ヤンデレラ(三十と一夜の短篇 第26回)
むかしむかしあるところに、ヤンデレラという女の子がいました。
大きなお屋敷に住んでいましたが、他に家族は誰もおりません。なぜならヤンデレラがつい先日、全員殺してしまったからです。
ヤンデレラはなぜか、家族が死んだことを信じていませんでした。ナイフで襲い、血まみれの継母たちを引きずって畑に埋めたのはヤンデレラ本人だというのに、実は生きていて隠れているのだと思っているのです。そして自分を見張っているだと、思い込んでいるのです。
夜、ヤンデレラは自分の部屋にはいると、戸締りをしっかり確認しました。そして部屋中をぐるりと見回します。するとベッドにかけているブランケットが、朝と違う気がしました。いえ、朝と同じなのですが、そういう風に見せかけていると感じるのです。
お母さまたちが、また私の部屋にきたんだわ。そしてバレないように細工したのね。
ヤンデレラはそう思いました。
ベッドにもぐりこんでも、ヤンデレラは不安で不安でたまりません。そしていつものように寝る前に星に願いました。
「王子様がいつか、助けに来てくれますように」
◇
ヤンデレラの母親は、ずいぶん前に病気で亡くなりました。しばらく父親と二人で暮らしていたのですが、年頃になる娘の為に、新しく妻を迎えることにしました。ヤンデレラが十四歳のころでした。新しいお母さんはとても美しい人です。それに一緒にきた二人のお姉さんもとても可憐です。しかしヤンデレラはそれが気に入らず、冷たく接していました。
一緒に暮らし始めて一年が経つかという頃。ヤンデレラの父が、事故にあって亡くなりました。ヤンデレラは嘆き悲しみました。父が死んだこと以上に、自分のおかれた状況が悲しくてたまりませんでした。母についで父も亡くなり、天涯孤独の身の上です。しかもこれから一緒に暮らすのは血のつながっていない母と姉たちです。なんて悲惨なのでしょう。そして血筋的にはヤンデレラこそが後継者ですが、自分の面倒をみるのはあの母親です。生かすも殺すも母親しだいです。今まで冷たく接していた自分を悔やみました。そしてこれ以上不興を買ってはならないと、必要以上にビクビクしました。
そのうち、ヤンデレラは自らボロを着るようになり、使用人のような生活を始めました。そうしないと、新しい母と姉二人からいじめられると思ったからです。母たちはヤンデレラにそれをやめるように何度もいいましたが、断固として聞きませんでした。仕方がないので、ヤンデレラのやりたいようにさせていました。
時おり買い物で街におりると、ヤンデレラは「今の暮らしがつらい」と人々に相談しました。可哀そうに思った街の人は彼女に同情し、とても優しく接しました。ヤンデレラはその瞬間、心からの幸せを感じました。自分の心にあいた隙間が、すっかり埋まるような心地です。生まれて初めての充足感に、ひとときの間、酔いしれました。
「後妻に入った婦人はとんでもない人だ」
「あの姉妹も可愛い顔してとってもいじわるなのね」
母親たちの悪評が、またたく間に街中に広がりました。街におりてきた母娘に冷たくしたり、あからさまに悪口を言う人もいました。そしてことさらにヤンデレラに優しくなったのです。ヤンデレラはとても心がはずみ、もっと優しくしてほしくて、自分の話をたくさんの人にしました。
それからひとつき経って、みつき経って、半年が経ちました。
人々はヤンデレラの話にしだいに飽きてきました。最初こそ親身になってヤンデレラの話を聞いていた人も、よくきくとつじつまが合わず、めちゃくちゃな内容に疑問をもつようになりました。ヤンデレラのためを思ってするアドバイスも「でも、」「だって、」と言って一向に聞く耳もちません。それなのに毎度同じ話をし、進展しない相談内容に辟易するようになりました。しだいに、人々はヤンデレラを遠巻きにするようになりました。
そしてある時から、悪いのはヤンデレラの方だ、と囁く声がでてきました。
ヤンデレラこそわがままで、母娘たちをいじめているのだと言うのです。実際にあの母娘たちは話してみると、想像していたよりずっと優しい人柄でした。加えて美人です。娘たちを見初めた何人かの青年がプレゼントをしたり、プロポーズをしたようでした。
冷たくなっていく街の人々に、ヤンデレラは死ぬほど歯がゆい思いをしました。
どうして!私が苦しんでいるのは本当なのに!
イライラして爪をむしります。頭を搔きむしります。やがてヤンデレラは納得のいく答えを見つけました。
お母さまたちが裏で手を引いてるのだ、と。
おそらく母親たちは、愛想良くして周囲の人の関心をかっているのだろうと思いました。なんせあの見た目です。少しでも微笑んだのなら、多くの人が心惑わすことができるでしょう。そうやって引き込んで、ヤンデレラのあることないこと言っているのです。このままでは多くの人が母親たちの味方になってしまいます。そして周りが敵だらけになったとしたら、ヤンデレラはどんな目にあうでしょう。ちょっとだけ想像してぞっとしました。
ヤンデレラはしばらく考えました。
誰が悪い人で、誰が苦しんでいるのか。
街の人たちに分かってもらわないといけません。
月が大きく輝く夜。ヤンデレラはベッドを抜け出し、台所のナイフを手に取りました。
◇
お城の舞踏会への招待状が、姉たちへ届きました。それは姉二人の婚約者からそれぞれ来たものでした。彼らは姉たちが死んでいるとまだ知りません。ヤンデレラは自分へ招待状が来ていないことが不満でした。なんせ今度の舞踏会は特別で、王子様の花嫁を見つけるために、年頃の娘の家には全て招待状が届くのだともっぱらの噂だったからです。
「……お母さまたちが隠したのね。ひどいわ」
そんなはずはありません。あの美しい継母は、冷たくなって土の中で眠っているのですから。ヤンデレラが玄関でぼんやりしていると、来客がありました。街からパンの配達にきたジョン青年です。彼は二日に一回、焼き立てのパンを届けに来てくれるのです。
「よう、配達にきたぜ。奥さんは今日もいないの?」
ジョンは何年か前からお屋敷に来ていて、ヤンデレラたちと顔見知りです。
「……ねえジョン、聞いてよ。お母さまたちが私をいじめるの。私なんにもしていないのに、どうしてこんな目にあうのかしら」
「ああもう、またそれかよ。奥さんたちいい人じゃん。お前のこと心配してたぜ」
ヤンデレラは思いました。全然話を聞いてくれない。ジョンもお母さまたちの味方なんだわ。それにジョンがお母さまのを気にかけるという事は、やっぱり生きているのよ。そしてこっそり会ってるんだわ。ジョンを使って私の様子を探っているの。今は姿が見えないけれど、絶対に私のことを見張っている。油断も隙もありゃしない。ヤンデレラはじっとりと目の前の彼を見つめました。小さくため息をつくとジョンはパンをヤンデレラに渡し、去っていきました。
それからヤンデレラは、家中をひっくり返して自分の招待状を探し始めました。呼ばれているはずなのです。ヤンデレラを困らせようと、隠しているに違いないのです。探している最中に王子様の事が頭に過ぎりました。いったん手を止めて、ひと息つきます。
「きっと王子様はわたしの味方をしてくれる」
ヤンデレラは会ったこともない王子に想いを馳せました。みんなに分かってもらえなくても、誰か一人味方になってくれたら良い。そしてそれは王子様だ。きっと王子様ならわかってくれるとヤンデレラは信じていました。
考えていくうちに、こんなに王子のことを想っているのだから、きっと相手も自分のことを想ってくれているとヤンデレラは考えるようになりました。さらにエスカレートして、会ったことがないんじゃなくて、忘れているだけかもと思い始めました。そう考えたらつじつまが合います。なぜこんなに王子に信頼を寄せているのか、なぜ王子も信頼をよせてくれるのか。
「そうよ、会ったことがあるのよ。よくよく思い出したら、王子さまと会っているわ、私」
ヤンデレラのそれは確信に変わりました。
「待ってて王子様。会いにいきますから」
◇
夜、お城では華やかな賑わいをみせ、舞踏会が始まっていました。素敵なドレスに身を包んだ婦人たちがあちらこちらで花のように微笑んでいます。そして管弦楽団が優雅な音楽を奏で始めると、一組の男女が広場の中心にでてきて、軽やかに踊りだしました。それは王子様と、可愛らしいご令嬢でした。人々はその初々しい様子を微笑ましく思いながら見守ります。
誰かが言いました。
「なんてお似合いの二人だ」
誰かが言いました。
「本当に。彼女は本当に運がいい」
そんな中、一人の青年が走って会場にやってきました。顔を真っ青にして、自分の父親にかけよっていきます。
「父上、大変です。私のかわいいマリッサが……!」
「どうしたエルリック。何があった」
口髭をたっぷり生やした男性が、尋常ではない様子の息子に驚いています。エルリックと呼ばれた彼は最近、意中の女性にプロポーズをし、良い返事をもらえたと始終ご機嫌でした。その彼が今、不安をあらわにして狼狽えています。
「少し前にマリッサに今夜の招待状を出していました。いつもならすぐ返事がくるのに、こなくて……。それで今夜迎えに行ったら、彼女はどこにもいなかったのです」
「なにか行き違いがあったのではないか?」
「いいえ、父上! 彼女たちの家は盗人に荒らされたかのように散乱していたのです。おかしく思って家の者に呼びかけても、誰の返事がありませんでした」
エルリックと呼ばれた青年は、一呼吸してからまた言いました。
「それどころか、家中に人間の血のようなものがたくさんあったのです。……私には、人間をひきずった跡ように見えました」
恐ろしく思ったエルリックは、従者と一緒に屋敷を見てまわりました。何度声をかけても誰も返事をしません。この家には、女ばかり4人いたはずなのに。血の跡をたどると、裏口から外の畑へ向かっていました。畑には大きなカボチャがごろごろ実っています。それらが妙に不気味に思えて、エルリックたちはその場を急いで後にしました。
「もしかしたら野盗に襲われて、怪我をした状態でどこかに連れ去られたのかもしれません。父上、捜索隊をだしたいのです。私のかわいいマリッサに万が一なにかあったらと思うと……」
その時です。ふいに辺りが大きくざわめきだしました。笛がけたたましく鳴り響き、衛兵がガチャガチャと動き出しました。そして次の瞬間、女の金切声が上がったのでした。
人垣が囲む広場の中央に、衛兵に取り押さえられた女がいました。少し離れたところに王子たちがいます。怖がるご令嬢を守るようにしているところから、女がなにかしら危害を加えようとしたのではないかと野次馬たちは考えました。
その女はヤンデレラでした。血と泥で汚れたドレスを身にまとい、髪はぼさぼさで、顔はやつれ、青ざめています。ぎょろついた目玉だけが唯一生を感じられて、それは王子のほうをしっかり見据えていました。ヤンデレラが声高になにか言っています。自分は王子と好き合っているとか、皆騙されているとか、側からみたら気が触れているとしか思えないようことばかりです。
「どうして! 誰も! わたしの話をきいてくれないのっ!!」
若い女が汚れたドレスを着て押さえつけられ、ひどくわめく姿を見て、王子は憐れに思いました。取り押さえている衛兵に、どこか部屋へ連行するよう言いつけます。しかし衛兵が体を離した瞬間、ヤンデレラは腕に噛みつきました。痛みのあまり、思わず衛兵はヤンデレラを突き飛ばしました。そしてヤンデレラはその隙に逃げ出してしまったのです。遠くで十二時を告げる鐘が鳴っています。何人かの衛兵は慌てて彼女を追いかけしました。どこにそんな力があるのか、ヤンデレラは長い階段をすばやく走って逃げていきます。ヤンデレラの背中を追いかける衛兵たちでしたが、途中で彼女がなにか落としたことに気づきました。一人がそれを確認し、残りの者は引き続き後を追いました。
「王子、逃げた女がこれを……」
そういって衛兵が差し出したのは、乾いた血で汚れた、小ぶりのナイフでした。
◇
あとになって分かったことですが、舞踏会が始まる少し前、一人のご令嬢が何者かに襲われていました。馬車を操っていた御者は鈍器の様なもので殴られて気を失い、ご令嬢はナイフで傷つけられドレスをはぎ取られました。襲った犯人は女で、またたく間に夜の闇に消えていったそうです。
そして馬車が襲われたその道端には、硬くて大きくて重いカボチャがひとつ、転がっていたとのです。