フードを目深に被ったままの男【フロレンツィア視点】
私は魔術の研究と開発をする魔術研究所に所属にしている。
王城の一角にある魔術研究所に所属し、第三棟にある研究室が私の職場。
第三棟は、主に魔術や魔物を生活に活用するための研究開発をする部署で、私はあらゆる生活道具の研究開発をしている。
魔術師向けではなく、普通の人向けの物が主だから生み出す物に派手さはない。
そのため魔術師向けの専門的な研究をしている第一棟の研究者から馬鹿にされやすいけど、広く人の役に立つ道具類の開発はとても有意義だと思っている。
実際、第三棟で開発された物が今一番世に出回っているし。
「よしっ!今日は帰ります」
「フロレンツィアにしては珍しく早いわね。お疲れ様」
「うん!お疲れ様でした」
同じ研究室の同僚から珍しいと言われた。
確かに、いつもならこの時間はまだ研究に夢中になっていて、帰る人に気づいて「もうそんな時間だったのか」と、慌てて私も帰り支度をするのがお決まりだけど、今日は違う。
制服の白衣を脱いでロッカーにしまったら、王城の一角にある魔術研究所を出て、急いで下町方面へと向かう。
お気に入りのビストロ『レッカー』で、今日からお目当ての季節限定メニューが登場するのだ。
今月から漁が解禁になった白身魚を使った期間限定かつ数量限定メニューが出ると聞いたら、急がないわけにはいかない。
「こんばんは。あ、サイラスがいる!久しぶり」
「いらっしゃい!」
「久しぶり」
カランコロンとベルの鳴るドアを開けると、いつも通り包容力のありそうな奥さんや元気な店員のお姉さんが出迎えてくれる。なんだか家に帰って来たかのような温かさがあるのも、このお店を気に入っている理由のひとつ。
「今日から期間限定数量限定メニューですよね?」
「そうでーす!カルパッチョにムニエルにフライに、えーっと、あ、あと蒸し焼きもお勧めです!」
「えー迷う。どうしようかなぁ。全部食べたいけど全部は食べられないし」
「俺はムニエルを頼んだ」
「そうなんだ。じゃあカルパッチョと蒸し焼きを頼むからシェアしない?」
「いいよ」
「やった!じゃあそれで」
「レンツィさんはカルパッチョと蒸し焼きですね。飲み物は?いつもので良いですか?」
「うん。いつものでお願いします」
店員のお姉さんに注文をしながらカウンターの端、濃紺のコートを羽織り、そのコートのフードを目深に被ったままの男性の隣に座る。
「サイラス、久しぶり。今日は早いんだね。元気だった?」
「うん。少し前に来たところ」
「やっぱり今日から数量限定メニューだから急いだの?」
「レンツィみたいに食いしん坊な理由じゃないよ。漸く仕事が早く終わっただけ」
食いしん坊と言われてムッとすると、「褒め言葉だよ?」と言われた。
フードの下から見えている形の良い唇が素直に弧を描いているから、本心なのだろう。
サイラスが揶揄ったり意地悪を言う時はにっこりした口角の端が歪むからすぐ分かる。
だけど、食いしん坊が褒め言葉ってどうなの?
「それにしても久しぶりだね。私とは会わなかっただけ?」
「仕事がちょっと。忙しくて来られなかったんだ」
「そうだったんだ。お疲れさま」
こういうとき「レッカーに来られなくなるほど忙しい仕事って何してるの?」とつい聞いてしまいそうになるけど、我慢。「レンツィは?」と聞かれたら困る。
レッカーは下町にあって労働者階級向けのお店だ。
美味しい料理と温かな空気感のお店は本当に素晴らしくて通っているけど、貴族が平民向けの、それも労働者階級向けのお店に通っているとバレるのはあまり良くない。
うちは父が既に変人扱いされているから、私が平民向けの店に通い詰めているとバレたところで「娘も変人か」と納得されるだけだろう。
だけど、私だっていずれは結婚も考えないといけないし、少しでも変な噂はないに越したことはない。
それに、平民でも富裕層は貧乏な貴族よりよほどいい生活をしていて貴族と懇意にしているが、貴族と労働者階級の間にはまだ隔たりがあるから、相手が貴族というだけで緊張する平民もいる。
レッカーのお客さんも貴族がいると分かると気を使うだろうし、お互いのためにも知られたくない。
「はい!ムニエルにカルパッチョに蒸し焼きね!あー、あと取り皿ね、はいよ」
「ありがとう奥さん。美味しそう!食べよう」
「うん。いただきます」
「いただきます!んー!美味し〜!」
「うん。新鮮さが分かるね」
「うんうん!カルパッチョは身がぷりぷり!なのに蒸し焼きはふわふわ!凄く美味しい!蒸し焼きのこのニラダレも淡白な白身との相性が最高です、マスター!ムニエルもバターの香りが豊かで美味しい!」
カウンターの奥にあるキッチンで忙しなく調理をしているマスターに向かって感動を伝えていると、隣から視線を感じた。
右を向くと、サイラスがにっこりと口に綺麗な弧を描いてこちらを見ていた。
「……なに?」
「相変わらず美味しそうに食べるなぁと思って」
「どうせ食いしん坊ですよ」
「女の子が幸せそうにたくさん食べるのって良いと思うよ」
「へぇ。男の人ってそうなの?」
「俺はね。まぁ、……噂の騎士様の好みは知らないけど」
「っ!!」
パヴェルもそうなのかな?だから、昔から一緒にお茶する時にお菓子を分けてくれていたのだろうか?と、考えていたから咽そうになった。
「な、なにを……」
「レンツィは考えていることが分かりやすすぎ」
「どうせ単純ですよ」
「そんなところも可愛いよ?」
口説き文句のような言葉を平然と言うが、にっこり笑っている口角が歪んでいる。
今のは揶揄うつもりでわざと言ったのだ。
半眼で睨むと、クククと楽しそうに笑って「バレたか」と言う。今度は綺麗な弧を描いて。
お互いのことをよく知らなくても、気安い掛け合いが心地良く感じる。
こんな関係の友達ができるとは思わなかった。
サイラスの素性は知らないけど、私が貴族の娘だと知られたら気を遣われたりするんだろうか。
そう思うと、やっぱりレッカーで私が貴族の娘であるとバレたくないな。




