ルヴァンシュ薬品店
――カラン。
乾いた鈴の音と、古い木製の扉が軋みながら開閉する音が狭い店内に響き渡る。
店内には薬草の青臭い匂いと、ツンと鼻に付く薬品の匂いが充満していて、慣れていない人ならば五分といられないだろう。加えて掃除もあまり行っていないのか、木製の棚にずらりと並べられているポーション等の薬品の入った容器には埃が積もっている。
『ルヴァンシュ薬品店』
大小いくつかのダンジョンを保有するこの中規模都市においては、数店舗ある薬品店の一つである。
冒険者の多いこの都市では薬品店の売り上げは上々なのだが、それはメインストリートに面してライバル店と価格競争を行っている店だけであり、メインストリートから外れ細い路地を何本も折れ曲がった先でやっと辿り着く、人目を避けているこの店には関係のない話である。
事実、この街では『ルヴァンシュ薬品店』の存在を知らない人の方が圧倒的に多数であった。
そんな、客は入らないのになぜか潰れない、不思議な薬品店に一人の男性客がやってきた。
男が一歩足を踏み入れると、木製の床が盛大に悲鳴を上げる。どうやら床の木材も相当に古いらしい。抜けてしまわないだろうか? と不安になるが、慎重に体重をかけてみたところ軋みはするが大丈夫なようだった。
男は床を軋ませながら、狭い店内を横切り無人のカウンターに辿り着く。そこには小さな銀製のベルが置いてあり、『御用の方は押して、少しお待ちください』と説明書きが添えてあった。
――チリン。
「はいはい、ちょっとお待ちくださいな」
カウンターの奥からしわがれた女性の声が聞こえて、男は返事を返すことはなく店主がやってくるのを待つ。何かを探す音と布の擦れる音が聞こえて、奥からつばの広い真っ黒な三角帽子を深く被り、腰の曲がった老婆がやってきた。
「いらっしゃい。おや、これは珍しいお客さんだね」
「欲しい薬があってきた」
老婆はカウンター越しに男の顔を覗き込み、客の意外な正体に少しだけ目を見開いたが、男はそこには触れず自分の要件だけを告げる。
「ひっひっ。この街一の冒険者、ディラン様がこんな婆の店まで薬を求めてくるなんざ。どこかに戦争でも仕掛けに行くのかい? ほれ、薬ならそこの棚にあるのが全部だよ」
老婆は愉快そうに笑い男をからかってから、顎を上げて視線を棚の薬品に誘導するが、男の視線は老婆を見つめたままだった。
「――エルフの薬を買いに来た」
唐突に男が発した言葉。『エルフ』。人間よりも優れた知識と能力、長い耳と美貌を持ち長寿の種族。そして、その血も肉も長命の薬になると人間に狩りつくされ、絶滅してしまったと言われる悲しき種族。
男も女も、老人も子供も。手当たり次第に捉えられ、錬金術の素材に変えられたと聞く。
その言葉に老婆は『ひっひっひっ』と喉を鳴らし、纏う雰囲気が変わる。温度が数度下がった気がした。
「どんな薬をご所望だい?」
老婆が男を値踏みするような視線で問いかける。
男は少しだけ逡巡する様子を見せてから、老婆の瞳を強く見つめて返答する。
「女を惚れさせる薬があると聞いた。強力なものが一本欲しい」
男の力強い返答に老婆の目が見開かれ、口元は嬉しそうに笑みを作る。
「ひっひっ。いつも違う女を侍らせているディラン様が惚れ薬とはね。こりゃ驚いたよ」
「そんなことはいい! 出来るのか?」
老婆が軽口を言うと男は突っかかるように語気を強めて問いかける。その態度に必死さが表れたのを老婆は見逃さなかった。
「用意は出来るさ。だが……」
そこで言葉を切って老婆は男を睨むような眼で観察する。
「高くつくよ。なにせ相手は毒の効かない聖女様だ」
「なっ!?」
老婆に核心を突かれて男は唖然とする。してしまう。
世界の敵を倒すために勇者と共に旅をしている聖女は、勇者パーティーにおいて回復の要であり、抜けてしまえば世界の敵を討伐することは叶わなくなってしまう。勇者と聖女、二人揃っていなければ世界は滅ぶ。というのが世界の共通認識であり、勇者御一行様の邪魔をすることは重罪に当たる。
その聖女に薬を盛って己の物にしてしまおうなどという計画は、企てただけで首が飛ぶ。
その秘密が今、目の前の老婆に見破られてしまい。男は咄嗟に腰の剣に手を掛ける。
「やめときな。叶わなくなるよ」
老婆の言葉に男の動きは止められる。剣を抜こうとしても腕は動かず、足も前に出ない。
都市で一番の冒険者である男が、老婆の言葉一つで動けなくなる。この時、男は初めて老婆に恐怖を感じた。
「ひっひっ。バラしゃしないよ。そうさね、金貨五百枚。用意できるかい?」
愉快そうに口元を曲げた老婆に男はこくこくと頷くことしかできなかった。
「そうかい。なら明日取りにおいで、必要なのは明日の夕。会食の時だろう?」
「あ、ああ」
男はなんとか首を縦に振ると身体がふっと軽くなり、何かに促されるようにそそくさと店を後にする。
男が去った店内には、カウンターに両肘を付きながら煙管を吹かす老婆の姿があった。
「ひひっ。明日が楽しみさね。うんと強い薬を用意してやろう」
老婆は煙を吐き出しながら、口元を愉悦に歪ませている。
「上手くいって世界が破滅するもよし、失敗してあの男が破滅するもよし。どっちにしてやろうかねえ」
この中規模都市の権力者は皆この店を訪れる。いや、誘導されてやってくる。
定期的にこの店の薬を飲むために、自ら操り人形になるためにやってくる。
長い時間をかけて、一人。また一人と老婆の薬を口にし、権力者は全て毒牙にかかった。だから、この都市は老婆に逆らえない。薬の出所が『ルヴァンシュ薬品店』だとわかっても問題ない。それどころか、明日の男の計画の成否すら操れる。
長い時間をかけて権力者共を操り人形にしたように、老婆はこの都市をゆっくりとゆっくりと蝕んでいく。
「ひひひ。逃がさないよ人間共。娘を、息子を。奪われたこの苦しみ、絶望。お前らにも必ず、必ず、味わわせてやる」
老婆が肩を揺らして笑う動きに合わせて、三角帽子の下で長い耳が揺れていた。
文章作成の練習に書いたものですが、異世界設定だったのでハイファンタジーにしています。あっているのかとても不安です。