14、
僕の毎日は変わった。
なんて言うと、漠然としているかもしれない。学校が終わるとすぐさま帰ってきて宿題を消化、干されていた洗濯物を取り込んで畳んで仕舞い、ホウキを持ってきて家の中を掃いて回るようになったんだ。
当然、本を読む時間は小さくなった。すぐにでも帰宅するようになったから、学校で友達と過ごす時間に至ってはゼロになった。
それでも構わなかった。どうせ友達は減ってしまったし、母さんの様子の悪いのに比べれば、本に構っている心の余裕なんてなかったもの。
僕なりに知恵を絞って、考えた結果の行動だった。
母さんはいつも、僕と一緒に遊んでくれていた。朝は笑顔で僕を送り出し、夜は一枚だけの布団の中で抱きしめてくれた。その母さんが今、あの黒服のために苦しめられている。
恩返しをするんだ。僕が優しくしてもらった分を、温めてもらった分を、頑張ってカタチに変えて母さんの笑顔を取り戻す糧にするんだ──。そんな信念に僕は衝き動かされていた。固い、固い信念だったと思う。
──『どうしちゃったの、突然……』
はじめのうち、母さんは驚きを通り越して怪しんでさえいた。そりゃ、そうだと思う。それまで頼まれなければ手伝いに取り組んでこなかった僕が、急に何かに目覚めたみたいに働くようになったんだもの。何事か企んでいるんじゃないかと疑われても、無理のないことだっただろうと思う。
けれど一週間が経ち、二週間が経つなかで、違和感も段々と姿を消していったみたいだった。手の届く高さにある洗濯物を頑張って家に引きずり込もうとする僕の背中を、やがて母さんはにこにこと笑いながら眺めるようになった。
そうしてある日、唐突に訊かれた。
「──ナオくんはどうして急に、そんなに親切になったの?」
本当に唐突だった。大きなタオルが絡まって四苦八苦していた僕は、その声に後ろを振り返って、理由を思い返した。“おんがえし”を初めてから、すでにしばらく時間が経っていた。
「おんがえし」
「恩返し?」
タオルを引き剥がすのを諦めて、うん、と頷いた。
「母さんは一緒に遊んでくれるし、毎日ご飯だって作ってくれるし、優しいし……。だから、恩返し」
「……あの絵本を読んで?」
「うーん……、たぶん」
本当は分かっていたんだけれど、何となく気恥ずかしくって、思わず余計な三文字を付け加えてしまった。母さんは少しの間、黙ったまま、何かを考えていたみたいだった。
けれど次の瞬間。ぎゅうっ、と本人の効果音入りで、僕を真正面から抱き締めた。
「嬉しい」
その声はやっぱり、優しかった。
「でもそれはね、恩返しじゃなくて“親孝行”って言うの』
「親こう行?」
「そう。親孝行」
腕の中で僕は、ふうん、と返事をした。『こう』に関しては漢字すら思い浮かばない、まだ知らない言葉だった。母さんが腕を伸ばして、僕の手からそっとタオルを外す。外しながら、独り言みたいな声色で言った。
「親はね、子どもが三歳になるまでにもう、全ての親孝行を受けているって言われているの。だからナオくんも、無理はしないでいいわ。ナオくんが好きなことを楽しんでくれている方が、お母さんにはずっとずっと、嬉しい」
「そうなの?」
「ウソは言わないわよ」
「本当に?」
僕の二度目の問い返しには、母さんは答えてくれなかった。
ただ、黒服が来る以前のように、優しく笑ってくれていたっけ。
あれは僕が取り戻した笑顔のうちに入るのだろうか。
結局、僕が恩返し──いや、親孝行に勤しむのをやめることはなかった。だってやめろと言われはしなかったから。
そして、母さんもその日から先もずっと、そんな僕を見て微笑んでくれていた。もとよりそれが見たくて始めた親孝行だ。もっともっと優しい顔を眺めていたくて、僕はますます張り切った。
同時に、母さんに言われた言葉が少なからず不満でもあった。ただ甘えていただけでよかった三歳の頃よりも、今の自分の『親孝行』は劣るんだろうか。そんな半端な気持ちでやっているわけではなかったのに。
そういう意味では僕も少し、意固地になっていたのかもしれない。
◆
僕が『おんがえし』の親孝行を始めてからも、母さんと僕に対する中傷は日を追うごとに酷くなっていった。
元凶の一つであるあの黒服が、あれからさらに数度にわたって我が家の敷居を跨いだからだった。その都度、砲弾のような言葉を浴びせられて、母さんはアイロンをかける前のワイシャツみたいにくしゃりと顔を歪めていた。僕が洗濯物を取り込んであげるまで、元に戻りはしなかった。
スーツ姿の人物の往来の少ない、狭い島の中という理由もあったんだろう。僕らの家に出入りする黒服の背中は大抵、島の誰かに見つかって、そのたびに『また三根家に不審者がいるぞ』と噂話が立った。そうこうしているうちに、いつの間にか母さんの職業まで特定されていて、挙げ句には僕は毎日学校に通うたびに、やんちゃな高学年たちにからかわれ始めた。
──『お前の母ちゃん、便所掃除してるんだろー!』
とか、
──『お前の家ってヤクザが棲んでんだろー!』
とか。
悔しかったし、悲しかったし、時には泣いて暴れてやりたくなったけれど、そんなことをすればかえって逆効果になるのは目に見えている。彼らは僕にとってはどうしようもなく敵で、同時にどうしようもない敵だった。
相変わらずクラスメートたちからは遠巻きにされるし、先生にさえどこかよそよそしく振る舞われて。
そんな地獄じみた環境の中でも僕が何とか耐えていられたのは、たった一人、僕をからかうこともせず、放課後になれば遊ぼうと誘ってくれる子がいたからだ。──他でもない、稜太だった。
──『えー、今日もダメなのかよー』
家事のために急いで帰ろうとする僕を呼び止めては、稜太はいつも残念そうに眉を押し下げてくれる。
お母さんから遊ばないようにと厳しく言われているのは、稜太の家も同じはずなのに。いつか、不思議に思って尋ねたら、稜太は壁に寄りかかって空を見上げながら、笑っていた。
──『オレ、母さんのこと、嫌いなんだ。いっつもあれをやれ、これをやれって、オレのことロボットとでも思ってるみたいに言いつけるんだもん。今さらそんな言葉なんか聞きたくない』
稜太の笑顔はびっくりするほど清々しくて、自由で、僕の方がかえって羨ましく感じたくらいだった。
僕は、母さんが好き。けれど稜太はそうじゃない。色んな家庭があるんだなと思ったし、稜太が僕と仲良く続けてくれるんなら、どんな理由があろうとも構わなかった。
──『ありがとう』
そう答えたら、なんだか泣き出しそうになったなぁ。
もしも稜太がみんなと同じように僕から離れていっていたら、僕はどうなってしまったのだろう。恐ろしくて想像もしたくない。
暴れたってどうにもならないと知っていながら、僕はやがて、黙って無抵抗を貫くのをやめるようになった。バカにしてくる子たちに、毎日のように掴みかかった。
もちろん、向こうの方が数も力も上回っているから、毎度のように呆気なく反撃されて泣いた。痛みと悔しさに泣きながら稜太に連れられて保健室へ行き、またかよとでも言いたげな顔をしながら養護の先生が治療をしてくれたな。
不自然に多い絆創膏の理由を母さんには何度も聞かれたけれど、転んだと嘘をつけば母さんはほっと胸を撫で下ろして、痛みを放つ患部にそっと触れてくれた。
『痛いの痛いの、飛んでけ』──。その言葉だけで僕には十分だった。余計な心配なんてさせたくない。だからいつかはあいつらに反撃の隙なんて与えないくらい強くなりたい、なんて、本気で考えていたものだった。
絆創膏の数だけ強くなれたならどんなにいいだろうと、染みる痛みに耐えて風呂に入るたびに願ったものだった。
どんなに学校で傷つけられようと、苦しもうと、母さんにはそのことを何がなんでも隠し通した。せっかくの“恩返し”で稼いだ母さんの笑顔を、自分への心配や不安のせいで失ってほしくはない。
僕のことは背負わなくていい。母さんは、笑っていてくれさえすればいい。幸せそうにしてさえいればいい。
それで僕は嬉しかった。他には何も要らなかった。
──母さんの笑みは僕の、たったひとつの行動原理になっていっていた。
そして、あとあとになって知ったことだけれど、この頃ひどい目に遭っていたのは僕だけではなかった。
母さんもそうだったんだ。狭い役場の中でまでも密かに陰口を叩かれていて、町役場の偉い人の配慮で別の職場に異動になっていたらしい。
新たな場所は、役場の職員食堂の調理担当だった。厨房の奥にいる分には目につかないし、わざわざ姿を探そうとする人もいないだろうという目論みだったようだ。むかしスーパーに勤めていた時、惣菜売り場の調理場に立っていた経験のあった母さんには、ちょうどいい仕事だったのかな。──母さんに仕事の感想を聞く機会なんてほとんどなかったけれど、思い返せばその頃から、家の夕食のおかずには食堂の残り物が並ぶようになっていた気がする。少なくとも楽になっていたのは確かだと思う。
新しい場所ではどうにか上手くやっていけていたみたいで、母さんは毎日『疲れた』って言いながらも表情も穏やかに、食卓の準備をしていたっけ。僕も嬉しかったなぁ。育ち盛りで身体が大きくなっていく時期の僕に、食堂からの食べ物はすごく美味しくて、温かかったから。
学校には稜太という味方。家に帰れば“恩返し”という生き甲斐と、母さんという温もり。それがなければ僕は坂上小学校を卒業できなかったかもしれない。
沖を流れてゆく黒潮のように、緊張を孕みながらも少しずつ、少しずつ、日々は時計の針の回転に乗って過ぎてゆく。
そうして、僕は中学生になった。