこちらに背を向けているし、パヴェルの言葉はところどころしか聞こえないけど、ドキンと大きく胸が高鳴った。
大切に思っている?もしかして私のことを?
だとしたら頑張ってアピールしてきた甲斐があった。
「可愛い妹……に思っては……」
「妹?お二人に血の繋がりはありませんわよね」
「他人……けど、僕に……妹みたいな……だよ。フ……僕のことは兄だと思って……かな」
「そうなんですの?女性として大切にされているのかと」
「……ない。それは……ウも同じだと思う。フロウ……異性としてという意味ではない……」
「それを聞いて安心しましたわ。今度わたくしと、――」
……やっぱりさっきの嫌な予感は正しかったんだ。
ちらりと視線を送ると、パヴェルと話していた女性と目が合った。勝ち誇ったように蔑視しているのがよく分かる。
変に期待せずに早く離れれば良かった。
そうしたら、まだ関係を変えられるはずだって頑張れたのに。
まだ、好きでいられたのに。
異性として見られていないなら頑張っても意味ない――――
あの人は私がいることに気がついて、パヴェルからわざと今の言葉を引き出したのだろう。
パヴェルの表情は見えないけど、女性と話している声は少し弾んでいるように聞こえる。
パヴェルは幼い頃から私たち姉妹に振り回されることも多々あって、女性のわがままさに対してはおおらかだけど、女性のこういう嫌な部分には疎い。
女性から人気のパヴェルと一緒にいると、さりげなく馬鹿にしてくる女性も少なくなくて。そんな時は庇って欲しいと思うのに、裏に潜む言葉の意味には気づいてくれない。
『フロレンツィア様は控えめでいらっしゃるから、ドレスも慎ましいのがお好みなのね。とても似合っていらっしゃるわ』
パヴェルと共に小規模な夜会に参加した時のこと。派手なご令嬢から地味な容姿には地味なドレスが似合っていると馬鹿にされた。
『うん。この淑やかなドレスはフロウによく似合っているよね』
パヴェルは幼馴染が褒められたと思ってニコニコと肯定した。
パヴェルの言葉に裏がないと分かっていても、少し傷ついた。
私だって似合うなら華やかなドレスを着たいのに。
今回も悪意に気づかず、純粋に『妹』と言ったのだろうと容易に想像できる――――
「あっ。…………できた」
どうやって研究室に戻ってきたのか記憶がないけれど、私は黙々と作業を続けていた。
怪我の功名とでも言うのか、うっかり設定を間違えたお陰で奇しくもずっと研究していた化粧水が出来上がった。
安全性を確かめるための被験者一号は自分。塗った瞬間から肌が吸い付く感じがする。
ついさっき失恋したばかりなのに、出来上がった化粧水を試したお陰で、肌だけはぷるぷる艶々。
私の精神と肌の状態の乖離が激しかった。
「お先に失礼します」
「お疲れって、フロレンツィア?どうした?疲れか?表情が死んでるぞ?いや、でも肌艶はいいか」
「なにか問題でも?お先に失礼します」
「お、おう。ご苦労さま」
自然とレッカーへと足が向く。
元々今夜は行くつもりだったけど、今はお酒をたくさん飲みたい気分だ。
とぼとぼと歩いていると遠くに今日も女性に囲まれているパヴェルが見えた。
『妹みたい……兄だと思って……異性としてという意味ではない』
つまり、私のことは妹みたいに思っていて、それは私も同じく自分のことは兄のように思っているし、異性として大切という意味ではない――ということ。
思い出したくないのに勝手に脳内で反芻されて、じわりと涙が出てきた瞬間、「フロウ!」といつもの優しい声と笑顔でパヴェルがこちらを向く。
しっかりと目が合ってしまった。
いつも通り駆け寄ってこようとしているのを察知して、すぐ横の脇道に入り走った。
今パヴェルに会ったら本人の前で泣いてしまう。
「フロウ!?」と少し驚いたような声が後ろから聞こえてきた。
子供の頃のかくれんぼや追いかけっこ以外でパヴェルから逃げたことなどないから、驚くのも無理はない。後を付いて行くことはあっても逃げたことはなかった。
「フロウ!?どうしたんだ!?――フロレンツィア!走ったら危ない!」
うそ!?まさか走ってまで追いかけてくるとは!
どどどどうしよう!
こっちは一応貴族令嬢だし、ひ弱な研究員だし、騎士の足から逃げ切れるはずがない。
やだやだ、今は会いたくない!
「ひぎゃっ!?」
焦って角を曲がった瞬間、物陰からぐいっと腕を引っ張られ、何者かに建物の中に引き摺り込まれた。