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春傷歌

作者: 羽蓉

日常を切り取りながら、その感覚を記憶に刻み…日々を生きている。


――― 夏の渇いた風を感じ、開放感を味わい。

――― 秋の枯葉の音に、郷愁を宿す。

――― 冷たい空気を吸い込み、冬の厳しさを噛みしめ。

――― 春の暖かさに、心を掻き乱される。


季節は巡る。

別に…春だけが特別なわけじゃない。

なのに何故、私の傷は春にだけ訪れるのだろう。




   ◇◆◇




「…なん、で?」


目の前の光景を見て、心臓が激しく鼓動を打つ。

喉からせりあがる様な苦しさは冷静さを欠き、頭の中で警告を鳴らすようにガンガンと痛む。

瞳に映る彼らは、映像のように遠く…そして冷たく感じた。




その日の私は、いつもと何かが違っていたのだろうか。


会社で企画された花見を途中で抜け出し、近くにある彼氏の家へ向かう。

あまりの近さに、連絡して向かうよりも行った方が早いな…などと、漠然と考えていた。

慣れた鍵で家へ入ると、キッチンの向こうに見える寝室に彼氏と女が重なっていた。


薄暗い部屋で慌てふためく様子が伝わり、冷静な判断ができなくなったのだと思う。

目の前の出来事を確認しようと、無意識で電気のスイッチを着けていた。


「待って、待ってくれ。これは事情があるんだ!」


ベッドの上で慌てて私に弁解しようとする彼氏の後ろに隠れる女性…それも、見知っている誰か。


「なんで?なんで、朝香がそこにいるの?」


身体を隠しながら視線を逸らす女性は、友人の朝香だった。


「違うんだ、少し冷静になろう?ひとまず少し時間をくれないか。」


そう言って視線を彷徨わせ、彼氏は自分の服を探している。

言い訳をしようとした彼氏は、まだましな思考をしていたのかもしれない…罪悪感があるのだろうから。


しかし、朝香は違っていたようだ。


「…私は、悪くない。だってしょうがないじゃない、あんたが間抜けだったんでしょう!」


語尾を強めながら叫ぶ朝香は、すでに友人として知っている朝香の顔ではなかった。


「やめろよ、朝香。話し合おう?」


宥めるように優しい言葉をかけながら『私の彼氏』は、『私の友人』の剥き出しの肩へそっと手をかけ撫でていた。


――― ああ。


ここは、私の居場所じゃない。

彼の気持ちが向かっているのは、私ではないのだ。


一度も私の名前を呼ばない事に、邪魔者は自分だと気が付いた。




夢中で彼氏の家から、逃げ出していた。

何度も鳴る着信音に、追われているかのよう駆け出す。


騒がしい花見の公園まで戻ると、何故かもう大丈夫だと安心した。

人混みに紛れれば、誰も自分には注目なんてしない。

気力だけで足を進めていると、縁石に足を取られる。

気が付けば土の上へと膝をつき、膝と手のひらがズキズキと痛んだ。


「…なんで、私ばっかり!」


転んだ拍子に、口からこぼれると…それを合図に感情が止まらなくなる。

たくさんの疑問が頭に浮かんでは、声を殺してボロボロと涙を流す。


「…っ、く!」


堪えきれない感情を、持っているカバンに込めて目の前に投げつけた。

バンッと大きな音をたて、中身を落としながらカバンは地面に落ちた。


A4サイズの書類バッグは女性が持つカバンの中でも丈夫に出来ている。

私の感情による衝動は、目線より少し高い位置にある桜の幹に大きな傷を残してしまった。


「…菩提さん?」


喧騒の中、どれだけ涙を流しその場にしゃがみこんでいたのか…判断がつかないまま、顔を上げる。


「…あっ、足怪我したんだ?大丈夫?」


身体を屈めて怪我の様子を見ると、スラックスの後ろのポケットからハンカチを取り出して当ててくれた。

よくよく見ると、膝の怪我はかなりひどかった。

土の上に転んだとはいえ、硬い桜の根に当たったのだろう。


構わないで欲しかった、見ないふりをして通り過ぎてほしかったのに。


「誰?なんで、名前知ってるの?」


「あっ…やっぱり知らない?えっと、マーケティングの小宮山です。」


会社の同僚、会いたくなかったが…そうか、花見会場なら会うのも当然か。

視線を逸らしたまま、同僚の様子を伺うと落ちたカバンを拾ってくれているようだった。


「とりあえず皆の所に連れて行くから、足痛いなら乗って?」


背中を差し出してくれる、この同僚に少しだけ興味が湧いた。


――― 私が知らないのに、私を知っている人。

――― 面倒だとわかる状況なのに、見捨てることをしない人。


この都合の良い、同僚を利用しようと思った。


他人につけられた傷を、また違う他人で補う…私だけが、悪いわけじゃない。

心の奥のどこかで警鐘が鳴っている気がしたが、私はそれを押し込めることにした。


手を伸ばし、その男の背中に触れる。

シャツを握り締め、そのまま顔を寄せ埋めると私は囁いた。


「私と一緒に、ここ…抜け出しませんか?」


戸惑った顔で振り返る同僚を覗き見ながら、視線は逸らさなかった。




時間はきっと、真夜中。


目が覚めた私は、ベッドサイドのライトを付けて自分の服を探す。

手早く身に着けなければと、身体を動かすたびに膝が傷んだ。


「…んっ、どうしたの?」


光が眩しく、目が開けにくいのだろう。

つらそうな表情で、今まで寝ていた同僚の小宮山君が声をかけてきた。


「帰るの?朝になったら、送っていくよ?」


「大丈夫、一人で帰れるから。」


そっけなく答える。

あとはシャツのボタンを閉めれば、着替えが終わる。

ようやく視界が開けた小宮山君はまだ、裸のままベッドの上だった。


「えっ、ちょっと待って!俺も一緒に…そうだ、今日どこか出かけない?」


慌てて自分の服を探す小宮山君を、待つつもりはない。


「…私、彼氏と別れたばかりなの。」


「俺は、気にしないよ?むしろ…それなら俺達、ちゃんと付き合おう。」


「そんなつもりはなかったの…ごめんなさい。」


答えた時に見た、小宮山君の顔が心に刺さる。

私は衝動的に、逃げ出した。


春の夜はまだ肌寒い。

分厚い雲の下から覗く月も、冷え冷えとした青白さを湛えていた。


人の温もりが、一時的にでも傷ついた記憶をすり替える。

同時に私は自分が、そういう事ができる人間だったということに失望した。


もう…自分の傷は見えない。

今見えるのは、痛みと悲しみを堪えた小宮山君の顔と自分が他人に与えた傷の大きさだけだった。




   ◇◆◇




あれから、一年が過ぎた。

私は会社で、徹底的に小宮山君を避けた。


もしも私に気持ちがあるのなら、私なんかを見てほしくなかったからだ。

もっと優しくて、もっといい人…そんな人はたくさんいるはずだ。


――― あの日から、私の傷は小宮山君になった。


「ねえ…あんた、いいかげんに現実を生きなさいよ。」


一緒に飲みに来た友人の梨花は、定期的に私を叱ってくれる。


「元彼の中原は、あんたに未練残しまくってるって。あと朝香は、あの後すぐに振られたらしいよ?」


目の前にあるモヒートを、くっと飲み干す。

どうも元彼は、私にコンタクトをとりたくて色々手をまわしているらしい。


「朝香はさぁ、すぐ人の物が欲しくなっちゃうんだよね?あんたの元彼の前は、自分の姉の旦那だって。家族、泥沼よ?そんでもって居場所がなくなって、あんたの元彼のところに転がり込んだんじゃないの?」


「そんなの、どーでもいい。」


酔えない…自分に関係のある話を聞いていても、どこか意識は別にある。

まあそうよねと呟いて、友人はグラスを仰いだ。


「それで?修羅場から早々に立ち直ったあんたに、良い話はないの?」


あるわけがない。

空いたグラスを前に、同じ物をもう一つ注文をする。


元彼や友人だった朝香の話に、興味はなかった。

あの日小宮山君の、あの顔を見てしまったから。

彼らの事は、考える必要のない人間になってしまった。

だから周囲がどれだけ騒ごうが、同情してくれようが心が乱されることはない。


ただ小宮山君を利用し傷つけた私は、幸せになってはいけないと思っていた。




「菩提さん、今年の花見どうします?」


同じ広報の女子社員が、会社の花見の出欠を取りに来た。


「ごめんなさい、欠席で。」


「…ですよね?」


女子社員は、溜息をついた。


「どうしたんです、菩提さん?ずっと会社ではあまり会話しないし、付き合いや飲みは全部欠席。前はそんなことなかったですよね?」


心配してくれているのだとわかると、申し訳ない気持ちになる。


「ごめんね、少し一人でいたいの。」


「少しって…もうずいぶんの間ですけど。」


それでも笑顔を作って、それ以上は踏み込ませないでいると女子社員は諦めてくれた。


「もー…何かあったら、声かけてくださいよ?」


そう言って席を離れていく。

いい子だな…ああいう子だったら、小宮山君はよかったんじゃないかな?

そう頭に浮かぶと思い出したように、私の心の傷はじくじくと傷んでいった。




会社の自販機で飲み物を買っていると、声をかけられた。


「…花見、行かないんだって?」


声の主の顔が思い浮かぶ、それだけで耳の後ろから熱を持つほどに強烈な痛みを持った。

緊張で身体を強張らせ、小さく息を飲む。

私は逃げ場がないか、周囲を見回した。

明らかに人気もないし、廊下の突き当りにある自販機からは逃げ場がなかった。


「まあ、逃げるの得意だもんね。」


そう言いながら、小宮山君は自販機でコーヒーを買いだした。

一年ぶりに見た彼の顔に、あの時に見た温厚さの影はない。


「気まずそうな顔…するよね?」


一方的に話し掛けられて、私に答える術はなかった。

ただ小宮山君の言葉から、幾つもの棘を感じる。

これが小宮山君が私に向ける感情なんだと思ったら、悲しくなった。


――― 私に悲しくなる資格なんてないのに。


黙り込む私の隣で、買ったばかりの缶コーヒーを開けながら小宮山君は話を続ける。


「なあ、もう仕事終わりだよね?」


小宮山君は覆いかぶさるように私に近づき、小声で囁いた。


「罪悪感があるなら、もう一度抱かせてよ。」


小宮山君が私から離れると同時に、感じていたコーヒーの香りが遠ざかる。

言葉に衝撃を受け、見上げた小宮山君の表情はあの時と同じだった。




結果…私達は、もう一度身体を重ねた。

顔を手の平で覆った小宮山君は、私に言った。


「…もう、帰ってくれる?」


きっと後悔しているのだろう、私はあの時と同じように無言で部屋を去った。


あの時に私がつけた小宮山君の傷はどれだけ大きかったのだろう。

今も治らずに、彼の心を傷つけ続けているのだろうか。

私を傷つけることで、彼は癒されるのか…わからない。


癒されてくれればいいと思う反面、忘れないで欲しいと願う。




――― 苦しい(考えたくない)


――― 苦しい(気づきたくない)


――― 苦しい(認めたくない)




   「「裏切られた気分だ!」」



相反する気持ちが、別人格のように心を揺さぶり続ける。

私は初めて、自分の中で小宮山君への恋心が育っていることに気が付いた。


自分がした事を、悔いて泣いた。

そして今も自分が一番、彼を苦しめていることを知った。




   ◇◆◇




それから、私は会社を辞めた。

好きな仕事だったし、未練はあったけれども…ここにいては小山君の為にも、自分の為にもならないと思った。


再就職先は小さなオフィスだった。

あの時には出来なかった人付き合いが数年たった今、少しずつ出来るようになってきている。


ただ、恋は無理だった。




「…えっ、すごい!」


早朝の公園で、私は一人感嘆の声を上げていた。

春の桜のシーズンで、花見…は、さすがに行く勇気はないので買い物のついでに散策していた。


以前私がぶつけた桜の幹を見つけて、近寄ってみると…大きく抉れていた傷の横に、小さな枝が伸び数個の花が咲いていた。

震える指先を伸ばし、そっと花びらに触れる。


「(本当に、ごめんなさい。)」


目を閉じて、瞼に恋しい人を思い浮かべる。

桜が傷を抱えるだけでなく、新しい道を育むことが出来るなら…彼にもきっと、新しい出会いがあるはずだ。


何故か涙が浮かび上がり、情けなくて笑みを浮かべていると叫び声が聞こえる。


「待て!待てって…この、くそ女っ!」


まさか自分に宛ててではないはずだと思ったが、声には聞き覚えがある。

小さく周囲を見回すと、公園沿いの歩道に小宮山君に似た姿を見つける。


声の主がスウェットにパン屋の紙袋を持った小宮山君だとわかると、無意識に身構え後ろへと後退っていった。

逃げると思ったのだろう、小宮山君はフェンスを越え走って私の手を強い力で捕まえた。


「言いたいことが、山ほどあるんだが。」


じろりと睨みつける。

いつも向き合わない私を信用してないのだろう、手は離してもらえそうになかった。


表情が険しい。

逃げていた自覚がある分、後ろめたさが強く感じられた。


「会社、なんで辞めたの?俺のせい?」


小宮山君は、怒りを逃がすように息を吐くと冷静さを取り戻した声で質問してきた。


何年かぶりの小宮山君は、以前のような人の良さが表面からは消えていた。

精悍な顔つきと、少し伸びた前髪…眉間を寄せる仕草が癖になっているようだった。


「謝りたかったけど、連絡先知らなかったし。…しかも、番号変えたんでしょ?同じ部署の子まで、連絡取れないって言ってた。」


「(何故、彼がっ!)」


私は驚きで固まってしまった。


「俺にあのまま、迫られるかと思った?嫌だったから、だから…。」


謝られることなんてない、謝らなくてはならないのはむしろ自分の方だ。

許してもらえるとは思わない、でもせめて去る前に謝罪を口にするべきだった。

彼の謝罪や彼の言葉を否定したくても、頭に適切な言葉が浮かんでこない。


焦った私は、何度も頭を振った。


「小宮山君は悪くない…謝らなくてはいけないのは私。あの時は、そうゆうのじゃなくて。あのままだったら…だめだと思ったから。」


視線を伏せ、言葉を探す。

先程まで見ていた桜の傷とそのすぐそばに咲いた花に目が行った。


「…好きになられたら、困ると思って。」


言葉に出すと、なんと単純なことだろう。

自分の気持ちが迷惑になる…受け入れられるはずのない気持ちを持ったまま、あの場所にいることは難しかった。


「はっ?はあっ?」


捕まえる為に握られていた手が、さらにきつく握られる。


「なんでそんなこと決めつけて…。はあ、ほんとあんたくそ女だわ。俺に対してだけ、本当にひどい。なんでそこまで俺の気持ちを無視することができるわけ?」


捲し立てる様に、次々と言葉が零れる。

その言葉は雨のように降り注ぎ、心の弱い部分に突き刺さる。


「あんただって気が付いてたんだろう?一方的にあんたの名前知ってて、ほいほいついていって。振られたけど、まだ未練あって…どうしようもなくなって、無理やり誘って。」


嵐のような小宮山君の気持ちは、どんどんと声が小さくなるのと同時に沈んでいった。


「そんで今また、捕まえてるんだからわかるだろうがっ。」


小宮山君の心ごと、叩きつけられている気分になった。


「…どうして。」


返事を求めたわけじゃない、小宮山君の言っていることが理解できなかった。


「どうしてとかない。ねえ、なんであんなにつらそうに抱かれるの?」


やり場のない怒りから、力が抜けるように小宮山君の声は弱々しく地面に落ちた。


「…弱音を吐かない菩提さんが、放っておけない。でも、俺も強くない…だから求めたいし、求められたい。」


小宮山君は私の手を離して、そのまま自分の顔を覆った。

あの日の小宮山君が思い浮かぶ、彼の傷の大きさを感じたあの日の表情を。


「…困らないから、好きになって。あと当分はデートとかちゃんとして。俺に気持ちがあるってわからせて。」


絞り出すように告げられた言葉は、私にとって都合が良すぎるように思えた。


「ごめんなさい。」


「…それより、好きって言って。」


かぶせ気味に、強い返事がかえってくる。




――― 「小宮山君が、好きです。」


言われたから、言っているのではない…せめて、そこだけは通じるように一歩前に出る。

正面からこちらを向かない小宮山君を見上げて、きちんと言葉を届ける。


小宮山君は覆った手の隙間から、私を覗き見た。

逃げない私を見て、口元が少し綻んだように感じた。


…そして自然に涙を流していた。


小宮山君の涙を見たら、私も何故か涙が次々と流れ出した。

彼の心に触れて、傷をつけた。

彼の傷が、私の傷になった。


それでも心を許してもらえた。

二人してひとしきり泣いた後に、手を握り合っていた。




私はまだまだ一人前とは言えなくて…傷つくし、傷つけもする。

でも私の春は、いつのまにか傷つくだけの季節ではなくなっていた。

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