ⅩⅧ.神器(かみのうつわ)
―――淡島と別れ、大人の世界の真似事をしている子供達を置き去りにして、クラマと素戔嗚と奇稲田は流れの落ち着いた斐伊川沿いに歩いていた。
後は奇稲田を無事に家へと送り届ければ、素戔嗚に科せられた業は果される事になっている。
「・・・・・・」
・・・・・・三者が三者とも、顔を紅く染めてつんと澄まして黙っている。併し、沈黙を最初に破ったのは矢張りおきゃんな奇稲田であった。
「・・・あれは補導できないのか、法を掌る金星人?」
「我は死者しか導けぬ也・・・・・・」
あれと指すものは勿論、素戔嗚の草薙剣に依って生き返った稚児と白髪紅眼の少女の事だ。
今迄はっきりと描写してこなかったが、少女の方は何故か裸であるし、稚児の方はあの齢にしてむっつり助兵衛で、大人顔負けの熱い抱擁を交しており、其が中中終らない。
寧ろクラマらの方が音を上げて、已む無く措いて帰って来たのだが、あのふたりの将来がとても心配になってきた。
「・・・・・・」
・・・・・・素戔嗚はもう、会話に参加できないほど閉口している。
「―――素戔嗚」
・・・・・・あぁん?と素戔嗚は上目遣いで奇稲田を睨んだ。実は何気に、彼女が素戔嗚を名で呼ぶのは初めてだったりするのだが、むんむんな事で頭がいっぱいの本人は其に気づかない。
・・・・・・。一方、クラマは察したらしく、彼女と彼の動向を見守る。
「・・・先程は、子供(餓鬼)扱いして済まなんだな。遣れば出来るではないか、御前」
「お、おい・・・」
奇稲田はがしっと素戔嗚の両肩を掴んだ。包み込む様に己の肩を顎載せに貸し、とんとんと背を叩いて遣る。
素戔嗚は驚愕に固まった。俟て、この展開・・・
「御前にはまだ伸びしろがある。遣れば遣る程御前は伸びる。之からに期待できそうだ」
会社の上司かオマエは!?何と無く甘い展開を期待していた素戔嗚の方が乙女の思考であった。でもだって、稚児と兎のあはんうふんからのこの展開だよ?
併し、この侭女の方からプロポーズ、なんてのも癪に障る。大体、惚れた腫れたなんて話になるにはまだ早くはないのか。
「御前の成長がとても楽しみだ。其を共に確め合うのも悪くはないと思っている。私の方は全然構わない」
そう、思っていたのに
「・・・だから」
奇稲田は言葉を切って一息吐いた。素戔嗚は息を呑む。まさか、この侭先程想像した通りの展開となって仕舞うのか。
・・・クラマが固唾を呑んだ。
「共に、脱・童貞、脱・処女を図ろう」
・・・・・・カッコイイ。宝塚女優の様な風貌だけあって非常にさまになっているが、そのギャップが残念度を益している感も否めない。
「他に告白の仕方があんだろうがーーッ!!」
素戔嗚が拒否する様に全力でツッコむと、奇稲田は傷ついた顔に両手を当て、容貌にそぐわない張りの無い声でまさかの弱音を吐いた。
「だって・・・・・・御前しかいない。其処の金星人は他夫だし」
「あぁ!?」
・・・クラマは相変らず呆けた顔をしていたが、元元白人の様に白い顔が益益白くなっているのが、彼の受けた衝撃を物語っている。
「口惜しくないのか、御前は?私達は、あの子供等に先を越されたのだ。幾ら私が巫に奉げていた身とは謂え、同じ生贄の者にその上年下に先を越されるとは女としてもう・・・っ」
何処までも、負けず嫌いでストイック。だが、こういった性格でなければ女だてらにここまで強くはなれなかったであろう。奇稲田の生真面目さは思兼同様、時に暴走する様だ。苦労人故のなにくそ精神と常識が更に拍車を掛けている分、彼より質が悪いかも知れない。
「御前もその齢で童貞だと色色と大変だぞ・・・・・・」
「余計なお世話だッ!てか何で勝手に決めつけてんだよ!?オマエ女オレ男!同性にする様な会話を異性にすんじゃねぇ!!」
「おっと済まない、私より小さく痩せっぽちなものだから、どうも男に見えなんだ」
「んならピン‐ポイントな告白してんじゃねぇ!!男を視る眼を養ってから云えこの男女!!」
「煩い童貞」
「ーーー!!処女!!」
「童貞」
「処女!!」
「童貞」
ーーー・・・ 恥かしい口論に頭を抱え乍ら歩いている内に、水害の及ばぬ処に出た。
もうすぐで手名椎と足名椎の待ち侘びる実家へと辿り着く。後は川沿いを離れ、西へ粗一直線に進めば良かった、そんな折。
「・・・・・・ん?」
大樹から雑草にかけ、黒い布が覆われていた。雑草が繁茂しすぎている為か、視覚的には逆に隠されている様に見える。
・・・・・・クラマの心がざわざわと鳴った。
「・・・俟て。之は、何者かが倒れているのではないか?」
「淡島姉さんが捜している子供かも知れないって事か?」
奇稲田と素戔嗚が草を踏み分け駆け寄る。
大丈夫か。そう声を掛け身を抱え起した時、するすると長い前髪がその者の顔を滑り落ちた。
「あ・・・」
素戔嗚が声を失う。途切れる声に反応し、彼等の許へ向かったクラマは眼を見開いた。
「―――素戔嗚はちゃんと、淡島から神器を賜った様ね」
―――梅雨が明けた許の、太陽から放たれる恵みの光が未だ不安定な時期。天照は天の岩屋戸に篭って、独り言を呟いた。
岩戸隠れで問題となった様に、岩屋戸はこの時代では珍しく施錠システムが備えられている。天照を護る後ろ盾が出払っている現在、この岩屋が彼女にとって最も安全な場処であった。同意は得てある。そうでなければ、布刀玉しか外せぬ注連縄の架る戸を開いて中へ入る事は出来ないからだ。
「素戔嗚一柱で往かせるのは無理があったけれど、護法魔王尊が一緒なら矢張り大丈夫だったわね」
素戔嗚が賜った天叢雲剣。其は、天津家に代代引き継がれ、後の天皇家に続いてゆく『三種の神器』の一つ。詰り日本と新しく名のつくこの国を統治するという権威と支配の象徴であり、天津の武力を左右する“核”ともなる。
「まさか淡島義姉さんが、あの宝物を持ち出していたなんてね・・・・・・」
『日本書紀』に如何様な記述がある。『668(天智天皇7)年この年、僧道行が草薙剣(天叢雲剣)を盗んだ。新羅に向かって逃げたがその路の途中で風雨が荒れ、迷って帰って来た』と。草薙剣が盗まれたのは愛知県の熱田神宮にて。熱田神宮は三重県の伊勢神宮と並んで天照が幼少期に本拠とした土地であるが、日本書紀に記述されていた内容が今回の件を指しているか否かは誰にも判らない。
「・・・月夜見の“変若水”」
天照が、実の弟から奪った不老不死の水が入っていた盃を取り出し、満足げに見つめる。中身は彼女自身に拠って空にされた。
「素戔嗚の“草薙剣”」
―――そしてもう一つ、彼女は既に手に入れてある“核”たるものを掌に転がした。玉が二つ、掌の上をくっついては離れを繰り返す。其は地球の如く球体で、澄んだ青い色をしていた―――
「蝦夷の“青い瞳”」
「天津麻羅―――!!」
固く閉された両の眼の持主の見憶えのある貌に、素戔嗚は驚愕の声を上げた。
「・・・・・・でも、地球を支配するにはこの程度の数ではまだ足りない」
クラマが急いで駆け寄り、天津麻羅の閉された目許に手甲を嵌めた手を当てる。瞼を少し開かせてみると、中身は両方共空洞だった。
「―――そうでしょう?“金星の守護神”・護法魔王尊」
「―――両者共、この者より2間以上離れよ」
クラマががっかりした様に項垂れ、しゅるしゅると額の十二因縁を解く。
「まだ息がある」
素戔嗚は取り乱し乍らもクラマに楯突いた。併し奇稲田が離れよう。と云って素戔嗚を半ば強引に5m付近離れた処まで連れて往った。素戔嗚が不満を述べる前に
「―――祟られる」
・・・・・・霊感の弱い素戔嗚に伝うその声と引き止める手は、おろちとは違う質で震えていた。
「素戔嗚だけでなく、貴方にも“課題”があるのよ」
「―――ーーー・・・・・・」
クラマは第三の眼を晒した侭両の眼を閉すと、膝に乗せた両の手を握り締め、歯噛みした。