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ヤシチがその歩みを止めたのは、空の赤みが顕著に増した頃である。主従二人はだいぶくたびれていた。特にソラリスは、侍女の助け無しでは途中で行き倒れていたであろう。

へたりこむ王族貴族をよそに、狩人は薪を集め手早く火をおこす。その間に闇が勘づかれないように摺り足で忍び寄り、焚き火の周りを包んだ。


そこらの枝を削った串で肉をあぶり、ソラリスに手渡す。


「食え」


「ワ、ワイバーンを食すことになるとはの。味にはそれほど興味はないのじゃが」


ワイバーンを倒した時、もちろん肉も取るのだが、どちらかといえば薬の扱いである。摂り過ぎると強力な成分を分解しきれず体調を崩す。


「こ、これは食べても大丈夫なのでしょうか?」


「だいじょーぶ!ワイバーンの栄養は血と脂に多いから、よく抜けばうまいし精がつくよ!」


「ほう、それは初耳じゃな」


「食わんと持たん。食え」


夜になって狩人の口数は一層減じたようだった。胃袋が寂しいのも事実である。ソラリスは肉切れを口に含み。


「ふぁ、ふぁたい」


噛みきれなかった。野生の肉はおおよそ固いものである。王宮の美食に慣れた顎では到底歯が立たない。

赤い身を絞るように圧迫すると、主張の強い肉汁が垂れてくるが、それだけで満足するものなどそれこそ焚き火くらいのものだ。

晩餐会ではとても披露できない顔でかじりつくソラリスの手から、ヤシチが肉串を奪う。


「あ、何をする!」


「調理だ」


肉を小さなまな板に乗せて、ナイフで叩く。あっという間に細切れになった肉を丸め、大きな平たい団子のようにした。スコップから土埃を落として焼き直す。

見る間に肉汁が染みだし、香ばしさが沸き立つ。


「下の焦げは捨てる。上だけ食え」


「う、うむ」


土のついていたスコップに盛られているのに抵抗はあったが、ふつふつと泡が昇る様はいかにも食欲をそそられる。先を平たく研いだ串で切り目を入れ、口に塊を運ぶ。


「ん!あふ、あふい!」


「姫様!」


「ん、あんふるふぁ、はいひふぁい」


カトリーヌにとっては大事である。姫のはしたない姿は臣下の恥だ。かといって、足腰を鞭打ち、大人の歩幅についてきた幼い主から食事を取り上げられようか。おろおろと腕を空回りさせる他ない。

ソラリスにはそんな心中に配る注意もなく、黙々と肉を冷ましては呑む。

人間の生気というものがどこから来るのかには諸説ある。しかしソラリスの舌は、ひき肉から昇り肺腑へと下る肉汁の蒸気に確かな生命の残り香を感じた。

胃の中で泡がはじけるたびに、血潮が熱せられ、凝固した足先を融かしていく。活力だ。ともかく活力を得なければならない。一つまみ振られた塩がどのような蜜よりも甘い。


ヤシチの握りこぶしほどある刻み肉が、ソラリスの小さな腹にまるごと収まった。物理的に膨れた胃をなでさする。


「うーむ。生き返ったわ。ヤシチ。中々に美味であったが、これはお主の一族の料理なのか?」


「ハンバーグだ。一族のものではない。だが故郷のものだ」


主従揃って首をかしげる。一族のものでなく故郷のもの。狩人の一族は百年ほど前にどこかから流れて来たというが、その()()()がどこなのか。誰も知らず、彼らも語らない。


「お主の故郷とはどこなのだ?」


「分からない」


「狩人の一族が現れる前に、星の配置が乱れて朝には雲を吐く怪鳥が飛んだというが、関係はあるのかの?」


「星は知らん。雲を吐く鳥ならば、昔いた」


「ほう!それは見てみたいものじゃの」


「ヤシチー。あれって本当に飛んだの?ぼろっちい三角じゃん」


「ソヨ殿は見たのか?」


「うん。里の飛行じょんん!」


ヤシチの腕が素早く伸びて、人差し指がソヨの口をふさいだ。


「ピクシーは口数が多すぎる。余計なことは話すな」


「んー!んんー!」


にべもない声であった。閉鎖的な集団が大抵そうであるように、ヤシチもソラリス達との間に見えにくい、しかし確かな一線を引いている。

思えば田舎も田舎とはいえ、大森林のあたりは一応オルドラン王国の領域とされている。どこからか集団が移住しても気づかない程度のものだが。

そこで一世紀にわたって獣を狩ってきた一族のことを、ソラリスは何も知らないのだ。


しかし書物にも記されず、不確かな噂にまみれた狩人たちは、伝説以上の力と知恵を有していた。

ソラリスは考える。あるいは樹海に隔てられた南方よりも、この男を、その勢力を引き入れることが、より短期的な成果をあげる方策なのではと。


「靴を脱げ」


「へ!?」


考え事の途中に、唐突な命令を受け固まる。靴、なぜ。


「それでは足裏がめくれる。メイドの方もだ」


「い、いくら命の恩人とはいえ、殿方が姫様の肌を触るなど!」


ソラリスとしては別にどうでもよいが、従者には従者の苦労がある。身の回りの全てを女だけで完結させるのが存在意義なのだ。

何人であろうとも、男性の指一本近づけてはクビになりかねない。物理的な意味でである。


「ならお前が出せ。巻き方を覚えろ」


「わあ!分かりました!足を掴まないで下さい!」


カトリーヌがあわてて靴を脱ぐ。ソラリスと違って実用を重視してはいるが、やはり森を歩くようなものではない。赤く擦りむけた部位がいくつもある。

ヤシチが細長い帯のようなものを出した。赤黒くてかり、湿り気が匂ってきそうな革である。


「ワ、ワイバーンの革か?」


「下手な靴よりこれを巻いた方がいいよ~。傷も治るしね。履き心地があれなのはご愛敬ってことで」


カトリーヌは非常に嫌そうな顔をしたが、意識するとなるほど明日から歩けそうにないほど痛む。観念して右足を突き出すと、ヤシチは黙ってカトリーヌの下肢を固め始めた。

動きはよくこなれている。こういった療法が、一般的かは知らないが、伝わっているのだろう。あの爆炎を放つ武器があれば、ある程度安定してワイバーンをも狩れるはずだ。


「終わりだ。覚えたなら巻け」


「ヤシチ殿」


ソラリスは背筋を立て、矮躯を少しでも伸ばそうと試みる。


「なんだ」


「そなたの一族との同盟を取り付けたい。良ければ本拠への案内を」


「だめだ」


ソラリスの提案を予想していたかのように遮る。いや、おおよそ当たりはついていただろう。収穫も無しに帰れぬと強がった所で、所詮は女二人に過ぎないのだ。何かを成す前に奴隷にでも売られる確率が高い。

より近くの果実に手を出そうとして、つまみ食いを見つかった子供のように絶句する。


「な、なぜじゃ?此度の大恩。礼も無しでは収まりがつかぬ。同盟は無理としても、どこに報恩の使いをやればよいかも分からぬでは」


「その権限は俺には無い。外の者を本拠に入れるのは禁じられている。……オルドランは危険だ」


付け加えた理屈が重い。ソラリスは反駁できずにうつむいた。

オルドラン王国は強国であり、その強大を維持するために、長きに渡り豊穣の大地を切り取ってきた。

逆に言えば、恵みに乏しい地にはろくに目を向けて来なかったということでもある。狩人の一族も、最初は不吉であると邪険に扱い、獲物を売りにくることが分かると、一部の商人に買い叩かせてきた。

信頼など築けようはずもない。水路に溜まる泥のように、静かに不信だけが積もってきたのだ。


「ちょっとくらいいいんじゃないの~?どうせ道なんて覚えらんないって」


「決めるのは俺ではない」


それだけ言い残し、席を立つ。風下に向かうと、木に背を預けて枝葉の奥の闇をにらむ。


「寝ろ。日の出の前に発つ」


「ん、じゃあ寝床の用意したげる!ピクシーは慈悲深いのだオホホ。"辻風の皆さん、我らは虫のついていない大きめの枯れ葉を要求する!"」


叫びに応じて、髪をなびかせる風が落ち葉を広い集め、人が潜れる小山を盛り上げた。

説得は効きそうにない。そして未来への不安は、体力温存という言い訳を得て睡眠への逃避を選ばせた。


「カトリーヌ。枯れ葉の上で寝とうない。お主が枕になれ」


「は、それでは」


わりと人権無視の要求だが、そんな語彙を持たないカトリーヌは迷わず枯れ葉に寝てソラリスを包む。


「お~、倒錯的。美味しい絵面じゃわい」


「黙れ」


幼い脳は疲労に敏に反応し、ソラリスを眠りの国へ送っていった。

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