幼馴染【フロレンツィア視点】
ギースベルト家の夜会は結局一人で参加している。
迷ったけど、私はまだ伯爵令嬢だし、毎年恒例のことだし、この夜会はギースベルト家で開かれる夜会の中では小規模なほうだから。
「フロウ、来てたんだ」
「あ、パヴェル。やっぱりパヴェルも来ていたんだね」
「勿論。フロウも来るなら来るって声をかけてくれたらいいのに。今年からは来られないかと思っていたよ」
「私も立場的にどうなのかなって思っていたんだけどね」
「殿下に許可をもらったの?」
「許可という程のことではないけど、うん。エスコート役をしてくれるって話にもなったくらいだよ」
「えっ。殿下がいらっしゃってるの?」
「ううん。そう言ってくれたけど、結局都合がつかなかったの」
「そっか。じゃあ例年通り僕がエスコート役をできたんだ。あ、……それはまずいか。流石に」
「あー、どうなんだろう」
今まではパヴェルにエスコート役をお願いしていた。
ギースベルト家の夜会なら一人でも行けるけど、エスコートしてもらえればそばにいられるから。
パヴェルを好きだったから。
今年はパヴェルにエスコート役をお願いしようと考えなかった。
ユリウスと婚約しているからという理由ではなく、ただエスコートしてもらえるならユリウスが良いなと思っていたし、だめなら一人で行こうと考えただけ。
そう思うと、冷たいな、私。
あんなに好きだったはずなのにな。
……ユリウスも今頃はどこかの家の夜会に出ているのかな。
夜会出席が『公務みたいなもの』と言っていたけど、ユリウスと結婚したら私もそういうことを求められるようになるのだろうか。
……嫌だな……元々社交的なほうじゃないのに。
自信ないな…………。
「フロウ?」
「ん?」
「何か悩みでもあるの?」
「え、なんで?」
「それ。フロウが悩んだり考え事している時の癖だから」
それと言うパヴェルの視線の先には私の手。
パヴェルに指摘された私の手は軽く握ったような形になっていた。
「そうやって、親指で他の指の爪を触るときは昔からフロウは何かに悩んで考えている証拠。何に悩んでいるの?」
「……知らなかった」
さすが、幼馴染。
こんな癖があるなんて自分では気がついていなかった。
思わず苦笑いが漏れてしまった。
パヴェルに「……座ろうか」と促されて、夜会会場の壁際に置かれている椅子に二人で腰掛けた。
「妃教育が始まってるんだって?やっぱり大変?」
「んー……覚えることは多いけど、それはなんとかなっているかな」
「頑張っているんだね」
「…………」
パヴェルから優しく労いの言葉をかけられて、急に涙腺が緩んだ。
自分を取り巻く環境や求められる責任が目まぐるしく変化している事に、気持ちも能力的にもついていけていないことは自覚していて、戸惑いはある。
だけど、自分では泣くほど辛いと意識していなかったのに、こんなに一瞬で泣きそうになるなんて。
労いの言葉をかけてくれたのが、パヴェルだからだろうか。
こんな場所で泣くわけにいかないので軽く下唇を噛んだ。
「……何か辛いことがあるの?」
静かな口調で問いかけられると、涙がせりあがってきて本当に涙を流してしまいそうになるからやめて欲しい。
目に力を入れて遠くを見る。
「王族の婚約者になれば、見えない苦労も多いんだろうね」
「…………」
「……もしも、僕と婚約していたら、もっとフロウらしくいさせてあげられたのかな」
「…………え?」
もしもの話だとしてもありえないことを言い出すからびっくりしてパヴェルの方を見ると、なんとも言えない微笑で私を見ていた。
パヴェルにしては笑えない冗談を言うなと思ったけど、パヴェルはそんな冗談を言う人ではない。
この顔も、とても冗談を言っているようには見えない。
「オルモス伯爵から打診されていたんだ、実は。婿に来ないかって」
「……そ、そん…………知らなかった」
「僕なりに、フロウと歩む未来もあるのかななんて考えていたら、殿下に取られちゃったけどね。ははっ」
一体どういうことなの?
やっぱりお父様は私に婿をとって家を継いで欲しかったってことだよね。
それに、パヴェルは私のことは異性として見られないんじゃなかったの?
私との未来を考えたって、婿養子の話を受けようと思ったってことだよね……。
「だけど、殿下とフロウが一緒にいるところを見て、これが正しい形だったんだなって分かった」
「……どうして?」
「殿下のあんなに優しい目は見たことがない。心からフロウが大切なんだとはたから見ていても伝わってきたし、フロウの表情を見てもそう。僕も見たことがないような自然な笑顔を見せている。二人は想い合ってると伝わってきたよ」
「そ、そう?」
「うん。それに、ユリウス殿下は元々穏やかな方だと言われていたけど、フロウと婚約してから更に優しくなったと城内では評判だよ。それもあって二人を応援する声も多い。知らなかった?」
「知らなかった」
私には、時々意地悪な事を聞こえるように言ってくる令嬢たちの囁き声しか届いていなかった。
城内でそんなふうに見られていたなんて……。
「フロウのためにいろいろと動いてくれているみたいだし、殿下は本当にフロウのことが大切なんだよ」
結婚に前向きになれない私と違って、ユリウスばかりが結婚式の準備に勤しんでいることまで、もしかして皆に伝わっているの?
結婚前からもうそんなに情報が伝わってしまうなんて……結婚したらどうなってしまうんだろう。
「フロウの悩みは殿下との婚約後からのものだよね?それならちゃんと殿下と話したほうがいいんじゃないかな。きっと殿下ならフロウのことを受け止めて一緒に解決しようと考えてくださるよ。僕に言われたくないかもしれないけど、夫婦になるならそうしたほうがいいと思う」
「……うん」
「自分一人で考えているだけでは何も伝わらないからね。言葉にして伝えることは大切だよ。……本当に」
ユリウスと話したほうがいいのかな。
だけど、結婚に前向きな気持ちになれないなんて言えないよ。
王子妃になるのが嫌だと言ったところで解決策なんてないんだから、困らせるだけだよ。
解決策があるとしたら婚約解消だけど、ユリウスのことは好きだし、結婚するならユリウスが良いと思っている。
それに、王子妃になるのが嫌って言ってしまったら、王族として生まれたユリウスを否定することになりかねない。
それとも、こういう悩みさえも乗り越えてこそ夫婦なの?
◇
ギースベルト家の夜会からの帰り道。
私は馬車の中から窓の外の暗闇を眺めている。
時々屋敷の薄ぼんやりとした灯りが見える以外は、月明かりに照らされているだけの闇。
私のことを観察するように見ているラルフと窓越しに目が合った。
「さっきから何?」
「何かあったのかなと」
そう言ってラルフが私の手元をチラっと見た。
今日知った私の癖はラルフも気づいていたんだ。
「…………ラルフは知っていたの?」
「何をでございますか」
「パヴェルとの婚約話」
「さあ?なんのことか」
ラルフは誤魔化す時、その直前にパチパチと素早く二回瞬きをする癖がある。
長い付き合いで私の癖をラルフが把握しているように、私だってラルフの癖は把握済みだ。
「ふぅん。知らなかったのは私だけなんだ」
「……屋敷の者も殆どは知りませんよ」
「お父様はどうして言ってくれなかったのかな」
「聞いていたらどうなさったのですか?」
「どう…………」
どうしていただろう。
妹としか見られていないと知らなかった時なら、きっと喜んだ。
結婚してから恋愛を始めてもいいと前向きに考えたかもしれない。
パヴェルが私を妹としか見ていないと聞いてしまった後なら、私から断っただろう。
好きな人と結婚したのに女として見て貰えないのも、女として見られない妹と結婚するのも、お互いに辛いだけだもの。
婿が必要ならもっと割り切って考えられる相手と結婚したいと考えたと思う。
それを知るタイミングによって大きく結果が変わっていた可能性がある。
だけど、今更こんなことを考えたところで、意味はない。




