Ⅻ.神々の正体
「―――はぁ」
戸隠はやはり遠いな・・・天手力男神は長野県の戸隠山に向かう途中、腰を下ろして本格的に休憩をしていた。そりゃそうである。宮崎から長野なんて、現代的に航空機で行っても羽田空港から先が長くて5時間半(因みに交通費は35000円ちょい)、新幹線では博多と名古屋にて乗り換えで10時間半(交通費は30000円程)掛る処に位置しているのだ。そりゃ遠い。別に筆者は本文に記載するが為にHP検索をした訳ではないと註釈をつけておく。
とにかく、古墳時代はJRやANAは存在しない筈なので彼は長野まで独り参勤交代だ。徒歩ったら徒歩である!
(大体、何で戸隠なんだ・・・?)
其は当然の疑問であろう。というか、彼ほど体力が有る者も彼ほどのおばかさんもそうは在ないので、彼で無ければもっと早くに疑問を懐いていたであろうに。併し、思兼が何も云わなかったので多分大丈夫なのだろう。
・・・と、云いたい所であるが、思兼も相当に慎重な思考を巡らしている様だ。
何を云うも云わないも、手力男の今回の遠征に関して思兼は何も云える立場に無かった。思兼を介さず彼の父親―――高御産巣日神に手力男が直々に呼び出しを受け、「忠誠を誓うと約束が出来るか」と云われたのだ。
今更な質問ではあったが、其は恐らく何も訊く事無く働けという意味だったのだろう。手力男はこの神に対しては未だ償いを果せていなかったし、隠居してはいども高木家に於ける思兼の権力はこの神に未だ及ばない。年寄りは大人しく身を引けと云うのだが、母国から持って来た儒教思想には思兼の考えは余りにも前衛的すぎるという事か。
過去のいざこざを蒸し返されても困るから父の云った事は素直に聴いとけ、と云ったのは思兼である。
現に、戸隠へ往くと云っても思兼はまるで動じなかった。戸隠には必ず何かが在る。真実に通ずる何かが。だから寧ろ隈無く視てくるのだと翻然と衣を翻したものだ。
『・・・いいかね。君は高御産巣日神に利用されているに過ぎない。私や君に拒否権が無い事をよい事にね。そうして残念乍ら、高御産巣日神も利用されているきらいが在る。我が高木の国・奴国が衰退の一途を辿っている事は、私と高御産巣日神が最もよく理解している』
後漢の時代に華僑として渡来して来た高木家は、生口という技能に秀でた奴隷を鹿児島以南の島から大量に連行し、その者達の技術で発展してきたという歴史を持っている。本国・漢への朝貢に生口を献上する程に、奴隷達の存在は高木の創った奴国に浸透していた。その奴隷制を突き崩したのが手力男や宇受賣であるから、高木の衰退は彼等が原因であると謂ってよいのだが。
『宇受賣であれば高御産巣日神とその時点で喧嘩に発展していただろうが、君に関しては私は安心している。宇受賣は生身の身体だが君の身体は只の木偶だからな。
―――当時、私が有り余る霊力で造り出した人形の器は、如何ような相手にも負けぬ』
作品を自画自賛する様に、手力男の筋肉質な肉体を眺め自信満々に云った思兼。デザイナー‐ベビー的な技術がこの時代・この科学にして既に出来上がっていたのか。
手力男は引いた様な視線で、・・・ああ、そうだな。と適当に答えた。
そんなものに精を出しているから、霊力は尽きていつまでも非力な侭なのだ。・・・まぁ、非力な侭だからこそ幽霊達の干渉が消えても高天原の中での地位を確立する程の思索を巡らし知識を吸収する事を怠らなかった訳だが。
手力男は思兼から産れた、と謂ってよい。昔は思兼は己ではコントロール出来ない位の強大な霊視能力を持っており、まさに素戔嗚と似た様な、否其よりも深刻な状況だった。そこで、能力の半分以上を他者の死に体に移し、自らにとり憑く未練残る霊に其を譲ったのである。その霊が手力男であった。
手力男が此の世に留まる理由を思兼は知らない。併し、思兼は手力男に強靭な肉体を提供する代りに、その使い方―――・・・詰り、思兼が必要とする八意や莫大な思慮等といった思考を司る部分は一切与えなかった。手力男の心には今や此の世に留まるという強い意思しか無く、手綱は思兼が握っている状態である。
「―――俺も、宇受賣でなくて安心した」
手力男は顔を落し、小さく呟いた。
―――辺りは日が暮れ始めた。空にはぽっかりと抜き出した様に月が出で現れる。
「陽が完全に落ちる前に麓に下りなければだな」
手力男が冠を着け直して立ち上がった。岩屋戸の扉を背に支え、空を仰ぐ。
「其にしても、此処は月夜見尊のツクがとても綺麗に映るな」
金色に光を放つ月はとても美しく、彼女と違って自ら光る事の出来る恒星がチカチカと小さく主張しても、其等が地球にアプローチする事を全く以て許さなかった。
之ならば完全に陽が落ちて仕舞っても、月が足下を照らして無事に下りる事が出来そうだ。そういえば高天原は曇天や雨が続いて太陽も月も顔を出さないのだが、戸隠にはまだ梅雨が訪れていないのか。
「――――!?」
月が手力男の許へ接近して来る。
樹々が月の重力に引っ張られ、月に対して垂直方向に枝が拮抗しつつある。葉は一斉に枝から千切れまるで鴉の群れの如く月に向かって飛び立って往った。
樹々の根がぼこりぼこりと土を盛り上げ、月へ浮気しそうになる。
「や・・・やめろ、ツク。ハゲる・・・・・・ハゲる!!」
勿論彼がでなく山がである。
手力男は確かに怪力の神ではあるが、まさか本人も月を相手に力勝負をしろという試練を与えられるとは思っていなかったに違い無い。無論、そんな記述は日本のどの伝承にも遺されていない。いる訳が無い。
「じゅ、重力を考えろっ!」
手力男が負けそうになり咄嗟に叫ぶ。すると、月はショックを受けた様に急激に手力男から離れてゆき、一定の距離になると半分だけ回転してじりじりとその巨大な球体を前後に動かした。月が地球に裏側を見せるなんて、之が最初で最後だろう。
重さの事を云うなんて、この男は何とデリカシーが無いのでしょう!
「・・・ツク。俺に、何の用だ?」
手力男は瞳を大きくして訊いた。・・・そう、ツクと手力男の間には元々接点など無い筈だ。
手力男はツクを見上げ、黙って自然の声に耳を澄ませる。
「――――月夜見尊が?」
カサ・・・ 聞き返した直後に足音がし、手力男はそっと息を潜めた。いつかと同じく、岩屋戸の陰に隠れる様にして。
夕闇に浮いて見ゆる白装束は自ら発光している様にさえ想え、ツク程ではないにしろ可也目立った。
とはいえ、ツクはもう在るべき位置にまで距離を離して事態を静観している。
(―――天児屋?)
手力男は目を凝らして細身の体格から滑り落ちている千早を見つめた。間違い無い。天児屋は手力男の印象では常に服に着られている。元々日本や中国の民族衣装というものはだぼだぼした袖が多いが、天児屋は小柄というか、男と形容するには少々華奢すぎる。かといって女とすらば彼と似た布刀玉に失礼だろう。
その天児屋が、何者かを抱えて姨捨山を登っていた。
(――――月夜見尊)
まさしくツクが自らを耀かせて捜していた彼女の契約主だった。白衣に反射して蒼白く映る月夜見の顔は苦しげであり、其でも悪夢から覚める事も無く眠らされている。手力男は再び巖陰に潜め、足りぬ頭で問答を繰り返した。
(天児屋と月夜見尊が、何故だ―――?)
在り得ぬ組み合わせである。手力男とツク並みに在り得ぬ組み合わせであろう。思兼はこの組み合わせの状景を知っているであろうか。抑々(そもそも)思兼は月夜見が長野へ来ている事を知っているだろうか。
手力男の記憶にあるに、思兼が借りていた本というのは月夜見の物だ。ツクの混乱情態から考えても、今回の二柱の行動は不測の事態ではなかろうか。
そうこうしている内に山の頂上へ辿り着いた。
見失った訳ではない。併し山頂には何も無かった。鳥居をくぐったその先には、月夜見も、月夜見を抱えた天児屋の姿も消えていた。
呆然と立ち尽す手力男。 すると
「その扉は、此方に置いて貰えないかな」
「!!」
―――背後で声がした。手力男は恐る恐る振り返る。そんな筈は無い。彼は思兼から還元された前頭葉を働かせ乍らも、視覚にも注意を亘らせていた筈である。いつの間にか順序が入れ替っている筈など―――
「――――」
・・・鳥居の向うに、祠が建っている。
「・・・よく、来たね」
「天児屋―――」
「君をこんな処に遣すとは、流石の思兼神も天照大御神の計画については汲み取れなかったみたいだね」
「如何いう事だ」
手力男は天児屋を問い詰めた。月夜見はもう、天児屋の手から離れている。恐らくは、あの祠に閉じ込められているのだろう。
「無駄だよ」
手力男は鳥居を再びくぐって祠の方へ往こうとした。其を天児屋に阻まれる。振り切って往こうとすらば、腕を掴まれその場に引き留められた。
「君の力では私に勝てない」
いや誰も敵わない。天児屋は付け足した。思兼も敵わないし月夜見でも相手にならないと。自分と相手取る事が出来るのは、天照大御神かサナト=クラマ位のものだと。
「御前は一体、何者だ。何故天照大御神の弟君を此処に連れて来る様な真似をする」
「・・・其が、大御神の望みだからです」
と、天児屋は云った。
「月夜見尊をこの小長谷山に封印し、大御神にとっての邪魔者を減らす事。其が植民計画に於いて私と布刀玉に課せられた役目だよ」
植民計画―――・・・耳慣れぬ単語であった。其が、自分達を神とのたまう者達に拠る地球侵略である事も、勿論知れず。
「私の諱は春日丸。この大いなる地球を創造した開闢の神・天之御中主神の実の子供だよ」