狩人
森に棲む狩人の一族は、一つ目の魔物を飼っている。そんな怪しげな話を語り聞かせてきたのは、うわさ好きのマリーであったか。
魔物の目が光を放つと、森から一里(約1.6km)ほど離れた人の身体が微塵に砕けたという。
呪いを恐れ、大森林に近づく者は、命知らずの冒険者のそのまた一握りに過ぎない。
その蛮夷の地に、大国オルドランの姫が踏み入ったのは、交易路の開拓のためである。
相次ぐ干ばつによる不作は、国民を窮乏に落としたが、最も影響を受けたのは騎士団である。
オルドランの騎士団とはすなわち無敵。百戦して百勝が誇大ではない精強の軍団である。しかしその無敵は天から降ったものではない。強い軍には金がかかる。
軍馬と装備。何よりも騎士の練度。その維持が難しくなった。
だからといって軍備の縮小などできるはずもない。北では貿易の利益によって急成長した諸国家がひかえている。その前で自ら弱体化するなど、若獅子の前で腹をさらすようなもの。
北が貿易で栄えたなら、こちらもそれをすればよい。そのような意見が興るのは当然であっただろう。
最も強硬に主張したのは、第三王子のカルロスである。三男ゆえの鬱屈と、生来の浪漫主義者な一面が見事に合致し、南への欲求を爆発させたのだ。
彼の願いは叶えられた。数百の兵と、王国の威勢を示すための豪華な宝の数々が与えられた。
使節団の中に、本来不要な末の姫が紛れ込んでいたのは、王宮の外にまで伝わるほどの、彼女の博物学狂いのためである。
標本でしか見ることのかなわなかった珍奇な生物をこの目で見たい。その一念で、数えで十二の小さな身体を馬車にねじ込んだ。
使節団が壊滅したのは、大森林に入って十一日目のことである。
小指にぴりりとした刺激が走り、ソラリスは目覚めた。
「うわっ!?」
刺激が牙蛙の毒液に由来するものであると気付き、腕が跳ねる。
「姫様!」
カトリーヌが抱きしめる力を強めた。女性にしては大柄の身体に、ソラリスの小さな背丈がすっぽり収まっている。
そのことに苛立ちを覚え、カトリーヌの不注意もあって叱責しようとしたが、やめた。カトリーヌの視線が一点に集約していたからだ。
その方向に目を向ける。遠くにトロールの背が遠ざかっていく。どれだけ密集した槍ぶすまも恐れないトロールが、猛禽の羽ばたきを聞いたウサギのように逃げている。
何が、と言いかけて、森が動くのを見た。
どこが肩か、どこからが首かも分からない。草木の塊のような生き物?毛皮の無い顔は、緑とも茶ともつかぬ、森に溶け込む色をしている。
博物の本は一通り読んだ。そのいずれにもこのような獣は記されていない。
「魔物?」
眼から呪を発し、遠方の敵を打ち砕く魔物とはこれのことか?それが自身の死であるにも関わらず、興味がそそられる。
塊が一歩を踏み出した。
「寄るな!化け物!」
カトリーヌが気丈にも叫ぶ。己が身が辺境の野辺で朽ちるのは仕方ない。狂った収集癖の報いというものだろう。しかし、何の罪もない侍女たち、男も怯える化外の地にまで付き従った忠臣らが無為に倒れることに、やましさを感じる。
離れろと言っても聞かないだろう。逃げたところで樹海の中。行き倒れるだけだ。
最後に感謝を述べようとして。
それを誰かが遮る。
「生き残りはお前たちだけか」
意味のある言葉。とっさに周囲を見回す。騎士の姿は無い。ならば怪物を従えるという狩人の一族とやらが隠れているのか?
そんな考えを吹き飛ばす驚愕が、怪物の毛皮から飛び立った。
「だめだよ~ヤシチ。いきなりそんなこと言って、ぽかんとしてるじゃないのさ。馬車にも生き物の気配は、この子たちだけだと思うよ」
「そうか」
「ピ、ピクシー!?」
花の茎のような、薄緑の光を放つ肌。透明な蝶の羽根を背に負う。かつては王都近隣の森にもいたというが、今や伝説になりつつある不思議の住人。
図鑑で見た絵図そのままの姿であった。
「あら~?やっぱりお子様は私を見ると喜ぶのよね~。人気者は大変だわ~」
「黙っていろ」
妖精と話すのは草木の化け物。いや、よくよく観れば、白く輝く目が二つある。鼻が一つに、口も一つ。肌の色は泥か、化粧の一種にも見える。
化け物などではない。人間の男。まさかこれが。
「な、何者だ」
思わずついて出たソラリスの問いに、男は答えた。
「狩人。名はヤシチ。遭難者か」
異形の狩人は律儀に問いを投げ返した。樹海での出会いを知る者は、まだ本人たちだけである。