承
日陰でじっとしていても、身体中の水分が抜けるように汗が流れ出てくる。
空には大きな入道雲。かんかんに照りつける太陽。
私は今、祖母の畑にやって来ている。
トマトやキュウリ、トウモロコシ、ジャガイモ、ナス、ピーマン。私にとって夏といえば蝉の鳴き声と、土と植物の香り。
私と祖母は水やりを終え、木陰で休憩をとっていた。
「いやぁ、今年は本当に暑いねぇ」
「ね。何か畑の砂とかもカラカラだもんね」
「んだ。何かねぇ、最近ずぅっと、雨が降らないんだよ。このまま雨が降らんと、干からびっちまうねぇ」
祖母は流れる汗をタオルで拭きながら腰を上げる。
「夏祈、あとは今日食べる分だけ収穫して帰ろうか」
「うん」
祖母の畑に実る野菜は、どれも市販のものより数倍美味しい。それは私が多少世話を手伝っているせいもあるかもしれない。焦げるように暑いこのロケーションも最高だ。
私は木のザルを持って畑に出た。おばあちゃんが作ってくれたワンピースの裾が、ふわりとたなびく。
キュウリ、トマト、ナス、ピーマン……。最後にトウモロコシが整列する一角に向かう。実のぎっしり詰まった大きなトウモロコシを三本もぎ取る。
四本目に手を掛けた時だった。蝉の鳴き声が、波が引くように消えた。一瞬、辺りが静けさに包まれる。
畑の向こう、トウモロコシの列の最後尾に、『なにか』がいた。真っ黒な、かなり背の高い女の人。地面まで届く長い細身のワンピースを着ている。
その女が ゆっくりと
こちらに 片手 を
振った
私は女から目を離せなくなり、トウモロコシに掛けた手に力を込めた。呼吸が速くなる。体が冷たい。
女が、笑ったように見えた。
「ッ、」
私は急いでトウモロコシをもぎ取ると、祖母の家へ向かい全力で走った。
いつの間にか蝉は鳴き始め、走ったせいで体は火照っている。振り返るが、女の影はどこにも見当たらなかった。
「おばあちゃん、あんね、昼間、畑で変なもの見たの」
夜。涼しくなってきた頃。といっても、むわんと暑さが残っている。そうめんと天ぷらをつつきながら、私は黒い女のことを話した。
「この辺りにそんな女の人は住んでないよ。かといって、幽霊やお化けの話もないからねぇ」
祖母は首を傾げる。私もここら辺の土地に関する怖い噂は聞いたことがない。ましてや、事故や事件があったわけでも、古い言い伝えがあるわけでもない。
私の中で引っ掛かっているのは、あの女が、絵本の中から抜け出てきたのではないかと思うほど絵の女と酷似していたことだった。異常に細い腕を曲げてこちらに手を振る動作。太陽の下にいるにも関わらず、顔も見えないほど真っ黒な、影のような女。
いったい、何なのだろうか。
私は客間に布団を敷いて寝転がった。寝苦しいのでタオルケットを掛け布団がわりにする。縁側は開けているため時折涼しい風が吹き込んできた。
電気を消すと、外から射し込む星の光が明るく室内を照らした。天の川が見える。これも田舎の特権だ。都会とは比べ物にならないくらい、息を飲むほど綺麗な天然のプラネタリウム。
しばらく天の川を堪能して、私は眠りについた。
「……」
何時頃だろうか、私はふと目を覚ました。辺りは静まり返っていて、真っ暗だ。何も見えない。肌寒さを感じてタオルケットを体にかけ直そうとした時、気付いた。気付いてしまった。
辺りが暗いのではなく、黒い『なにか』が、私の視界を遮っているのだ。
「っ……!」
仰向けの私に馬乗りになる格好で、誰かがいる。私の顔を覗き込むようにしているのが分かる。しかし、相手の顔は見えない。
私は恐怖で体が動かず、瞬きひとつせず、声も出せなかった。息をしていたかすら怪しいほどに、体が強張っていた。
どれほどそうしていただろうか。
私の上に跨がる何者かが、すっと私の頭の方へ移動してきた。音を立てず、滑るように私の顔の上を通っていく。足はなく、地面から影が生えてきたようなのっぺりとした長すぎる胴体が私の上を通りすぎた。体の上をなにかが通りすぎる感覚は、ない。
縁側の向こうから虫の声が聞こえ始め、月明かりに室内がぼんやりと照らし出される。女がどこへ行ったのか分からないが、ひとまず安心した。
あれは、いったい何なのだろう。昼間の女と関係があるのだろうか。それとも、昼間の女本人……?
なぜ私の前に現れるのだろう。私は霊感があるわけでもなく、呪われるようなことをした記憶もない。そういう話のある所にも行っていないし、そもそも怪談話は苦手だ。
しばらく寝付くことができず、祖母の部屋に行こうとも考えた。しかし、もしその途中であの女に会ったらと思うと怖かった。
目を閉じて布団の上をごろごろしているうち、私はいつの間にか眠ってしまっていた。