Ⅳ.愛(エロス)と死(タナトス)
―――扨て、オオナムチと白人の会話へ戻る事としよう。
「併し、兄上はそなたが嘘を吐いておられた事を見越して・・・」
如何しても八十神に対し悪い解釈をしたくないオオナムチ。白人は呆れた様に溜息を吐いて、人差し指を立ててくどくどと説明した。
「・・・オオナムチ、御前は知らんだろじゃがな、ヤガミ姫はよばひ(求婚)に時に、彼奴等に試練与えたのじゃ。仏の御石鉢・蓬山の玉の枝・火鼠の裘・龍の首の珠・燕産んだ子安貝。之、16人一組で一づつ持ーて来いとな。そしたら彼奴等、如何したと思う!?口裏合わせて贋物造り、贋物と知らると力づくでヤガミ姫に言い寄ーたのじゃぞ!?・・・ヤガミ姫は振ろうとした。じゃがな、優しい故、八十神に今一度機会与えた。其が此結果じゃ」
・・・そこ迄断言されて仕舞うと、オオナムチは何も言えなくなって仕舞う。てか何で竹取物語。
「じゃが御前は形振り構わず手当てして呉れて、大事な狩衣も綺麗に直ぉた。けに、御前は合格なのじゃ。ヤガミ姫もずーと気になっていらざったぞ。御前一人だけ大きな荷物持て、部屋に入らず襖の向うで兄等を待ち侘びておるのじゃからな」
「さ、然様ですか・・・・・・」
オオナムチは白人の饒舌に圧倒されながらも、その言葉を噛みしめる。八上姫は、裏方に過ぎない自分の些細な動きまで視ていて呉れたのか。照れくさいが口角が上がるのを止められない。
「オオナムチ」
白人が嬉嬉とした表情でオオナムチを覗き込む。
容が八上姫の幼き姿だからなのか、あどけないその歓びに、きゅん・・・と胸が少し苦しくなる。だが、本来の八上姫は仮令幼い頃であってもこの様な無邪気な表情はしないだろう。
「御前が」
兎と同じ小さくて窄んだ口が可愛らしく動く。唇まで白い白人の罪。之許は恐らく、白人だけの特徴だ。
血管まで視通せるぱっちりとした灼眼が、オオナムチを捉えた。
「八十神を措いて、ヤガミ姫の婿となる」
――――・・・
白人は自信有りげに胸を張って云った。オオナムチが喜ぶと思ったからである。と同時に、白人はオオナムチを非常に気に入り、八上姫の夫となれば邸で会えると物凄く単純に考えていた。併し
「――――・・・・・・其は、困ります」
・・・・・・オオナムチは目を伏せて、喉から声を絞り出す様に言った。
「何故じゃ!?オオナムチ!ヤガミ姫は御前にとっても焦れじゃろう!?」
白人が畳み掛ける。併しオオナムチは頑として首を横に振り続ける。すると、白人はひどく淋しげな表情になり
「ヤガミ姫は御前に焦れたのじゃ!其があはれな容姿・兄に阿る直向きさ・ケガレ無き心、御前が気づかなくともヤガミ姫は確と視ている。私だって御前が気に入っているのじゃぞ!?」
オオナムチの衣服を引っ張って訴える。オオナムチは一瞬、反射的に白人の方を見たが、頬がひくつく前にすぐに顔を逸らした。また頬が紅くなりそうだった。
急に辛そうな表情へと変貌する白人。オオナムチは口を開いたが、喉が渇いて上手く声が出せない。出してみても案の定、声が掠れる。
「併し・・・・・・八上姫は兄上が・・・・・・」
ぐっ、と白人がオオナムチの胸倉を掴んだ。
「御前は、あんな嘘つき共をヤガミ姫の婿に推すと申すか!!」
高い声で一喝され、オオナムチは何と判断すればよいのかが判らなくなった。之まで何の疑いも無く敬愛していた兄達が、之程までに悪く言われるなんて。兄中心で周っていた己の人生を根本から否定された様で、オオナムチは何も言えなくなる。
「・・・よいか、オオナムチ。今の時世、何思って態態男に女の服を着せる?女はおろちに喰われて仕舞うのじゃぞ。私が斯様な男の服着ているは、おろちを欺いて喰われずに済むよう、ヤガミ姫が仕立ててくらさったからじゃ」
・・・白人は胸倉から手を離した。乱れた着物の左右の襟の間から見える素肌を以てしても、彼を男と証明する材料にはならない。
白人は唇を噛み締めた。
「いい加減目を覚ませオオナムチ。八十神はな、御前を女と欺いておろちへの贄にしようとしているのじゃ。御前は其が為に八十神に余所から貰われて来た」
「そんな事は在り得ませぬ!」
オオナムチは頑なに首を横に振った。
思わぬ反撃に、彼の様な子供に苛刻な現実を突きつけるのは時期尚早だと、白人は苦苦しく想う。
「済まぬオオナムチ・・・じゃが、私は黙って観ておれぬのじゃ。その・・・御前が様な・・・善良な者が、おろちの犠牲となるのは」
・・・・・・尻窄みの会話となる。白人は、オオナムチを直視できない視線の遣り場と適切な言葉を探している様に見えた。オオナムチは、そなた達にとっては如何ような兄やも知れませぬが・・・と認めた上で
「・・・故、縁談の方は断って戴いて構いませぬ。併し、如何か兄上を否定される事はやめてくだされませい。左様な兄でも、出自の定まらぬ私には、八十神しか恃むものが無いのです」
・・・・・・深く頭を下げた。
「・・・・・・」
白人は暫く黙った。オオナムチを傷つけたい訳でも、厳粛な態度で接して欲しいという訳でもないのにという歯痒さの爆発しそうな表情だった。如何すればオオナムチの心を開く事が出来るのか、強引な性格の白人には、その遣り方がいまいちよく判らないのだ。
「―――我等が、その代りにはなれぬのか―――?」
―――気づかぬ内に、ポロリと言葉が突いて出てきていた。オオナムチはこの兎の方が自分に明瞭とした好意を懐いている事に気づく。
「え」
実質的に愛された事の無い事実を無意識の内に自覚していたオオナムチに、兄の利権の外にいる八上姫の分身の提案は甘美に聴こえた。白人は己の無意識的な好意に気づかずにいる。
「オオナムチ。私は、御前が良い。御前が主なら、私は全力で仕える自信があるぞ。私の魂は、ヤガミ姫の御魂の霊力でもある。ヤガミ姫の夫に、なってくりゃれ」
併し其は、やはり無償の愛などではなかった。八上姫と結婚しなければ、愛して貰えないと宣告されているも同義。白人はそこ迄深く考えている訳も無いが、己=八上姫と思っている兎に、己がどうという考えに到る事は無かった。
この発想は、魂の埋め合わせをして貰った者や肉体を提供して貰った者に度度起りがちな傾向で、自己の魂というものが既に果てた、叉は最初から核なる魂が無いか脆弱な為、提供者との境が無くなって仕舞っているのである。
「其は・・・・・・」
「家財忘れたと思ぅて引き返してみたら、しょうも無い事聞いて仕舞た」
―――オオナムチにとって、八十神は唯一頼れる存在であると同時に、畏敬の対象でもあった。
オオナムチが振り返る。八十神の訪れを正面で見た白人は、軽蔑し切った眼をしている。八十神が続続と現れ、二人を取り囲む。
「之が和邇に身剥された兎か、兄者?」
「人の姿しとるが、その様だだの」
八十神は豪く憤慨した様子で、特に白人を睨みつけていた。先程の会話を聞いていたに違い無い。俤は残るが見てすぐの印象が余りに特徴的すぎる故か、誰も白人を八上姫と重ねて認識する者はいなかった。
「兄上!落ち着きまされい、之は・・・!「黙れい!」
八十神の中でも年長の、八十神という集団内で実権を握っている兄が呶鳴る。オオナムチは萎縮して仕舞った。白人は気分を害して
「やっぱりサイアクな輩じゃ」
と言葉を吐き捨てた。八十神は其に叉逆上し、
「どげ生意気な兎だや!!」
「このこべ(ちび)が!!」
と、四方八方から文句と野次が飛び交った。
「誰がこべじゃ!!」
勇ましく言い返す白人。御蔭で八十神の怒りの焔は鎮まるどころか更に油を注ぐ事となる。八十神は益益腹を立て
「おの・・・れっ、侮辱しおって。八上姫と結婚するは大穴持じゃと!?八上姫がそげな女子の様な者、好きになる筈が無かろうが!!」
「私が好きはヤガミ姫も好きなのじゃ!少なくとも御前達の様な嘘つきよりはオオナムチの方がいいに決っておる!」
「何じゃそげ理屈!!」
「お前だって嘘つきだらが!人欺く事しおって!!」
「あれはヤガミ姫が与え給うた機会じゃ。其にオオナムチは合格し、御前達は落ちた。じゃからオオナムチが結婚するのじゃ!」
オオナムチはどんどん蒼褪めてきていた。白人が和邇に身を剥されて死んだは真実である。あの時『御前は騙されたのだよ』とさえ言わなければ死なずに済んだ命なのに・・・
「・・・!」
オオナムチは見て仕舞う、長年慕った兄達の、加減を知らぬ非道な“苛め”を。過去に、刳り貫いた大木の割れ目に挟まれ放置された事で死にかけたが、その時は唯怖いだけで兄達が何を思い、実行したのかを推測する頭も余裕も無かった。
だが今は
「あ・・・!あに・・・うえ・・・・・・?」
後列に居て、白人との口論に参加していなかった八十神が、火で焼いた大石を彼女に狙いを定めて転がし落そうとしている。
「白人殿・・・・・・!」
白人が大石やオオナムチの秘かな叫びに気づく前に、兄の足が石を載せた木の棒の力点を踏みつける。大石は草原を焦しながら転がり焔を大きくし巨大な火の玉と謂うに相応しくなった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・
漸く白人が迫って来る石に気づいた。
「ほぉ・・・・・・」
「逝ねい!!」
白人は兎に変身した。
「御前達、集団で寄って集って、其でも男かや!?」
兎に戻った白人は、身軽にジャンプして迫る焼石から逃げる。焼石の軌道から外れた草原に着地したまさにその時
「白人殿!!」
オオナムチが白人の前に飛び出して来た。
「オオナムチ・・・!?」
ドッ,と不快な音がして、白人の視界はすぐに拓けた。オオナムチがすぐに斃れたからだ。
オオナムチに刺さった矢が垂直に墜ちてゆく向う側に、弓を引いた時の格好の侭の八十神が居た。
「仕舞った・・・・・・!!」