恥ずかしくて顔が見られない【フロレンツィア視点】
朝から研究に没頭していると、『昨夜無事に帰着したが、後処理で忙しく、今日はお茶を一緒にできそうにない。明日は必ず共にしよう。早く顔が見たい』と殿下からメッセージカードが届けられた。
私は殿下と顔を合わせなくて済んだことに少しだけほっとした。
殿下とのことを考えると胃が重くなるような気がして、気を紛らわせるように更に研究に集中する。
「あれっ?まだいたのか。おーい、もう遅いぞ。早く帰れよー」
「え?あ!本当だ、気がつかなかった」
「フロレンツィアがそんなに集中してたってことは、結構良いところまでいってるのか?」
「はい。あと一歩で何かが掴めそうで、つい」
「そうか、期待してるぞ。でも今日はもう帰れよ、ご苦労さん」
「はい。お疲れさまです」
気づけば研究に集中しすぎていた。私の周りの研究員はもういなかった。
殿下からのメッセージカードには忙しいと書いてあったから、今日もサイラスは来ないかも知れないと思いつつ、足はレッカーへと向いてしまう。
「フロウ!一人でどこへ行くんだ?もう暗いのに」
「いつものお店に。研究に集中してたら遅くなっちゃった」
「まったく……送るよ。これから巡回に行くところだからちょうど良かった」
お城の門をくぐるときに後ろから声を掛けられた。
パヴェルと顔を合わせても何も思わなくなった。
パヴェルは私の心境の変化なんて知らないから、前と変わらずに接してくれている。
私を見つけると笑顔で駆け寄ってくるし、こういう時は心配して送ってくれる。
ただ、殿下からプロポーズされて以降、頭をぽんぽんとされることはなくなった。
パヴェルなりに殿下に気を遣っているのかもしれない。
「帰りはラルフが迎えに来るんだよね?」
「うん。頼んできたから大丈夫」
「なら良いけど、気をつけるんだよ」
「送ってくれてありがとう」
カランコロンとドアを開けると、カウンターの奥に濃紺のコートにフードを被った男が目に入る。
パヴェルと一緒だったからレッカーまでの道程で『今日は来るかな?』と変に期待を高めることもなく、気負いなく入店できた。だから、姿を見た途端に心臓が大きく跳ねた気がした。
「っ!サイラス!」
「レンツィ!」
サイラスが珍しくガタリと音を立ててイスから立ち上がった。
こちらを向いている顔が――相変わらずほぼ口元しか見えていないけど、嬉しさを隠しきれないようににっこりと弧を描いている。
「今日は来られないんだと思ってた!」
「今日はもう来ないかと思ってた」
サイラスに駆け寄ると、お互いに似た言葉が重なって、ぷっと笑い合う。
いつもの席に座ると、楽しげに弧を描いていたサイラスの口元が不意に元の形に戻り、遠慮がちに指先をきゅっと握られて「やっと会えた」と囁き声が耳に届く。
はっきりと声に出すのではなく、囁き声なのが妙に切実で切なげに聴こえて、発火したのではないかと思うくらい一瞬で顔が熱くなった。
間違いない。やっぱり私はサイラスのことを好きになってしまった。
そして、こんな風に言ってくれるってことはきっとサイラスも――
「どうしたの?なんか、変じゃない?」
「何が?変じゃないよ?」
「いつもより目が合わない気がする」
「…………ん?いつもよりって、私からの視点では、フードに隠れているからいつも目は合ってないよ?」
「あ、そっか。こっちからは一応見えているから、レンツィが俺のほうを見てくれるときは結構目が合ってるんだけど」
「確かに前にコートを借りた時にフード越しでも結構見えるんだと思ったかも。そっか。多分、無意識に目を見ようとしちゃうからかな」
「そうかもね。で?今日はなんであまりこっちを向いてくれないの?」
「そ、そんなことないよ」
「もしかして、久しぶりだから照れてる?」
「そっ!そういうことは言わなくていいでしょ!」
「ククッ……そうか、照れてるのか。可愛いな」
「な!?」
好きだと自覚すると、本人の顔が見られなくなってしまった。
恥ずかしくて顔が見られないなんて、どういうこと!?
パヴェルのときにはこんな風になったことなんてないのに。
照れて顔が見られないことがバレているのも恥ずかしい。
その後、いつものサイラスの揶揄いから私が怒ったり拗ねたりする流れになり、気がつけば照れくささが薄らいで普通に話ができていた。
あっという間に私のお迎えの時間になってしまった。
「手、繋いでも良い?」
「えっ」
「駄目?今なら誰も見てないし」
「……ん」
確かに今はもう暗くなっていて人通りもほぼない。
いいよと声に出して返事するのが恥ずかしくて、手を差し出すと「なにそれ、可愛すぎ」と言ってぎゅっと手を繋がれた。
男性と手を繋ぐのは初めてかもしれない。大きな手にドキッとする。
馬車の近くまで来ると、一カ月前と同じようにサイラスが立ち止まったので、見上げてみると口に綺麗な弧を描き、私を見下ろしていた。
「…………なに?」
「離れ難いなと思って」
「そ、そう、だね」
「……あーでもこれで終わりじゃないし。これからだからな。帰らないと。――おやすみ」
「お、おやすみ」
手を離したサイラスは私の頭を少し乱暴な手つきでガシガシと撫でてから走り去って行った。
「お嬢様?顔が赤いですけど、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」
「酔っ払われたのですか?それとも熱が?」
「だから、大丈夫だって!す、すぐに元に戻ると思うから!こっち見ないで!」
「え、なんか申し訳ございませんね」
理不尽に私に怒られたラルフは少し不満げに窓の外に視線を移した。
あ、そういえば、サイラスから殿下へ「護衛はいらない」と伝えて欲しいと言うのを忘れていたな。




